2016年11月24日 (木)

2016年師走ノ巻「駆けっ句365日生き急ぎ」 烏有

 

   
 

「駆けっ句365日生き急ぎ」

 
 

烏有

 

烏有(ウユウ)

本名:田中七四郎(タナカシチシロウ)

1943年(昭和18年):10月、

東京都渋谷区

1968年(昭和43年): 4月、 富士通株式会社入社、システムエンジニア職従事

1993年(平成 5年): 1月、 駆けっ句スタート   8月、 胃がん手術

2000年(平成12年):12月、 富士通株式会社役職離任により退社

コーポレイトソフトウェア株式会社入社

2002年(平成14年): 7月、コーポレイトソフトウェア株式会社退社

 

2016年師走ノ巻

 

師走某日ガス欠のだましだまして師走入る

師走某日・冬耕や素人大根の太さかな

師走某日むつまじくがんを語る冬隣り

師走某日冬支度明日のない日やいつくるか

師走某日幾星霜朝に起きては夜べに死す

師走某日紅黄色ポインセチアの店輝きし

師走某日結論を前倒しして冬に入る

師走某日天墜つるその朝の遺偈かな

師走某日漬物の柿の彩り目福かな 

師走某日分身の入れ歯の痛む師走かな

師走某日昼からの外の静かに冬雨の降る 

師走某日昭和一桁の不帰の人なる師走かな

師走某日ひとさまのただ寛容にすがる年の暮れ

師走某日呑みなほし懺悔悔恨けふ終ふ

師走某日自己責任明日を頼りに年を越す

師走某日・秋宅急便箱に詰めたる師走かな 

師走某日手のひらの気宇壮大なる宇宙かな

師走某日爆裂の補修になじむ小春かな

師走某日開店の祝儀を兼ねて一見の客 

師走某日・年備へ俳諧老人そぞろにさるく

師走某日忘年会2 靴を違へず帰還でき

師走某日死にざまや生きざまなりきと終ひ支度かな

師走某日逝き急ぎ鬼籍に入るの年惜しむ

師走某日上弦のあまねく照らす冬至かな 

師走某日呼びかけど賽の河原の年の暮れ

師走某日煌々と年の瀬冴ゆる冬の月

師走某日忘年会3 血の一滴までをそそうせず

師走某日年備へ人の情けにごみかたす

師走某日つかの間の空の蒼さや冬晴れ間

師走某日冬眠のカメお騒がせの年準備

師走某日未鬚大つごもりの暮れていく

(つづく)

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2016年11月 7日 (月)

2016年霜月ノ巻「駆けっ句365日生き急ぎ」 烏有

 

   
 

「駆けっ句365日生き急ぎ」

 
 

烏有

 

烏有(ウユウ)

本名:田中七四郎(タナカシチシロウ)

1943年(昭和18年):10月、

東京都渋谷区

1968年(昭和43年): 4月、 富士通株式会社入社、システムエンジニア職従事

1993年(平成 5年): 1月、 駆けっ句スタート   8月、 胃がん手術

2000年(平成12年):12月、 富士通株式会社役職離任により退社

コーポレイトソフトウェア株式会社入社

2002年(平成14年): 7月、コーポレイトソフトウェア株式会社退社

 

2016年霜月ノ巻

 

