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2013年4月15日 (月)

会報「希望」2013/4月号

60歳の過ごし方」

                       

      あらき まりこ

                       

60にして、人生の一瞬一瞬が、凝縮した時間として迫ってくるような逼迫感が、わたしのなかに生まれました。それで、今、今が切実にいい時間であってほしいといっそう願うようになりました。それには、自分のこの「ごちゃごちゃした人生」のなかから、「こだわり」と「あきらめ」を潔く選択せねば、と思います。

最近、「はじめての声楽・歌唱入門」に行き始めました。月に2回ですが、30分思いっきり声を出したらすごく気持ちがいいのです。なんと個人レッスンです。今働いてお金の収支がそれほど窮屈ではないうちに、自分のからだに豊かなものをいっぱい溜め込もうという感じです。お茶のおけいこ着をネットで購入して、茶道も始めました。まだまったくの初心者ながら、もう今から、月に1回はお茶会をしようとか、わくわく目論んでいます。気候がよくなったら、博多の母を呼んで、楽しいお茶会を開こう。簡単なお昼ご飯とその後に抹茶を。今から考えても心が躍ります。

また、今度映画化される予定の「小さいおうち」(中島京子著)という小説を読んで、どうも中身とは直接関係してないのですが、うちの片付けを始めました。家の新陳代謝がいつもできるように生活すること。家も生きもの。今の自分に(夫にも)合ったように、いつも空気を入れ替えてあげること。同時に、マザーテレサの「持たないこと」もいつも意識しておくこと。最小限のもの、でも心を豊かにするものは手放さないこと。

この3月で、すでに61ですが、60歳のこの1年は、なんだか不思議と人生の節目を意識した、私にとってのささやかな「転回の年」になったようです。

    事 務 報 告

◇413日(土)事務局西安寺にて世話人会開催。会報「希望」第274号製本発送。

◇会報への投稿や製本のお手伝い等をして下さる方は、事務局までご一報

ください。

「ぼくは言う」

            谷川俊太郎

      (谷川俊太郎作「どきん」フォア文庫,理論社p.8485より引用)

 大げさなことは言いたくない

 ぼくはただ水は透きとおっていて冷たいと言う

 のどがかわいた時に水を飲むことは

 人間のいちばんの幸せのひとつだ

 確信をもって言えることは多くない

 ぼくはただ空気はおいしくていい匂いだと言う

 生きていて息をするだけで

 人間はほほえみたくなるものだ

 当たり前なことは何度でも言っていい

 ぼくはただ鯨は大きくてすばらしいと言う

鯨の歌うのを聞いたことがあるかい

何故か人間であることが恥ずかしくなる

そして人間についてはどう言えばいいのか

朝の道を子どもたちが駆けてゆく

ぼくはただ黙っている

ほとんどひとつの傷のように

その姿を刻みつけるために

あなたらしく生きる

    ✤✤ あ と が き 

✤✤

七日は当地も春の嵐に見舞われ、枯れ枝があちこちに散乱して後始末が大変でした。今日は一転して空気も澄んでおだやかな春の日和です。ところが東北地方は、各地に嵐をもたらした低気圧が一日遅れて通過中で交通機関も乱れているとか。場所によっては台風並みの風雨だそうで、対応に大わらわといったところでしょうか。

 さて三月の終わりに、三泊四日の旅程で関西地方を経巡ってきました。初日は好天に恵まれ、岡山県玉野市の宇野港からフェリーに乗って瀬戸内海に浮かぶ小島、直島(香川県香川郡直島町、所要時間20分)に渡りました。ソメイヨシノはまだ二分咲きくらいでした。お目当ては花見ではなくて李禹煥美術館(20106月開館)にあったので、残念という思いはありませんでした。くだんの美術館には近作も取り揃えてあり、じかに対面することができて幸いでした。ただ観覧者が思いに反して多かったので幾分騒々しく、残念ながら「日常の喧騒を離れ、静かに考える時間を与え」てはくれませんでした。常識的な美術作品を思い描いて入館した観覧者の中には戸惑いもみられたようです。しかし、絵画や彫刻に対する既成概念を転換するという意味ではこの個人美術館の存在意義があるようです。

 この美術館は、館内にのみ作品を閉じ込めておくようなものではなく、屋外にも作品が配置されていて、建物と作品と周囲の自然とが融合するように配慮されているように思われました。館内の不思議な作品を鑑賞したあと外に出ると、視界が開け彫刻広場の向こうに瀬戸内海に浮かぶ島々が望見されるようになっています。これから徐々に建物と屋外作品が風化してゆくと、スクラップアンドビルドを繰り返すディズニーランドとは正反対に「日常の喧騒を離れ、静かに考える時間を与え」てくれる場所になるでしょう。再訪できる日を待ちたいと思います。

 ところで三日目には、京都・醍醐寺の満開のしだれ桜を見たあと、雨が降っていたので奈良の国立博物館に行きました。ずいぶん昔に秋の正倉院展を見て以来のことです。あの時は、長蛇の列の一員となって長い時間待たされ入館が叶っても、人、人、人で展示物を鑑賞するというよりも、人の後姿を観覧させられるといった具合でした。あの時の苦い思い出をひきずりながら「なら仏像館」展示会場に入ってみると、観覧者は少なくて肩すかしを食いつつもホッとした気分になりました。ふだんは各地の寺に鎮座するはずの仏像が、一同に会していますから時間の節約にはなります。こういう場所にあると、拝観するというよりも古い美術品を鑑賞するといった気分になります。それでも当初の極彩色が退色したり、身体の一部が欠損していることがかえって長い歳月の重みを喚起し、やはり拝観するという気分に変えさせられます。ときおり、静かな館内に頓狂な声が聞こえてきますが、声の主がだれだかわかりません。誰も注意する人がいないので不審に思って声の主をさがしてみると、知的障害をもった少年が付き添いの人に伴われて、こわい形相の不動明王像の前に立っていました。その後、おだやかな顔つきの阿弥陀如来像の前でも声をあげていましたので、感動のあまり声が出てしまったというのが真相かもしれません。不思議な経験でした。                    48日(T

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