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2012年5月 4日 (金)

術後19年を生かされて、-在宅でネンネンコロリがんコロリ

会報「希望」投稿

術後19年を生かされて

 -在宅でネンネンコロリがんコロリ

2012/5/06

会員 田中七四郎

 胃がんの手術を受けて19年になる。術後4年の時点での感慨は、寛解やこおろぎないて丸四年。5年目から8年目までは、寛解やこおろぎないて丸五年、寛解やこおろぎないて丸六年、寛解やこおろぎないて丸七年、寛解やこおろぎないて丸八年。10年目では、こおろぎや術後10年がんを読む、と「駆けっ句365日生き急ぎ」で詠んではや9年になる。アラ(ウンド)フォー(ティ)ならぬアラ(ウンド)コキ(古稀)となる今年は、在宅でネンネンコロリがんコロリ、が今の心境である。オレガオレガで企業戦士をまっしぐらに突っ走っていたのが突然がんに罹って神仏を頼み自然を畏れる気持ちに変わってきた。お互いの立場はいつ変わるか解らない、見舞い者側の目線と患者側の視線とには違いがある、という偏正回互や、西安寺の蹲(つくばい)にある吾唯足知という意味が分かるようになってきた。がんの治療はてんでんこ治療に如くはないということが分かった。原発性か再発かまた、部位や男女、年齢、掛けられる治療費によって治療法は異なる。患者はそれぞれが自分にあった治療方法、生き方、死に方を選択する必要がある。日頃から家族ぐるみで賢い患者になる工夫をして自己責任でやるだけやって後は自然現象(人ハ100%死ヌ)に任せたい。最期は特別な延命策をとらない、何もしないという選択を採りたい気持ちが強くなった。オレガオレガでない自分の役割とは何か。俳人池田澄子氏のじゃんけんで負けて蛍に生まれたの>という句にひかれる。また江戸期豊後日田の私塾「咸宜園」を開いた廣瀬淡窓(17821856)の漢詩、桂林荘雑詠示諸生に<君汲川流我拾薪(君は川流を汲め我は薪を拾はん)>と詠んでいる行がある。ヒトは60兆個の細胞があり、<細胞同士は相互補完的に役割を決めており、細胞の分化は関係性で決まる。「君が脳の細胞になるのなら僕は肝臓の細胞になろう、そっちが皮膚を作るのならこっちは筋肉を作ろう」(「動的平衡」福岡伸一著)>。アポトーシスということばは、プログラム化された細胞死と訳されている。人間には今でもカエルにあるような水掻きがあるが生まれてくる時点で無くなっているといわれている。水掻きの細胞は死ぬ目的のために生まれてきているのである。しかしその水掻きの細胞は人間のためには大変大切な役割を果たして日の目を見ないで従容?として逝っている。これこそオレガオレガでない自己の役割の理想があるのではないか。そのためには一人ひとりがその場のTPOを弁えて適切な想像(創造)力をはたらかせられる器量が問われる。惻隠の情はそんな器量を養い育てるアジア社会が誇れるすぐれた徳目の一つではないかと考える。世界へ向かって自信を持って輸出していきたい文化力である。

さいごに術後19年を生かされているいまの願望は、ひとはピンピンコロリが理想の死に方といわれているが、小生は、連れ合いを在宅でネンネンコロリがんコロリ、で看取りたい。

今日日本人のおよそ半数がんに罹り、三人に一人ががんで死んでいく時代である。がんは(細胞)老化の一種である。がんにも免疫があるかもしれない。いつの日か在宅で安全・安心して死ぬことができるような科学技術の発展、国の施策・環境整備の時代が来ることを信じている。できれば連れ合いのがんの介護を在宅でしてあげて死にたいと願っている。

それもよかろうちゃからかぽん

死んで花実が咲くものか

がんで死ぬばかりではなし返り花 烏有

以上。

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