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2010年9月 2日 (木)

あとがき(2010/2月号)

✤✤ あ と が き ✤✤

 今日は雨。昨日が春を思わせるような暖かさでしたから、まだ二月なのに春雨と錯覚しそうな模様です。庭の紅梅、白梅はいま満開です。しだれ梅は昨日の暖かさに誘われてちらほら咲き出しました。満開となるのは一週間先のことでしょうか。

 何ということもなくテレビを見ていたら、ハリウッドの有名な男優と女優が離婚の危機に陥っているという芸能レポーターの報告がありました。男優は私も映画で知っている人でしたが、女優は知らない人でした。その私の知らない女優さんは仕事で稼いだ大金の一部を、世界(アフリカ?)の飢餓に苦しんでいる子供たちを救うために寄付している人らしい。そういう慈善事業に大金をつぎ込むことを惜しまない人が、いちばん身近な生活のパートナーとは不和であり危機的状況にあると野次馬的な皮肉をこめてレポートしていました。

 持たない傍観者から見るとなんとも羨ましいという感情とともに、その人の救いはどこにあるのかしらと思ってしまうのが一般的な人の抱く感情かもしれません。結局、救いとは何かということに収斂されるかもしれません。精神的にも物質的にも安心を得るということでしょうか。言い換えると、生きる(死ぬ)とはどういうことかという問題になるように思われます。明日死ぬかもしれないという飢餓状態の人々に物質的に援助するということは、その行為は一面立派な行為でしょうが本当の救いとはいえないでしょう。悪くすると当人の意に反して金持ちの道楽行為(偽善的)でしかないというそしりを受けるかもしれません。一種の一時的な保身行為。

 こういう問題に直面した時いつも思い浮かぶのが「人はパンのみにて生きるにはあらず。神の言葉による」ということばです。パンは人が生きていくのに欠かせないものであるにもかかわらず、それを容認しつつもっと大事なものが欠かせないと言われているのです。神といい、神の言葉といい私たちにとっては目にも見えず耳にも聞こえないものです。近現代のヒューマニストにとっては認めがたいことばです。神の存在を信じる者にしかできないと反論されるのがオチでしょう。しかし「人間とは何か」「生きるとは何か」ということを突き詰めて考えた時、おろそかに聞き過ごすことばではないように思われます。

2月10日 (T)

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