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2010年8月に作成された記事

2010年8月28日 (土)

垣添 忠生氏 講演会に行って来ました。

垣添 忠生氏 講演会に行って来ました。
平成22年8月1日 吉武 昌子
読売新聞に掲載された国立がんセンター名誉会長 垣添先生の「自宅で妻の最期を看取る」。
ご覧になられた方もいらっしゃるのでは、ないのでしょうか?
その垣添先生が福岡で講演されました。奥様のガンとの壮絶な闘いを、大切な思い出話と写真・
笑いを交えて語って下さいました。
~妻の病歴~
奥様は、若い頃に膠原病に罹り長い間、ステロイド治療を受けていたそうです。
その後、甲状腺がんで手術を2回、2006年3月の検査で右肺下に4mm~5mmの影が
見付かったそうです。小さ過ぎるため診断がつかず様子見。同年9月、影が6mmになり形も
変化。小細胞肺がんの診断がつきました。アムルビシン、シスプラチン等の抗がん剤治療にも、
弱音を吐かなかった奥様が唯一、強く願ったこと…「自宅で死にたい。」
~在宅医療~
年末年始を自宅で過ごしたいとの要望に、12月28日から在宅で過ごされたそうです。
最初は、派遣看護師をお願いしていたそうですが先生自身が、看護師さんに清拭の仕方を習い
看られたそうです。しかし4日後の18時15分、最後にしっかりと先生を見つめ息を引き取られ
ました。「在宅医療を望む患者さんを支えるネットワークが大切。」。先生は、語られました。
急変時に対応できるネットワーク。在宅医・介護士・看護師・病院の連携です。
幅広く地域も取り込んでの在宅での看取り。在宅医療のおおきな課題ですよね。
~私の再生の記録~
奥様を亡くされてからは、泣きくれて寂しさを仕事で紛らす日々で大好きなお酒も、美味しくなく
酔えなかったと語られてました。
部屋の片付けをしていて、奥様の洋服を見れば涙が出る…
聞いている私も目頭が熱くなる程、辛い時期を送られた先生ですが「前向きに何かをやる。」と、
決意して本の執筆、講演など活動されています。
医師・患者家族・患者会等の立場の思いも分かるからこそ、講演後の質疑応答もかなりの
時間を費やして答えて下さいました。
Q)がんにならない生活習慣は、ありますか?
A:喫煙・食事・感染症と要因は多々、ありますが二次・三次がん予防の為にも、禁煙を勧めます。
Q)がんセンターは、三大療法(手術・放射線・抗癌剤)しか行わないのか?
A:根拠のない療法(民間等)は、行えない。代替療法は、害が無いとは言い切れないので。
Q)がん難民相談所とは?
A:相談支援センターに相談員を三人配置しているが、十分な人数でない。
 個々の病院で対応出来る様にする事がひつようだと思う。
Q)認知症でがんを患った場合は、どの様に対応するべきか?
A:患者さんと周囲の状況を見極めながら治療していくことが、必要。
 認知からくる「痛みを痛いと感じない」等の状態もある。
Q)がん検診の受診率を上げ、効果を挙げるには?
A:10年前に国から地方に管轄が移行したことにより、がん検診対策に予算を割けない市町村が、
 全国的に相当数ある。財政難におかれている市政の開きが出てくるので、国に戻る事を願う。

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あとがき(2010/8/25)

        事 務 報 告

          717日(土)事務局・西安寺にて世話人会開催。会報「希望」第241号製本発送。

あなたらしく生きる

  あ と が き  

この時期になると朝夕は幾分涼しく感じられるのですが、今年は最低気温が27度前後で推移しているようです。何を基準にして異常気象と言うのか、地球環境は時々刻々変化しているのですから基準値そのものを見直す時期にきているのでしょう。熱中症で300人以上の死者が出ているということですから、環境の変化にすぐ順応できない老人、子供、病人にはやはり過酷な季節です。皆様は厳しい残暑をどのように過ごされていますか?

 この会も来年は設立20周年を迎えます。最近は会の活動も会報中心になってきて、例会を催す機会が少なくなってきました。例会の席で皆さんとともにお互いの悩みを打ち明けられるのが一番だということは常々自覚しています。最近私の仕事がとみに忙しくなったことがその一因にあげられますが、世話人それぞれの協同のおかげでここまで続けられたのだと思います。これから先、この会を続けることができるかどうか、それは会員の皆様のご要望と自覚にかかっていると思います。平成21年度の会計報告もしないまま現在に至っていますが、まだ赤字決算にはなっていません。来月にはなんとかご報告できると思います。