霜月某日十二夜や明日をイメージ後の月

霜月某日・一眠りして天空輝く十三夜

霜月某日秋の夕歩める感動確かむる

霜月某日秋夜長オスマントルコの久しからず

霜月某日店閑か日本シリーズの極めゲームかな

霜月某日優勝セール楽しみ袋へパシル朝かな

霜月某日天城より柚子海苔届くみやげかな

霜月某日はやジングルベルの11月かな

霜月某日立冬や世界遺産初のまつりかな 

霜月某日太公望横目で過ごし秋の雲

霜月某日地蔵尊前垂れ赤きつはぶきの花 

霜月某日場外馬券競馬場の芝光る

霜月某日11.10健さんモリミツ、モリシゲの名優命日秋寂し

霜月某日秋日和蒲団干しける恵あり

霜月某日秋深し往き交ふ人の歯の抜ける

霜月某日・秋夜長つまされし読む

霜月某日めげもせず再度挑戦の十一月かな

霜月某日ノーサイドマウリのダンスののり軽し

霜月某日鈍行で獺祭嗜む冬隣り

霜月某日・年々歳々小倉イルミの華やぐかな

霜月某日馬の居ぬパドックにて下見かな

霜月某日あっけなく急ぎ身罷る秋の暮れ

霜月某日身に入むや足腰衰ひけつまずき

霜月某日見上ぐれば皇帝ダリアの威風かな 

霜月某日そぞろ寒たぷりゆたりの湯舟かな

霜月某日屋上のローズガーデン秋のいろ

霜月某日ロボットの創るミニカーに声挙がる

霜月某日県秋澄むやクールYASKAWAのおしゃれかな

霜月某日ISもあまねく照らす望の月

霜月某日古稀の過ぎ終活目指して冬備へ

霜月某日初しぐれペダル踏む間に上がりける

(つづく)

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2016年神無月ノ巻「駆けっ句365日生き急ぎ」 烏有

 

   
 

「駆けっ句365日生き急ぎ」

 
 

烏有

 

烏有(ウユウ)

本名:田中七四郎(タナカシチシロウ)

1943年(昭和18年):10月、

東京都渋谷区

1968年(昭和43年): 4月、 富士通株式会社入社、システムエンジニア職従事

1993年(平成 5年): 1月、 駆けっ句スタート   8月、 胃がん手術

2000年(平成12年):12月、 富士通株式会社役職離任により退社

コーポレイトソフトウェア株式会社入社

2002年(平成14年): 7月、コーポレイトソフトウェア株式会社退社

 

2016年神無月ノ巻

 

神無月某日10月や南十字星へ心地ちそわそわ

神無月某日・非戦より打たせて捕るの避戦かな

神無月某日ソーメンの今年(こぞ)を惜しみて名残をし

神無月某日標章はまぼろしと了りぬ日本幻想

神無月某日満天の星降る夜を現実みる

神無月某日同行4人よくぞここまであら古稀の旅

神無月某日フライト11Hの南半球や時差3Hかな

神無月某日立待月遠回りして帰ろかな

神無月某日居待月それもよかろふ雨の降る

神無月某日一瞬の貌見せ臥待月や雲疾し

神無月某日更待月飲方過ぎて夜空見ず

神無月某日寝て覚めて半月映ゆる二十一夜かな

神無月某日追っかけど丑三つ時の宵闇かな

神無月某日二十三夜天球低く下弦の月かな

神無月某日水盃より一献傾け杯満たす

神無月某日年男年女異国で迎ふるバースデイかな

神無月某日・羊鬚の羊の国で迎へた誕生日

神無月某日海外で福目に出会ふ桜かな

神無月某日終ひにはエスコートするよりされる方となり

神無月某日ご縁かな良きたび良き酒紅しゃくなげの花 

神無月某日新月の南十字星や一等星

神無月某日いまどきの灯火管制やスターウォッチングかな

神無月某日秋晴れの工場まつり一人行く

神無月某日秋うららためた新聞まとめ読む

神無月某日指差して南半球より見る銀河かな

神無月某日初物や早生のみかんの小粒なり

神無月某日朋の逝き震へる振動のなき秋の暮れ

神無月某日秋暑ししつこくソーメンいとおしむ

神無月某日・帰国してにはかファンとなれりオールブラックス

神無月某日・秋の午後ただひたすらに傾聴ス

神無月某日・けんこうまつりチャイナドレスの似合ふかな 

 (つづく)

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2016年長月ノ巻「駆けっ句365日生き急ぎ」 烏有

 

   
 

 

 

「駆けっ句365日生き急ぎ」

 
 

烏有

 

烏有(ウユウ)

本名:田中七四郎(タナカシチシロウ)

