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2011年10月 7日 (金)

あとがき(2011/8/15)

        事 務 報 告

723日(土)事務局・西安寺にて世話人会開催。会報「希望」第253号製本発送。

あなたらしく生きる

  あ と が き  

朝から曇っています。小雨まじりにもかかわらずクマゼミが盛んに鳴いています。ときおりツクツクボウシの鳴き声がまじっているような気もしますが、定かではありません。お盆も過ぎて猛暑、溽暑(日本独特の蒸し暑さ)の日々もようやく終わりに近く、残暑あるいは餞暑の時節に移ってきたようです。「餞暑」(せんしょ)とは、去りゆく夏が別れの餞(はなむけ)の意味を込めて残していった暑さのこと。そして23日には二十四節気の「処暑」(しょしょ)を迎えます。処暑は暑さが休まるという意味で、新涼(秋涼)が間近いことを告げてくれるということ。

 日本の暦は、明治6年(1873年)の太陽暦(新暦)の採用によって西欧列強の仲間入りを果たしました。グローバリズムを推し進めるという観点からはプラス面も多かった半面、日本人の生活に根付いた年中行事を空洞化させてしまったというマイナス面もあると思われます。長谷川 櫂という俳人の「日本人の暦」(筑摩選書0009 2010年12月15日)をこのごろ愛読していますが、いろいろと教えられることが多いようです。『日本人は三つの時間構造を生きている。明治六年に採用された「太陽暦」、それまで日本文化の土台となっていた「太陰太陽暦」(旧暦)、そして太古の「太陰暦」(太古暦)。』

 そこで「二十四節気」の見直し。このごろ某テレビ局の気象予報士が節目、節目に二十四節気のことを交えて解説しています。生活に密着した番組としてとても好感が持てます。旧暦は基本的に月の満ち欠けを基準にしていたけれども、太陽の運行をもとにした二十四節気を入れることで一年を二十四等分にしていたのです。地球上の四季は太陽の運行をもとにしたものであることは周知の通りですが、推古天皇の時代に中国から移入された旧暦は太陰暦だけでは季節感がずれてしまう事を知っていました。(月が12回満ち欠けする旧暦の一年は地球が太陽のまわりを一周する太陽暦の一年より10日ほど短いから五年に二度の割合で閏月を入れざるを得なかった。)もとをただせば中国渡来のものとはいえ、二十四節気の導入は季節の変化に敏感な日本人の生活習慣に深く浸透したものだったのです。自然への畏敬の念も長い時間をかけて育まれたのだと思います。

 明治6年の太陽暦導入後、欧化主義を急ぐあまり二十四節気の存在を軽視したことが自然への畏敬の念をも喪失したとしたら残念でなりません。山口県の上関(かみのせき)で進められている原発設置をめぐって、地主の一人である神社の神主さんが最後まで反対したのは、今回の福島原発事故を持ち出すまでもなく自然への畏敬の念を忘れないようにという思いが強かったのかもしれません。地域経済活性化の名のもとに神社の森を壊すのは忍びなかったのでしょう。 8月18日 (T

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