 昨日、食道がんだと診断され手術を受けた後、抗がん剤治療中だという方とお会いする機会がありました。経済的にかならずしも余裕がないので、医療費の負担が重くのしかかっている旨訴えておられました。まがりなりにも健康な時は深刻に考えることがないのに、ひとたび病を得ると精神的にも物質的にも重い負担を背負わなければならないということ、これはこの世に生を受けた以上めいめいが避けて通れない課題です。医療費負担の軽減を国に要望することも大変重要なことですが、めいめいがそれなりの備えと自覚をもって生きてゆくことも大事だと思ったことでした。働き盛りに手術を受け、抗がん剤治療を受けながら職場復帰がままならないという悩みをかかえていらっしゃる方が結構多いということもマスコミを通じて報道されています。これも雇用主の見識が大きく影響しますが、最終的にはめいめいが背負っていかなければならない重い荷物でしょう。

 しばらくは暑い日々が続くと思います。どうぞお大事に。 8月26日 (T)

北九州がんを語る会

事務局 〒803-0851 北九州市小倉北区木町2-12-34

西安寺 玉水秀孝()TEL093561-5320

HPアドレス

http://ctnk7460.cocolog-nifty.com/nozomi/

(会費振込先)口座番号01760-1-83497

加入者名 北九州がんを語る会

郵送の場合は、玉水へ

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「駆けっ句365日生き急ぎ」 烏有

「駆けっ句365日生き急ぎ」

烏有

烏有(ウユウ)

本名:田中七四郎(タナカシチシロウ)

1943年(昭和18年):10月、

東京都渋谷区

1968年(昭和43年): 4月、 富士通株式会社入社、システムエンジニア職従事

1993年(平成 5年): 1月、 駆けっ句スタート   8月、 胃がん手術

2000年(平成12年):12月、 富士通株式会社役職離任により退社

コーポレイトソフトウェア株式会社入社

2002年(平成14年): 7月、コーポレイトソフトウェア株式会社退社

葉月ノ巻

葉月某日・さようなら浄土の蓮に雨の降る

葉月某日・会ふ度にびんたの涼し好々爺

葉月某日・むくげ咲く連れ合ひ居る間のにくたれ口

葉月某日・おじゅず戻る輪廻邂逅ありがたし

葉月某日・八月へ梅雨あけ持ち越す夏の雨

葉月某日・ことのほか遅きに失し梅雨明ける

葉月某日・カンゾウや野原に一点景となる

葉月某日・道半ばよしずの下で靴洗ふ

葉月某日・夏木立のどを潤し峠超ゆ

葉月某日・大輪の花火咲かせて夏果てり

葉月某日・団扇して部屋から愛でる花火かな

葉月某日・硝煙の余燼くすぶる今朝の夏

葉月某日・迎え盆三代そろひて展墓かな

葉月某日・清水のあふるる口で靴洗ふ

葉月某日・なつのあめ老鶯の声艶を増し

葉月某日・夏川に経を読ませる山の民

葉月某日・草の生す列墓の傾ぐやぐら台跡

葉月某日・終戦記念日父母に捧ぐ海南島余譚

葉月某日・夏ばてやだましすかして時殺す

葉月某日・夏ばてや絶を摂り死んだふり

葉月某日・熱帯夜特攻を読みて朝の訪ふ

葉月某日・寝苦しき夜靖国を考えて朝明ける

葉月某日・参る墓奥に行くほど木下闇

葉月某日・墓石のくもの巣払ふ雨上がり

葉月某日・夏ばてや緑の木陰で小休止

葉月某日・シェスタしてスイカがぶりと目が覚む

葉月某日・鎮魂の読書会超へ処暑の風

葉月某日・戦争を語り継ぐ集ひ秋暑し

葉月某日・虫すだく朝な夕なに白き風

葉月某日・朝一番刷り込み終へて秋の雲

葉月某日・ひぐらしやひとり旅たち八月尽(つづく)

http://homepage1.nifty.com/tanakas/uyuu.htm.

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垣添 忠生氏 講演会に行って来ました(続き)。

Q)がんが治癒するか・しないかの境は、あるのか?
A:早期発見(検診により)が、カギ。特に、胃がん・子宮頸がん・乳がん
Q)ホスピスについて、どの様にかんがえますか?
A:本人の考え方にもよる。がんを治すことが出来ないが、痛みや苦痛を和らげ緩和ケアを
 熟知したスタッフと環境で、自分らしく過ごせるのでは。
Q)先進医療の基準と判断は?
A:学会でのガイドラインがあるので、その学会方針にのっとっている。
  前立腺がんの場合、複雑さからサードオピニオン、フォーオピニオンを望まれる患者さん
  もいらっしゃる。患者さん個々の判断力が重要なポイント。
Q)がんセンター、大学病院等は、最期まで看れないのか?
A:次の治療を待っている患者さんもいるので、一番いい治療が出来たら転院を勧めるという
  事情もある。
 