1943年(昭和18年):10月、

東京都渋谷区

1968年(昭和43年): 4月、 富士通株式会社入社、システムエンジニア職従事

1993年(平成 5年): 1月、 駆けっ句スタート   8月、 胃がん手術

2000年(平成12年):12月、 富士通株式会社役職離任により退社

コーポレイトソフトウェア株式会社入社

2002年(平成14年): 7月、コーポレイトソフトウェア株式会社退社

 

2016年長月ノ巻

 

長月某日防災の日や臨機応変を養ふ日かな

長月某日・china(シナ)の定点観測勤しむ9月かな

長月某日バタフライ効果融通無碍の大気不安定かな

長月某日文明化の武漢に臨機応変の変り身見る

長月某日マンマンデイ易姓革命の不易かな

長月某日引越しのできぬ向こう3軒新涼かな

長月某日一盲の想像力には巨象の手に余る

長月某日死にざまや生きざまなりき南無阿弥陀仏

長月某日満洲や清朝史をなぞる秋天かな

長月某日虫すだくちゅら夜の白露かな

長月某日虫の夜ゆめかうつつか浄土幻想かな

長月某日戦後70年ぶれない響きや草ひばりかな

長月某日降り止まず去ぬるか留まるか雨宿り

長月某日葬儀なく献体了る報せあり

長月某日文明化の武漢に臨機応変の変り身見る 

長月某日鉄観音してしばしウーハン懐かしむ

長月某日軍隊や之繞(しんにょう)有るやなしやのわれもこう

長月某日一服を愚直になぞる今朝の秋

長月某日・亡き朋の留めおかれし彼岸花かな

長月某日秋風や彼岸の浄土に吹き渡れ

長月某日ひとりで逝きひとりで弔ふ秋の風

長月某日万寿沙華朋へ一花供へける

長月某日地球大の軋む悲鳴や白い秋かな

長月某日新成人と相伴にあずかるとしよりの日かな

長月某日望月や非の打ちどころなき花かな

長月某日月天のあっけなく逝く余命かな

長月某日展墓終へせみの鳴きやむ秋の空

(つづく)

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2016年葉月ノ巻駆けっ句365日生き急ぎ」 烏有

   
 

「駆けっ句365日生き急ぎ」

 
 

烏有

 

烏有(ウユウ)

本名:田中七四郎(タナカシチシロウ)

1943年(昭和18年):10月、

東京都渋谷区

1968年(昭和43年): 4月、 富士通株式会社入社、システムエンジニア職従事

1993年(平成 5年): 1月、 駆けっ句スタート   8月、 胃がん手術

2000年(平成12年):12月、 富士通株式会社役職離任により退社

コーポレイトソフトウェア株式会社入社

2002年(平成14年): 7月、コーポレイトソフトウェア株式会社退社

 

2016年葉月ノ巻

 

葉月某日8月や旅のポン友のデータ便届く

葉月某日・ちっぽけな地球を背中に2ショット

葉月某日居ながらに国境またぐwebかな

葉月某日朝から祇園の蝉のにぎにぎし

葉月某日いぢめよりいぢめ死なくす濡暑かな

葉月某日過去を変へ未来を創る炎暑かな

葉月某日逃げ惑ふ猫には戦火の花火かな

葉月某日被爆70年長崎忌の後につく

葉月某日亀の甲馬耳東風の花火かな

葉月某日たちまちにやまみみず干上がる炎晝かな

葉月某日冷や水ならぬクールダウンに時薬かな

葉月某日朝から床屋談義のあつさかな

 

 

葉月某日平和裡に夜空を焦がす花火かな

葉月某日日盛りや男日傘の欲しがりし

葉月某日古稀生きて戦後70年責任吾が事にあり

葉月某日ひっそりと疚しき沈黙戦後70

葉月某日欧中や地球の軋む昭和90年かな

葉月某日高原やワシワシ法師の大合唱

葉月某日由布岳や入道雲を帽子とし

葉月某日・足湯して高原はるけき展望す

葉月某日雨がやみ由布の山に霧立ち昇る

葉月某日雨足を眺めて待たむ雨宿り

葉月某日ケイタイも入らず使わず蝉の声

葉月某日駆る車一天たちまち豪雨なる

葉月某日豪傑に笑ひでごまかす卑屈かな

葉月某日台風に備へおさおさ早仕舞ひ

葉月某日一瞬静かなり台風15号の目通ル 

葉月某日一夜明け台風一過の爪の痕

葉月某日終活や平生往生風任せかな

葉月某日・効率にかまけて安全追ひやられ

葉月某日8月尽偏見一盲の象なでし

(つづく)

