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2013年2月13日 (水)

会報希望、2013/2/15発行

あっという間に刈り取られた「ネジバナ」                                   

あらき まりこ

 高校の時習った曲の歌詞が、ふとよみがえって、人知れず頭

のなかで歌い出していることが時々あります。♪折らずに置いて

きた山かげの小百合♪もその一つです。これは、ブラームス作詞、

高野辰之作曲の「折ればよかった」という曲の歌い出しですが、

一昨年の6月頃にこのフレーズが思わず頭をよぎった瞬間を、こ

とさら鮮明に覚えています。その理由を今からお話しようと思

います。ここに歌詞を紹介しておきますね。

        「折ればよかった」

     折らずに置いてきた 山かげの小百合         

人がみつけたら   手を出すだろう

     風がなぶったなら  露こぼそうものを

     折ればよかった   遠慮がすぎた

     ゆうべも夢にみた  山かげの小百合

     星が訪ねたら    宿貸すだろう

     虫がすがったら   うなずこうものを

     折ればよかった   遠慮がすぎた

 実は、私には通勤の道筋に、とてもお気に入りのところがあって、それは職場の建物に入る手前の小さな芝生と、建物の影になる小さな湿地です。湿地は、小雨や雨上がりの日は特に、京都の苔寺っぽい風情で、草の露がキラキラ光ったりして素敵なのです。で、今日の話は、その手前にある芝生のところのことです。そこも四季折々景色が変わって、シロツメクサなどが敷きつめられたりするのですが、私が一番好きなのは、薄ピンクの小さな花がその茎にクルクル回転するようについている、とても華奢な「ネジバナ」をみつけることです。56月になると、まず一本発見!それから毎日、少しずつ、少しずつ増えてくるのです。その姿に、ふと一本手折りたくなる衝動に毎回駆られるのですが、いけない、いけない、ここに生えていてこその美しさなんだって自分に言い聞かせて、いつも採るのをがまんして建物に入っていたのです。一昨年のちょうどその時期、何週間かして、一面にネジバナ!ってなって、今年はすごい!って思った次の朝のこと、なんとすべて刈り取られてしまっていました!一本残らず。一瞬、えっ!なんで!と叫びそうになりました。刈り取るって昨日のうちに言ってくれていたら、思いっきり採ったのにって。あああ、って思った途端に、上の歌が切なく、脳裏に浮かびました。それで昨年は、10本くらい発見した時点ですかさず、「採らせていただきます」とつぶやいて2本確保。自分の机に活けて、一年ぶりに願いを果たした私は、人知れずニンマリ...。また今年も、あの華奢で、クルクルッとしたかわいい姿にどうか会えますように。

(ターシャ・テューダー著,食野雅子訳「思うとおりに歩めばいいのよ」p.1213メディアファクトリーから引用)

  「思うとおりに歩めばいいのよ」

      ターシャ・テューダー

  家族でおもしろ半分に、スティルウォーター教という宗教を作りました。

 スティルウォーター(じっと動かない水)と名づけたのは、ストレスのない平安な生活を信奉する、と言う意味。

 スティルウォーター教徒は、生活を楽しみます。

 重荷にしてはいけません。

 第一の戒律は、フラ・ジョバンニの言葉。

 「世の中の憂鬱は影に過ぎない。その後ろ、手の届くところに喜びがある。喜びをつかみなさい」

 楽しいことは、それを楽しみに待つ喜びも大きいものです。

 楽しい行事は、その日が来るのを楽しみに考え、その日が来たら思う存分楽しみましょう。そして、その楽しみをできるだけ長引かせましょう。

     事 務 報 告

◇216日(土)事務局西安寺にて世話人会開催。会報「希望」第272号製本発送。

◇会報への投稿や製本のお手伝い等をして下さる方は、事務局までご一報ください。

あなたらしく生きる      

  あ と が き  

節分から立春にかけて暖かい日が続きましたが、八日には春の雪。今日も霜が降りて寒い朝となりました。本堂の前の紅梅・白梅は満開を迎えました。しだれ梅の開花はこれからというところです。十一月から咲き出したサザンカはまだ開花と落花を繰り返していますが、そろそろ椿の花にバトンタッチの時期を迎えつつあります。昨年はメジロの姿をあまり見かけなかったのですが、今春はサザンカや椿の花に群れているようで、ひと安心です。そして、梅にはウグイスでしょう。メジロやウグイスの囀りを聴かないと季節の忘れものをしたような気がします。

さて、先月号まで続いた李禹煥の「余白の芸術」に面白い「断章」がありましたので、余滴として掲げておきます。

「千利休は、秋の庭に散在する落葉を眺めて、心を打たれひらめいた。そこで彼は庭をきれいに掃いてしまい、拾い上げた数枚の落葉をパラパラ撒き直して、さらに楽しんだのである。最高の表現とは、無から創造することではなく、そこにあるものをズラすことによって一層鮮やかな世界を見えるようにすることのようだ。芸術家の仕事は、あるがままをアルガママにすることにある。」

(画集の断章より)

 秋の庭に散在する落葉を眺めて」無常を感じたり、美しい光景に心打たれることは、利休ならずとも誰でも経験することではあるけれども、「庭をきれいに掃いてしまい、拾い上げた数枚の落葉をパラパラ撒き直す」行為は利休ならではのものだと言えるでしょう。利休は傍観的、一方的に眺め「もののあわれ」を詠嘆するということに停滞はしない。利休の一連の一瞬の行為は、落葉と一つになって「無の場所」「空の場」(庭)を開き、無となって無底の世界に浸透し、そこから翻って新しく蘇った落葉(利休)として、世界の内に現われてくる(現前してくる)ということを意味します。それは同時に永遠の秋に出会うということでもあります。さらに、彼の一連の行為は「あるがままをアルガママにする」一期一会の仕草とも言えるでしょう。これは、秀吉の眼前で紅梅一枝を逆さにし、しごいて満面に水をたたえた大鉢にまいた行為と通底するものです。

同じことは「自分の俳句というものは、一つ一つ辞世である」と言った芭蕉の俳諧の旅にも言えるでしょう。

 「西行の和歌における、宗祇の連歌における、雪舟の画における、利休が茶における、その貫道するものは一なり」

 これは松尾芭蕉の有名な言葉ですが、我意を捨てて真実の道を歩いた先達に学ぶということが含意されていると思われます。        210日(T

北九州がんを語る会

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