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2012年5月24日 (木)

あとがき2012/4/9

        事 務 報 告

324日(土)事務局・西安寺にて世話人会開催。会報「希望」第261号製本発送。

◇会報掲載の原稿の投稿や製本のお手伝い等して下さる方は、事務局までご一報ください。

あなたらしく生きる

  あ と が き  

四月四日は春の光が天地に満ちる二十四節気の清明でした。ソメイヨシノがようやく五分咲きを迎え、今日はほぼ満開です。開花は例年より遅かったようですが咲き出してからは一気に開いたようです。

 ところで、「茶の湯とはただ湯をわかし茶を点てて飲むばかりなるものとしるべし」と利休は歌ったそうですが、ある時には「茶の湯トハ只湯ヲワカシ茶ヲ立テノムバカリナル本ヲ知ベシ」(「南方録・滅後の巻」)と語ったと後世の人は書きつけています。『利休の高弟・南坊宗啓(なんぼうそうけい)が聞き書きしたもの。』利休のこの厳しい断定的口調はどこに立って発せられたかということが問題となります。ただ熱くもなく冷たくもない世間的日常の内部で、息抜きのためにあるいは高級な趣味としてお茶を喫(の)むこととは質的に全く異なることははっきりしています。茶会の席は一期一会の現在的現場(非日常の日常底)で主人と賓客が傍観者を交えず、「喫茶」を縁として真実の出会いを重ね再び日常に去って行く場でありますから、木戸をくぐり露地を通って茶席に入った瞬間、瞬間から厳粛な修業の場でもあります。主人と賓客の一挙手一投足は勿論、主人によって吟味され用意された茶道具、床の間におかれた花瓶や花や水、香炉や香合や掛け軸、茶室という建物と内部の壁などなど、そのいちいちが「只湯ヲワカシ茶ヲ立テノムバカリナル」行為の裏側に厳然と張り付いているということ、これを見失ってはならないでしょう。しかも茶席の極度に狭い空間は野点(のだて)の席は言うに及ばず、世界に開かれてあるということも利休の茶道においては重要な要素と言えるように思われます。また、「しるべし」ということも局外者として対象的に知るということではなく、現在的現場で直接に知るということであり、いわば知らずして知るということでなければならないでしょう。禅において「遇一行修一行」(ぐういちぎょうしゅいちぎょう)という言葉がありますが、利休が行じる茶の湯の修道もまた、自己を忘れてその時その場で全力をあげて「只湯ヲワカシ茶ヲ立テノムバカリナル」ことになりきることだと言わなければなりません

 利休が行じる「茶の湯」がこのようなものとして一貫していることをあらためて確認しておくならば、「紅梅一枝と大鉢」「朝顔の茶会」の逸話における利休の本意も自ずと見えてくると思われます。これらの逸話が、他者の追随を許さない利休の美意識の高さと力量を称賛したものだと受け取るならば、利休の真意から離れてゆき曲解と誤解の道をたどることになるでしょう。言い換えるなら「指月集」そのものが茶聖利休の神話集へと堕ちてゆくことになるでしょう。利休を茶聖に祭り上げないためには、権力者・秀吉の眼前で紅梅一枝を逆さにし、しごいて大鉢にまいたこと、秀吉が見たがった露地の朝顔をすべて刈り取って一輪のみを生けたこと、これら茶頭としての利休の一瞬の行為にまずは目を向けるべきでしょう。

では、利休の動静一如(どうじょういちにょ)とも言うべき無心の行為は何を物語っているか。それをあえて言葉で説明しますと、秀吉ならぬ秀吉(唯一人としての秀吉)、利休ならぬ利休(唯一人としての利休)、紅梅ならぬ紅梅(真実の花としての紅梅)、朝顔ならぬ朝顔(真実の花としての朝顔)、花器ならぬ花器(広狭、大小、長短、大自在の花器)が空寂の場において直接に一堂に会しているということに、一挙に秀吉の眼を覚まさせるための荒療治(老婆親切)としてやったとでも申せましょうか。つまり、見る見られる関係を破り、自己を忘れて梅花や朝顔のもと(元・本)に馳せ参じること。その瞬間、瞬間に「空華」(くうげ)ともいうべき肉眼で対象的に見ることのできない真実の花の「いのち」が光り輝いている。言葉を失うほどの眼前の美しい光景に目を奪われた秀吉は、はたして自身の脚下で光り輝いている「いのちの花」の存在に本当に出会ったのかどうか。それは一瞬の光芒にすぎなかったのか。

年、利休に切腹を命じた秀吉は残念ながら、真実の利休の姿にちょっと触れただけで終わったのではないかと思われます。秀吉は肉眼で見える美を求めて放浪を繰り返すいわば貪欲な美の猟人であり、利休の美意識の選択は、自己の脚下に対象的には見えない形ですでに来ている絶対の美(自ずから然らしめる自然の美)をありのままに受け取ってそれを生かしきること、そこに利休の全重心は掛けられているよう

に思われます。そもそも美に対する二人の態度は全く逆で、利休が梅花を逆さにしてしごいたり、露地の朝顔を全部刈り取った行為は、秀吉の美意識の選択のあり方そのものを全否定する意図があったのではないかとすら思われるくらいです。秀吉が用意した一枝の梅花も彼が所望した露地の朝顔もかつての姿は全く留めず、蕾と花びらにばらばらにされて大鉢にまかれたり、床の間に一輪のみ生けられたりと全く別の姿に変えられているのですから。しかも同時に、鉢全体に浮かぶ蕾と花びらや、床に生けられた一輪の朝顔は全く新しくよみがえった姿として秀吉の眼前に現れ出たのです。利休は否定と肯定を同時に一瞬の行為としてやっていますから、秀吉は気づかず、ただ眼前の美しい光景に惹きつけられるのみ。この瞬間、秀吉と利休の麗しい出会いは成就しているのですが、そこから日常に戻った秀吉の意識に革命的変革は残念ながら起らなかったということでしょう。後年の二人の不幸な別れから推し量るに。以下、次号。

4月9日(T

北九州がんを語る会

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加入者名 北九州がんを語る会

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受信: 2012年5月25日 (金) 09時06分

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