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2012年11月28日 (水)

会報希望、269号、2012/11/15発行

平成24年11月

吉武 昌子

朝の冷え込みや、風の冷たさが冬らしくなってきましたね。

街の雰囲気も、クリスマスのネオンが煌く幻想的な風景です。

幾つになっても、クリスマスはワクワクしてきます!!

~ 骨髄バンクドナー登録会情報 ~

11月2日 産業医科大学 医生祭会場 ドナー登録者数 9名

11月3日 産業医科大学 医生祭会場 ドナー登録者数 8名

今年も学生さん、一般の方の温かい気持ちを登録用紙に頂きました。

~ ピアサポート研修に参加して ~

ピアサポート…皆さん、この言葉をご存知でしょうか?ピア=同じ仲間。今回のプログラムは、厚生労働省による委託事業「がん総合相談に携わる者に対する研修プログラム策定事業」として、「ピアサポート」に関わる人が基本的な事項を学ぶ場として、設けられました。

このプログラムにおける「ピアサポート」とは、がんという病気を体験した人やその家族などが仲間(ピア)として「体験を共有し、共に考える」ことで、がん患者やその家族などを支援していくことを言います。


ピアサポート研修は全部で5回開催予定ですが、わたしは3回目からの

参加となりました。31名の出席者と共にピアサポーターとしての意義・役割・医学的基礎知識・心得・模擬相談等を学び、グループディスカッションで活発な意見を飛び交わし、検討・討議していきました。

サポーターとして活動すれば、個人的な感情・意見も出てきそうですが「ピア(仲間)ならではの支援が出来る」ことこそが、サポーターの意義なので感情・個人的意見・医療行為に関する内容などには、踏み込まないことが原則です。

あくまでも同じ境遇を理解できる仲間の共感の場であり、支えること…、
簡単そうですがサポーターも自身の立場や、発言の与える影響を考えつつ患者さんと対話をしなければなりません。

病院からの要請を受けて、実際に入院患者さんと対話されているサポーターの方から、「不安を吐き出させること」の重要性も聞くことができました。不安な気持ちを吐き出してもらい、それに共感し、次に踏み出せる気持ちに導く…、まさに不安を取り除く心のケアです。医師・看護師には出来ない、仲間同士のケア(共感)こそが患者さんを安心させるのですね。

今回の研修に参加して感じた事は、サポーターの皆さんが患者さんに親身に真剣に向き合っている事、そして情報を吸収していく勤勉さです。
スキルを向上させることで、相談者側に疑問を抱かせるような顔を見せない!安心して不安を吐き出せるような環境作りとして…。
決して簡単なことではありませんが、そこには、仲間としての患者さんになんとか安心してほしい、という思いが感じられました。


ピアサポーターが増えることで、たくさんの患者さんが安心して治療に専念できれば…。今回のような研修が、今後も開催される事を切に願います。

93歳の今、思い出すこと」(前号のつづき)

                                   

                  沖 ヤス子

    その3-姉のこと

 姉ちゃんは、私が遊ぶ時は少し離れた所からにこにこして見ていました。またいつも私に人形を作ってくれていました。人形といっても座布団をくるりと巻いてタオルで頭を作ったものでしたが。それを負い紐で私におんぶさせて、人形の背をぽんとたたいて、さあ遊んでおいで、と言いました。私は人形をおんぶして遊ぶのがわくわくするほど嬉しくて、友だちとにこにこと過ごしました。

 ある時わんぱくな男の子たちが姉ちゃんに目をつけて、三・四人があの

子にちょっかいを出して来いというふうな声が聞こえてきました。私は、それに気づいて、どうしようか、どうして姉ちゃんを守ろうかと考えました。男の子たちが姉ちゃんの方に歩き始めたと同時に、私も歩き出しました。どうしたらよいかわからぬまま男の子たちが走り出して姉ちゃんに近づいた時、私も走って姉ちゃんのそばに行って、思いっきり大きな声で大泣きしました。その途端男の子たちはちりぢりに逃げて行きました。それからというもの、姉ちゃんを守る時には大泣きすることに決めました。