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2016年文月ノ巻「駆けっ句365日生き急ぎ」 烏有

   
 

「駆けっ句365日生き急ぎ」

 
 

烏有

 

烏有(ウユウ)

本名:田中七四郎(タナカシチシロウ)

1943年(昭和18年):10月、

東京都渋谷区

1968年(昭和43年): 4月、 富士通株式会社入社、システムエンジニア職従事

1993年(平成 5年): 1月、 駆けっ句スタート   8月、 胃がん手術

2000年(平成12年):12月、 富士通株式会社役職離任により退社

コーポレイトソフトウェア株式会社入社

2002年(平成14年): 7月、コーポレイトソフトウェア株式会社退社

 

2016年文月ノ巻

 

文月某日生足のネイルの光る7月かな

文月某日決断を一つうながし梅雨曇り

文月某日・親族の訃報の続く皐月闇

文月某日荒梅雨や最期の見送り南往く

文月某日腰据えて之を待てない梅雨晴れ間

文月某日食べ収め佐藤錦の旬の味

文月某日リタイア後も俺が俺がのゲリマンダー

文月某日おまえもか分身よさらばみなみかぜ

文月某日見送りて海外思い切る老介護かな

文月某日台パンクして急ぎ修理の梅雨晴れ間

文月某日慎重にけつまずきデコチン救急車

文月某日初蝉やならし運転の声短し

文月某日I/Oの劣化をゴマカス夏は来ぬ

文月某日楽しみは前と中後のキウイかな

文月某日ドア開けてカサブランカの香を逃がし

文月某日病室の窓から届く祇園かな

文月某日チンチョウに大事取り過ぎ粗相する

文月某日吾レが先かそれがしが先か散るさくらかな

文月某日頑なにガラケイに拘るラクフォン人

文月某日・梅雨明けずマンション主の声のなし

文月某日水替へてソーメンすするつゆ曇り

文月某日丹田に力を込めて夏に立つ

文月某日一見の南十字星へボン・ボヤージュ

文月某日片陰を選んで歩む大暑かな

文月某日弁へてやり過ごさせる勇気かな

文月某日ポケットの引き出し増へて悠々持ち 

文月某日給水や木陰のベンチでケイタイす

文月某日梅雨明けぬ堀川あたりをさ歩くかな

文月某日朝から祇園の蝉のにぎにぎし

(つづく)

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2016年水無月ノ巻「駆けっ句365日生き急ぎ」 烏有

   
 

「駆けっ句365日生き急ぎ」

 
 

烏有

 

烏有(ウユウ)

本名:田中七四郎(タナカシチシロウ)

1943年(昭和18年):10月、

東京都渋谷区

1968年(昭和43年): 4月、 富士通株式会社入社、システムエンジニア職従事

1993年(平成 5年): 1月、 駆けっ句スタート   8月、 胃がん手術

2000年(平成12年):12月、 富士通株式会社役職離任により退社

コーポレイトソフトウェア株式会社入社

2002年(平成14年): 7月、コーポレイトソフトウェア株式会社退社

 

2016年水無月ノ巻

 

