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2010年9月 2日 (木)

あとがき(2010/3月号)

✤✤ あ と が き ✤✤

10日は終日大荒れの天候でした。突風と共に雨まじりの雪、雪まじりの雨が激しく降り続きました。今年一番の積雪(春の雪)となりました。翌朝は一転して晴れの天気となり、屋根に積もった雪が音を立てて滑り落ち、軒の下にかたまりとなって積もっていました。夕方にはほぼ溶けてしまったようです。甘美でほろ苦いなごり雪とはなりませんでした。

先月「人はパンのみにて生きるにはあらず。神の言葉による」という聖書の言葉を大雑把に掲げてしまいました。私はクリスチャンではありませんので、護教家でもなく唯心論者でもありません。ましてその対極にある唯物論者でもありません。こういう発想にはいわゆる近現代のヒューマニスト、無神論者の影が漂っているのであまり使いたくありませんが、マタイ伝(四・1-14)からの引用としては雑でしたのであらためて書き継ぎます。

いちおう正確にはイエスが40日40夜、断食をし、その後空腹になられて、悪魔が―現代風にいえばヒューマニストでしょうかー神の子イエスを試すという状況設定になっています。悪魔いわく「もしあなたが神の子であるなら、これらの石がパンになるように命じてごらんなさい」。これに対するイエスの答「『人はパンのみにて生きるにはあらず、神の口から出る一つ一つのことばにて生きるものなり』と書いてある」。という風になっていて、イエスの悪魔の問いに対する答としては間接的で、悪魔の期待するようなものではありません。「生きる」ということに対する悪魔の問いとイエスの答には、同じ世界に生きていながら「生きる」支えの次元をめぐって、まるで違うものがあるのです。言い換えれば、イエスは悪魔の誘惑に乗り悪魔と同じ立場から、悪魔の期待したような答をしていないのです。悪魔からみれば自分の切実な問いをはぐらかされたとしか思われないでしょう。イエスにとっては「神の口から出る一つ一つのことば」の一つで、必然的にパンは大事ではあるけれども、相対的な一つでしかない。それに対して悪魔にとっては生きてゆく上で唯一絶対の一つ(条件)だったわけです。神の存在を信じない悪魔は善魔でもあるわけですが、いわゆるヒューマニストの問いとしてはまっとうではあるけれども、一時的一面的でしかないということです。

私たちは「生きる」とか「生命の尊厳」というものを、なんの根拠もなく当然の権利として主張しがちですが、人間的(個人的・社会的)生死(しょうじ)の底なき根底にはそれを超え包む「いのち」があるということを往々にして見過ごしてしまいます。イエスの答には、そういう私たちの生き方をただす暖かくも厳しいニュアンスがこもっているように思われます。          3月12日 (T)

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