 ある日男の子が私のお人形の頭を取って逃げてしまったことがありました。私がしょんぼりしてうちに帰ると、姉ちゃんは何も言わずに、私の背からお人形をおろして、前より大きな頭を作って、自分の一番の晴れ着を着せて、もう一度私におんぶさせて、やはりお人形の背をぽんとたたいて、さあ遊んでおいで、と私をお友だちの方へ押しやりました。私は嬉しくて涙が出ました。

 ある冬の日には、学校が終わって姉ちゃんをおぶったまま、先生に見送られて校門を出たものの、三十分もしないうちに大量の雪が降り始めて困ったことがあります。急に降り出して、姉ちゃんをおぶったまま、進むことも学校に引き返すことも出来ないまま、歯をくいしばってうずくまっていると、馬車引きのおじさんが通りかかって、はよう乗れ、と言いながら、姉ちゃんを抱き上げて馬車に乗せてくれて、二人を家まで送ってくれました。このことを思い出すたび、おじさんにお礼を言います。今になってもありがたさで胸がつまります。

 姉ちゃんは長いこと入退院を繰り返していました。私は姉ちゃんの入院のたびに親戚に預けられていました。母の姉さんの家や兄さんの家などにです。小学校一・二年生頃には母の姉さんのうちに預けられましたが、その時は従兄弟の兄さんが、食事のときいつも、「おれのそばに座れ」、と言って、おかずの説明などをしてくれていたことをよく覚えています。その家では、山芋汁の時は麦ご飯でしたが、その従兄弟の兄さんが私に「今日はどうして麦ご飯か知っとるか。」と聞いて、「今日は山芋汁だから、つるつるご飯が入って消化が悪いので麦ご飯なんじゃ」と説明してくれて、他にもなにかと優しくしてくれたのです。その兄さんは、あとで鳥栖駅の駅長さんになったのですが、やっぱり偉くなる人は、心もちがうなあと、あの頃よく思ったものです。

    その4-姉との別れ

姉ちゃんが死にました。姉ちゃんが死んだ前の日は、学校から帰ると、お医者さんが来ていました。本家や分家のおばさんたちも来ていて、何だか言葉もかけられないような雰囲気がありました。姉ちゃんは板の間に布団を敷いて、母に抱かれていました。姉ちゃんの腹がぴかぴか光って、お医者さんが姉ちゃんの横腹のあたりに、管のついた注射器を刺していて、管の先は洗面器につかっていて、水のようなものがたくさん流れ出ていました。おばさんが「水を出して、楽にしてあげんといけんねえ」と言っていました。私は静かにして、早く布団にもぐりこんでいました。そのまま眠っていたらしいのですが、何かの気配で目がさめると、母が「今日が最後だろうから、妹と一緒に寝なさいねえ」と言って、姉ちゃんを私に抱かせるような格好で私の布団にすべりこませました。私はその時は息を殺してみていたのですが、いつの間にか眠ってしまって、朝方目が覚めて枕元を見たら、ろうそくが一本と、線香が一本燃えていました。ああ、姉ちゃんが死んだのだ、と思ったら、涙が次々と出てきて、それから長い時間眠ったふりをして泣き続けていました。

葬式の日に、部屋の隅で、お坊さんのお経を聞いていると、姉ちゃんの担任の先生がお参りにみえて、私を、少し苦しくなるくらい抱きしめて、声を出して泣きました。私も一緒に泣いて泣きました。姉ちゃんは、大きな甕に座らされて、近所のおばさんたちが作ったたくさんの白いさらしの袋にお茶の葉をつめたものを、膝の上や足の下、からだのすき間のいたるところに、たくさん入れられました。今考えると、この当時は土葬だったので、姉ちゃんはこんなふうに甕に入れられたのでした。

長い行列を作ってお墓に行って、帰ってくると、母が居ないのに気がつきました。心配になって探し回ったら、近所の小川で洗濯をしている母をみつけました。あ、ここに居た、と安心して駆け寄りましたが、声はかけられませんでした。母も泣いていたのです。母の涙が小川にポトンと落ちて、ポトンと落ちて、水の上にポトンスーと糸を引いて流れていきました。そのポトンスーの涙を、私も座り込んでじっと見ていました。だいぶん長い間、ポトンスーの涙を見ていたのですが、母が泣かなくなったのを見届けて、私はそのまま黙ってそおっとうちに帰りました。