水無月某日100周年明専と電機で恩を返すかな

水無月某日詮無くも加齢に棹さし夏迎ふ

水無月某日万歩計チャリンコ乗ってはかどりぬ

水無月某日入梅してマンション村主の嬉々と鳴く

水無月某日武漢行湯船でうなる似十八番かな

水無月某日あと智恵の今日の目線で両断す

水無月某日ワープしてお堀を華やぐ花菖蒲かな

水無月某日予備軍のI/Oもつれるの6月来る 

水無月某日仏説阿弥陀経唱へて頂く西瓜かな

水無月某日生足の足許美人の貌知らず

水無月某日卑しくも血の一滴を粗相せぬやう

水無月某日ほろ酔いのジョークの返せず諍いかな

水無月某日6月や予備軍最期の奉公かな

水無月某日菖蒲池株ごと花に名付けあり

水無月某日バーチャルに手の平大をワープする

水無月某日拙速で一歩踏み出し恥をかく 

水無月某日ハッピ着て呉越で楽しむ祭りかな

水無月某日ドヨメキを聞き映像で確かむドーム観戦かな

水無月某日押されてもおれがおれがを回避する

水無月某日一斉に背筋伸ばして雨を受く

水無月某日・はんなりと岸の流れに半夏生

水無月某日梅雨さなか泥土見せぬ靴美人

水無月某日雨中を親子で横切るつばくらめ

水無月某日発表会メロンみやげにつゆ曇り

水無月某日好き者のかめの飼育の鑑賞会

水無月某日・ぼんやりと辺りにけぶる合歓の花

水無月某日・日盛りや男日傘の流行のる

水無月某日緑陰の風を慕ひて息を接ぐ

水無月某日戦後70年花の成育の平和かな

水無月某日先人の無念を晴らせぬ額の花(つづく)

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2016年11月 4日 (金)

2016年皐月ノ巻「駆けっ句365日生き急ぎ」 烏有

   
 

「駆けっ句365日生き急ぎ」

 
 

烏有

 

烏有(ウユウ)

本名:田中七四郎(タナカシチシロウ)

1943年(昭和18年):10月、

東京都渋谷区

1968年(昭和43年): 4月、 富士通株式会社入社、システムエンジニア職従事

1993年(平成 5年): 1月、 駆けっ句スタート   8月、 胃がん手術

2000年(平成12年):12月、 富士通株式会社役職離任により退社

コーポレイトソフトウェア株式会社入社

2002年(平成14年): 7月、コーポレイトソフトウェア株式会社退社

 

2016年皐月ノ巻

 

皐月某日院展の光に翳る余白かな

皐月某日らくらくフォンをレベルアップ決め夏に入る

皐月某日酔眼で来し方行く末魑魅魍魎

皐月某日暖簾より足許美人の靴光る

皐月某日題字のみで理解した積もりの花眼かな

皐月某日受けて立つあるべきやうはで夏は来ぬ

皐月某日あらましでまずは動いて夏近し

皐月某日連休の宴のあとのものうしや

皐月某日よれよれと自由難儀の夏が来ぬ

皐月某日つかの間の白き航跡や夏の潮

皐月某日決断を前倒ししすぎて墓穴掘る

皐月某日里の香を荷物に詰めて送り出す

皐月某日薄暑の候二度目の彼の地を反芻す

皐月某日マンションの主がへる鳴く梅雨入り前

皐月某日心眼の生兵法にて夏を往く

皐月某日早老の消へさるのみの薄暑かな

皐月某日候やよしそぞろ歩きに風薫る

皐月某日つるりんと飲み込む赤児の羨道昏し

皐月某日回峰行山頂目指せば翠の風

皐月某日木漏れ日の下で一献や碧もみじ

皐月某日・山道を下りて万歩やハイとなる

皐月某日歩キング上がりは出湯のクールダウンかな

皐月某日藤園の盛りを過ぎても列切れず

皐月某日なつかしの武漢で唄ふ北国の春

皐月某日カラオケや異国で唄ふあかしあの雨のやむとき

皐月某日夏の宵ケイタイ失せて踏ん切るかな 

皐月某日翌日の足腰に張り来る障子張り

皐月某日バラ園や賞でてかぐはし100万本

皐月某日歩キング水(酔)分こまめにチャージする

皐月某日列島のストレス軋む夏日かな 

皐月某日PCと足腰ふらつく5月尽(つづく)

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2016年4月 6日 (水)

-「私が、がんになったら?」~治療も仕事も普通にこなそう!~-

会報「希望」投稿 会員田中七四郎2016/3/22

九州大学がん患者支援セミナー報告

-「私が、がんになったら?」~治療も仕事も普通にこなそう!~-

日時:2016317日(木)18:3020:30

場所:北九州市八幡西区産業医科大学病院がんセンター

会場:ラマツィーニホール

2部パネルディスカッション:あなたを支える仲間がいます!

