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2014年6月に作成された記事

2014年6月27日 (金)

2014年6月の例会報告(在宅サポートながさきクリニック)

20146月の例会報告

-患者、家族が医療者と普段着でがんを語る-

 

日時:2014621日(土)14:0016:10

場所:北九州市小倉北区木町2-12-34  

会場:西安寺

講師:在宅サポートながさきクリニック院長 長崎修二さん(北九州市小倉北区真鶴1-4-11)

主催:「北九州・行橋がんを語る会」

 今回講師は「在宅医師」を自任されている長崎修二さん、在宅医療、訪問診療、訪問看護、在宅看取りなどの基本的な用語や医療の制度面について分かり易くお話していただいた。

 医療は、入院医療・外来医療・在宅医療の3つに分類することができる。ながさきクリニックさんは平成227月に在宅医療専門の診療所として北九州市小倉北区に開設され、現在約120名の患者さんを在宅で診ており主に末期がんの患者さんの緩和ケアを在宅で行っている。ながさきさんのような診療所は在宅療養支援診療所と呼ばれ、患者さん、家族からの連絡に24時間365日体制で応じられなければならない。更に国からの細かい要件を満たしていることが前提で許可されており、全国約12,000機関、北九州にも約100120診療所が存在する。在宅医療は、患者さんの居宅へ訪問して在宅での療養を支援する保険医療である。狭義の在宅医療は訪問診療(計画的・定期的)と往診(臨時)とに分けられる。広義の在宅医療は、診療のみならず訪問看護(患者のお世話)や訪問薬剤指導管理、訪問リハビリなどが含まれ多くの医療従事者が係って行われる。ちなみに訪問介護(ヘルパーの訪問)は介護保険事業の柱としてデイサービス(通所介護)、デイケア(通所リハビリ)、ショートステイ(短期入所生活介護)と共に多業種連携サービスという形で行われている。

 訪問看護は在宅医療の主柱であるが訪問看護ステーションはいま不足している。ながさきさんのサポートエリアはクリニックから16Km以内、西は遠賀郡水巻町、東は門司区太刀浦あたりまでを目安としている。平均1時間2名、18名を診ている。ほとんどの診療所が外来診療との併用なので容易に在宅患者さんを増やせないのが実情。しかし多くの診療所が在宅医療を拡大していけば在宅医療の裾野が徐々に広がるのではないかとながさきさんは期待している。

 看取り医療の基本は緩和ケアである。その人らしい人生の終末を支援する医療でもあるため、人生最後のQOLを高め、家族の支援もする寄り添いの医療として看取りは行われる。家族・遺族への支援はグリーフ(悲しみや嘆き)ケアと呼ばれ遺族会などを通して患者さんの死後も長く行われる。ながさきさんは年間約2030名の方を在宅でお看取りしているという。在宅サポート医として私どものために日夜ご努力されている講師に感謝申し上げます。これからもお身体に気をつけられて益々ご活躍を祈念しています。現在私たちはどこでも気安く「かかりつけ医」を持つことができない情況にあります。家族、一人ひとりが身近にかかりつけ医を持てる環境(制度)になるよう本日講師のような在宅サポート医を通して国(厚労省)などへ働きかけて行きたい。国の制度が確立するまでは不安や悩みなど困ったときは病院では担当医と、在宅時には「がんセンターがん相談支援室」(北九州市立医療センター、tel093-603-1611、内線3166)などを駆け込み寺として活用したい。直接連絡を取り合って気楽に相談する事が賢い患者になる秘訣である。

 さいごにながさきさんは「平穏死」ということばと『「平穏死」10の条件』(長尾和宏著)を紹介していただいた。たまたま該本について筆者も目にしていたので簡単に梗概ご案内まで。

 平穏死は<特別養護老人ホーム芦花ホーム(東京都世田谷区)の石飛幸三先生が、著書『「平穏死」のすすめ』の中でこの言葉を用い>られた。<平穏死とはその言葉の通り「平穏に最期を迎える」ということ・・・自然の流れに逆らい、ただ死期を延ばすために栄養を与えるという延命治療に一石を投じるために「平穏死」という造語を使>って問題提起をされた(p28)。著者長尾和宏さん(在宅医療長尾クリニック院長)は、平穏死、自然死、尊厳死はほぼ同義語と考えて良いと述べている(p30)。ちなみに安楽死は尊厳死と違うもので、日本では尊厳死法案を今国会で提出する動きが活発化しているが安楽死は日本の法律では認められていない。<尊厳死は自発的(消極的)な安楽死といわれている(『安楽死を選ぶ-オランダ・「よき死」の探検者たち、シャボットあかね著)>著者長尾医師は、本書で平穏死10の条件を具体的に提言されている。そして尊厳「死」から尊厳「生」へ、ー「死」を看ることは、「生」を考えること、という思いを込めて著作はまとめられている。(おわり)