   あ と が き  

朝晩ずいぶんと冷えるようになってきました。日当たりのよくない場所は別にして、黄葉(紅葉)も本格化してきました。七日が立冬で、二十二日が小雪(しょうせつ)です。いよいよ本格的な冬の準備に入らなくては、といったところです。とうとう衆議院は解散され来月には選挙が行われることになりました。言わずもがなですが、高らかに掲げられたマニフェストは破たんの憂き目にあったようです。それは同時に与党のみならず野党をも巻き込んで掲げられた政治理念の破たんでもあります。

 さて、先月の続きに入ります。「余白の芸術」の中で李禹煥は近代的自立的自我中心主義の現状と末路を次のようにまとめています。

『近代主義の数世紀の間、人間はロゴスの表象を神に仕立て、作ったもののみに価値を認める自立の文明を形成してきた。作らざる世界(自然)は、文明の反対概念として、無秩序な素材にすぎない無価値のものとされた。生産主義による文化のみが優秀な人間の徴表だったわけである。このような人間中心の旗印の許に資本主義が発達して、地球の資源をほとんど使い果たし結果的には食糧不足と環境公害、自然異変を招くことになった。そして人間が作ったすべてのものと、人類と地球を一瞬にして吹っ飛ばす原水爆を山ほど製造し続ける中で、なお生き延びる可能性を問うている。二一世紀。これ以上制作中心に進むべきか。それで誰かと破壊と滅亡のために戦争ごっこをすべきか。むしろ自爆すべきか。もし生き延びることを願うならば、これ以上の大量生産や本格的な戦争は不可能なはずではないか。可能性は生きる方向にしかない。そのためには対話と連携が要求される。もはやいかなる地域どんな表象の神も神聖ではない。ロゴスの閉じた指向性より、他との相互的な関係が注目される時が来た。文化の概念が変わらねばならない。』(「未知との対話」)

 ここで注釈しておかなければならないのは、「文明」と「文化」の区別、それと「ロゴスの表象」「ロゴスの閉じた指向性」という言葉でしょう。「文明」が人間の広義の技術的・物質的所産を指し、「文化」が狭義の芸術・宗教・道徳・哲学などの精神的所産を意味するものだと受け取って大過ないでしょう。問題は後者です。李の文脈からすれば、「ロゴスの表象を神に仕立て」るとは、近代的自立的自我意識(理念)を中心にすえて人間と世界を切り離し、人間は世界の外に立って世界を二元的に対象化し、世界はつねに人間の思う通り(理念の主として)の価値体系化された像として同一化されるということ。「ロゴスの閉じた指向性」とは、直接世界に出会うことなく閉じた自我意識の内側から一方的に立てられたロゴス(理念)は、その出発点からして観念的・抽象的たらざるを得ず、所詮、虚像にすぎないということ。

 そして「もはやいかなる地域どんな表象の神も神聖ではない」という言葉の背後には、李自身の苦い経験が息づいていると思われます。それは、1960年代前半に在日韓国人として韓国の軍政反対と南北統一運動に関り、74年、韓国旅行中に北朝鮮とつながりを持つ工作員の嫌疑をかけられ、韓国中央情報部(KCIA)に連行され厳しい尋問と拷問を受けたことです。しかも人民解放を目指して建国された北朝鮮も李の願う方向には行きませんでした。結局、近代ヒューマニズム精神(人間中心主義・人文主義)の発露としての政治的・宗教的・文化的理念も、独我論(自我中心主義的)か自我拡大欲丸出しの社会主義的全体主義・帝国主義(特定の「人間」を主体とする)を量産するか、せいぜい修正主義を生み出すのが精一杯だったということです。さらに厄介なことに、「近代自然科学の基本姿勢は、自然自体の研究や対話にあるというより、人間の理念としての仮説を対象化する制作術であった」(「出会いを求めて」)がゆえに原水爆の製造を許し、食糧不足と環境公害、自然異変を招く元となったということです。すなわち、『人は、万物の尺度の「人間」となる悪い夢をみた。人間の自己疎外現象は、人間が世界のなかに世界と共に生きていることを忘れるときからはじまった』(「出会いの現象学序説」)ということでした。

以下、次号。

1122日(T

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