コーディネーター:「がん・バッテン・元気隊」代表 波多江伸子

パネリスト:北九州がんを語る会・西安寺住職 玉水秀孝、

ひまわりの会 日並輝秀、あけぼの会 渡辺加寿子

主催:九州大学病院がんセンター 

 会場には150人超の一般の方、患者会、医療関係者などの人々が集まった。当会の

玉水秀孝さんも三人のパネリストの一人として参加された。最初に波多江伸子さんが

「がん・バッテン・元気隊」の活動状況を説明された。特徴は、ゆる~い、つながりで

必要な時だけ助け合うをモットーに県内の患者会だけではなく全国の患者会とも連携、国や各県のがん政策を学び、患者の立場で提言していることを紹介された。いちばん大切な役割は、がん患者会やサロンの仲間との語り合いと支え合いであることを強調し、特にピアサポート(peer support、同じ背景を持った仲間同士による支援、がん患者や難病や介護にも活用される)の役割の大きな事を主張しており、ピアサポーターの養成に尽力している。ピアサポーターは、医療者とは違った生きたモデル、心の支えになるとの事である。その後、パネラーによる患者会・サロンの紹介があり、病院の中の事例ではひまわりの会、全国組織ではあけぼの会、そして地域の会代表として当会が紹介された。玉水さんからは当会の25年以上の歴史と会の現在の活動状況ー会報毎月発行、例会開催ーなどが紹介された。その後宗教者の立場から会の活動を通して感じてきた生死観について披瀝された。住職は世間的な生死観からの解脱を自分自身の問題としてどのようにして伝えていくかということを哲学的にお話したかったようであるが時間がなくて会場には十分伝わらなかった?チョッピリ残念であった。しかし当日配布された資料の中に住職の会報(あとがき)が添付されていたので持ち帰って熟読された方は世間的な生死観から転換された氏の独自の生死観について理解が深まったのではないかと考える。またお二人のパネラーの方はそれぞれの血液がん、乳がんの患者でもあり会の会員でもあった。お二人は発症して再発に苦しみ、仕事のことを心配しながら一人で悩まないで仲間と支え合って現在も療養中の身であった。がんと共存しながら治療と仕事の両立を上手く図っており、生か死か、どうせ生きるのなら楽しく明るく生きようと多いに笑うことを心がけ、それが余裕となって顕れていることがよくわかった。帰りの夜道は暗かったが有意義な春の宵のひと時であった。

  生き仏のそのまま戴く墓参かな 烏有

 参考文献:毎日新聞朝刊(2016/03/18講演と討論会「私が、がんになったら?」)

(文責 会員田中七四郎)以上。

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2016年1月29日 (金)

「多死時代」を生きる。

会報「希望」投稿。

オピニオン紹介、「多死時代」を生きる。

「希望」会員 田中七四郎

2016/01/29

1.「多死時代」と「2025年問題」

 「2025年問題」とは、団塊の世代(昭和22 (1947) 年生~昭和24 (1949) 年生)2025(平成37) 年頃までに後期高齢者(75歳以上)に達することにより、介護・医療費など社会保障費の急増が懸念される問題です。厚労省は平成27(2015)年に「ベビーブーム世代」が前期高齢者6574歳)に到達し、