 

  二回目はねんねんころりとがんころり 烏有

参考文献:『「平穏死」10の条件』、長尾和宏著、ブックマン社、2012/7/30\1,333

安楽死を選ぶ-オランダ・「よき死」の探検者たち、シャボットあかね著、日本評論社、2014/1/15\1,900

(文責 会員田中七四郎)2014/6/27

以上。

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2014年6月24日 (火)

あとがき20140615

☆事 務 報 告

 

◇621日(土)事務局西安寺にて世話人会開催。会報「希望」第288号製本発送。

◇会報への投稿や製本のお手伝い等をして下さる方は、事務局までご一報

ください。

 

 

あなたらしく生きる

     

 

 

 

✤✤ あ と が き ✤✤

 

6月も半ばを過ぎました。梅雨入りは早かったのですが、今のところ大した雨は降っていません。明日あたりから雨模様とか。地域によっては大雨に見舞われている処もあるようです。どうかお気を付け下さい。

 早速、先月の続きに入ります。天正19(1591)年2月28日に利休は切腹をするのですが、その3日前、25日にしたためたとされる遺偈と和歌が残されていたようです。しかも直筆ではなく、これは千家三代目・宗旦の写しです。

「人世七十 力囲希咄 吾這宝剣 祖佛共殺」(じんせいしちじゅう りきいきとつ わがこのほうけん そぶつともにころす)

「提る 我が得具足の 一太刀 今此時ぞ 天に抛つ」(ひっさぐる わがえぐそくの ひとつたち いまこのときぞ てんになげうつ)

 いずれの辞世句も、信長、秀吉の茶頭としての利休の矜持(プライド)がうかがわれる厳しいものですが、内容的には似たようなものでしょう。「力囲希咄」は「エイッ」という掛け声のことです。「吾這宝剣」「我が得具足の 一太刀」における「吾」「我が」は、ともに我執(エゴ)にまみれた日常の「われ」ではなく、秀吉のみならず禅の師友・古渓宗陳やさらに神・仏の支えをも断ち切ったたった一人の「われ」です。ここには秀吉に対する「私怨」などはいささかもなく、「紅梅一枝と大鉢」や「朝顔の茶会」、さらには「塵穴の花入」や「からの花入」などのエピソードにおいて、利休のとった態度と共有できるものです。「祖佛共殺」とか「天に抛つ」とか実に激しい言葉ですが、利休の「自我(エゴ)」が絶対的に否定されたいわゆる「空の場」に立っての「無我の我」としての遺言ですから、利休の真実の言葉だと言えましょう。これもまた、秀吉に対しては「目を覚ませ」ということになるのでしょう。

 ところで、「情の人」としての利休を知るには、直弟子の一人である芝山監物(しばやまけんもつ 生没年不詳)に宛てた書状が一番でしょう。利休が堺に蟄居(ちっきょ)させられたと聞き、見舞いの和歌を添えて使者を寄越した監物への返歌には、「御詠に又ひとしお涙ばかりに候、返し  思ひやれ 都をいでて 今夜しも 淀のわたりの 月の舟路を」と、都に思いを残しながら、月夜の晩に淀川を下って堺に赴く悲しい心境を、誰はばかることなく吐露しています。この直筆書状には、晩年の「枯れた利休」像は思い浮かばないわけで、山本さんの「情熱の人」という想像もできなくはないが、それはあくまで一面的な見方でしょう。利休の一見矛盾した生き方をあやまたず捉えるには、やはり利休自らがどこに立ち位置を定めて生きていたかをまずは尋ねることが先でしょう。それは権力者・秀吉に仕える野心家としての利休ではなくて、半僧半俗の生涯を貫いた茶人として見るのが穏当な見方ではないでしょうか。すなわち、自らの美意識の高さをひけらかしたり、「美の殉教者」とか「茶聖」という言葉では括れないものでしょう。言い換えれば、他者の追随を許さない美意識の持ち主(目利き)という前提に立って利休を見てゆくと、自分の美学に殉じたナルシスト利休。あるいは、伝統的な美意識に果敢に挑戦した美の改革者利休といった像が浮かび上がりますが、利休の真実がどこまで反映されているのでしょう。以下、次号。               6月16日(T)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 

 

 

北九州がんを語る会

 

 

 

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