10年後の平成372025)年高齢者人口は、約3,500万人((人口比約30%)に達すると推計しています(平成18年厚生労働省・委員会報告書)。これまでの高齢化の問題は、高齢化の進展の「速さ」の問題でしたが、平成27(2015)年以降は、高齢化の「高さ」(高齢者数の多さ)が問題となります。また厚労省は、高齢化の進展による死亡者数の見通しを平成162004)年の全国の実績死亡者総数が約103万人、うち65歳以上の死亡者数が約83万人(81%)でありましたが、平成37(2025)年の推計では年間の死亡者総数が約159万人、うち65歳以上の死亡者数が約143万人(90%)と「多死時代」が到来するというわけです。それによって介護給付金も20兆円に達することが予測されています。これら超高齢社会、多死時代における高齢者医療費・介護費用による財政圧迫は、病床絶対数の不足、医療・介護施設・人材の不足をきたします。いま日本は圧倒的に「病院死」が多い。2013年統計では死亡場所は「病院」75.6%、「自宅」12.9%、「診療所、老人ホーム(特養老ホ・有料老ホ含む)、老人保健施設、その他」11.6%(人口動態調査)である。「自宅」には認知症グループホームやサ高住(サービス付き高齢者住宅)が含まれる。これから来る「多死時代」には必然的に「病院」以外での在宅医療・在宅死(自宅死)の比率が高まっていくものと推測される。「最期は住み慣れた自分の家で過ごしたい」「最期は家へ連れて帰りたい」と考えている患者・家族も少なくない。60%の患者・家族が在宅死を希望しているという調査結果もある。「多死時代」を生きる患者・家族は如何に対応すべきかいまから覚悟と準備をしておかねばならない。患者・家族のみならず地域・社会・医療従事者・国としても医療・介護のサービス体制の見直しを急がなければならない。低い出生率と諸外国に例を見ないスピードで超高齢化が進行している日本では社会保障費用の負担が胴あげ型(1965年、高齢者一人に対し生産年齢人口9.1人)→騎馬戦型(2012年、高齢者一人に対し生産年齢人口2.4人)→肩車型(2050年、高齢者一人に対し生産年齢人口1.0人)社会へ大きく変化していくものと予想される。年金など厳しい社会保障費負担の到来が予測される。小堀鷗一郎氏は来たる「多死時代」には患者側は<「自分・家族が死ぬときは良い病院でよい医師に囲まれているべきであるという固定観念」、また「看取り家族が人の死を身近で経験したことが無いため、肉親の死に対応できないこと」>や医療者側は<「ヒポクラテスの教えに縛られて、死を免れることができない患者によりよき死を迎えさせる技量を習得していないこと」、そして「(医療者側の)研ぎ澄まされた功利主義」>などを再考する必要があると指摘している。

2.「多死時代」を生きる

 確かにいまわが国では「病院死」が多い。ただし近年「自宅死」(在宅死)の割合が増えてきているという(2015/11/18毎日新聞、私の社会保障論、宮武剛氏)。特に東京都では「自宅死」割合が16.7%と全国一位となった。かつて一位を長く維持していた長野県は12.7%で全国19位に後退した。なぜ大都市で自宅死割合があがったのか。前の宮武氏(日本リハビリテーション振興会理事長)によれば<同居家族が父母や祖父母らの入院、施設入所を勧め、一人暮らしや高齢夫婦世帯の方がむしろ自宅で長く暮らす現象が背景にあるようだ>という。また自宅死は家族や知人に囲まれて逝くという「常識」も疑わしい。東京23区内の「異常死」(自殺・事故死・死因不明等)のうち「孤独死」(自宅で死亡の一人暮らし)は4515人(うち65歳以上2869人)。自宅死総数13467人の約34(2013)。壮年期の男性も目立ち、発見まで長く放置される例も多い。他の大都市部でも自宅死も孤独死の増加が要因の一つと推定される>という。わたしたちはどこで最晩年を迎えるのか。終の棲家がどこになっても最期はその人自身が希望する(満足して)死が遂げられるような、その人にとって適切な医療・介護サービスが受けられるようなケアシステム社会が望まれる。

参考文献:卓話「ヒポクラテスの教えなかったこと」

埼玉県新座市堀ノ内院名誉院長地域医療センター長小堀鷗一郎

「おひとりさまの最期」上野千鶴子、朝日新聞出版、2015/11/30\1,400

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以上。

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