Q)患者の家族でもあり医師でもある先生が考える、ボランティアに望むことは?
A:アメリカには、アメリカ対がん協会というのがあり患者・家族をサポートしています。
日本にも日本対がん協会が全国30数ヶ所ありリレーフォーライフ等の活動を通してがんと
闘う連帯感を持ち支えて欲しい。
人間って「気持ちの持ち方」で、どうにでも変化できる。
以上、垣添 忠生先生の講演会の簡単な内容でした。
楽しく語る先生の話は、重苦しくも無く、難しくも無くあっという間の3時間あまりでした。
最後におっしゃった「気持ちの持ち方」で、どうにでも変化できる。心に響きました。
平和であればつい、些細な事にも感謝・感動する事も忘れがちになります。
気持ちの持ち方=自分次第。ぶれる事の無いように、前進したいなぁ…と、思います。
セミナー・講演会のお知らせ
~緩和ケア学習会~
息苦しさの治療と看護のコツ  9月9日(水曜日)18:00~19:00
講師:緩和ケア病棟看護師
~健康教室~
緩和ケア がんと上手に向き合うために  9月10日(金曜日)11:00~12:00
講師:緩和ケア認定看護師
両日とも、九州厚生年金病院 3階講堂(入場無料)で行われます。
お問い合わせは、九厚生年金病院 医療支援部 093-641-9715まで
毎日厳しい暑さが続きますね。水分摂取を心がけ、沢山の汗をかいた時には適度な塩分摂取も
忘れずに。9月11日12日に、福島県裏磐梯で「患者とドナー1000人の集い」が開催され、私も
参加をする事になりました。久し振りの飛行機と喜多方ラーメンの事で舞い上がっていましたが、
日が近付くにつれ準備に走り回っています。
次号で集いの内容がお話できればと思っています。

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2010年8月11日 (水)

駆けっ句365日生き急ぎ(文月の巻)

「駆けっ句365日生き急ぎ」

烏有

烏有(ウユウ)

本名:田中七四郎(タナカシチシロウ)

1943年(昭和18年):10月、

東京都渋谷区

1968年(昭和43年): 4月、 富士通株式会社入社、システムエンジニア職従事

1993年(平成 5年): 1月、 駆けっ句スタート   8月、 胃がん手術

2000年(平成12年):12月、 富士通株式会社役職離任により退社

コーポレイトソフトウェア株式会社入社

2002年(平成14年): 7月、コーポレイトソフトウェア株式会社退社

文月ノ巻

文月某日・警報を洪水に振り替へ危機管理

文月某日・荒梅雨や洪水警報に読むどころか

文月某日・だまされてさいごは受け容る七月

文月某日・日日が節目節目と夏は来ぬ

文月某日・西典医の薬草園跡の旱かな

文月某日・揺り戻しそして治まる夏来る

文月某日・なつきたるときのうつろひあるがまま

文月某日・初せみや耳の遠きに聞きなし聞こゆ

文月某日・梅雨本番ひらめき求めてはいくゎいす

文月某日・雨上がるたちまちせみのしぐれかな

文月某日・老鶯へさよならだけで森を出づ

文月某日・刷り込みや朝からセミと和諧する

文月某日・つゆ合間往時しのびつ谷渡る

文月某日・牛がへる森の息吹と鼓動とる

文月某日・にぎにぎしいまをときめく夏の虫

文月某日・引き際やおれがおれがで梅雨明けず

文月某日・生き急ぐ朝からセミのしぐれかな

文月某日・つゆぐもりねむの木あたりのほの朱し

文月某日・せみしぐれけふはどこまでいけるやら

文月某日・風騒ぐ四十七士墓の木下闇

文月某日・夏城址めあての墓は見出せず

文月某日・夏祭りつまみはしじみのしぐれかな

文月某日・日食や一瞬せみも鳴りひそめ

文月某日・豪雨上がりたちまち茸のたくましさ

文月某日・雨脚の間隙をぬって疲れ止め

文月某日・たつまきの報せ驚く送り梅雨

文月某日・テロメアのいよいよ寡し戻り梅雨

文月某日・雨脚の激しくなりて通夜急ぐ

文月某日・はなびらは散れど残りし偏正回互

文月某日・朗々ととどろく声明通夜の席

文月某日・雨音と和諧しつ経の導師唱ふ(つづく)

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あとがき(2010/7/15)

        事 務 報 告

          619日(土)事務局・西安寺にて世話人会開催。会報「希望」第240号製本発送。

あなたらしく生きる

  あ と が き  

梅雨も末期に入りました。昨夜から今朝にかけて大雨となり、当地も浸水被害に見舞われました。昨年の災害時に堤防を高くする工事は済んでいたのですが、水位が高くなって排水管に入り込み逆流した水がマンホールから噴き出したようです。準備と対策を怠りなくしてあったようにみえましたが不十分でした。

 さて、「今の今、ここのここ」(時の現点、私自身の脚下)において、他の誰とも取り替えのきかない独一無比(オンリーワン)の個としての私自身は「無我の我」として在るというのが、これまで縷々述べてきた事柄でした。そこでは、私の我執(自縄自縛的な在り方を取る)のもととなる「自我意識」も「主体的自由」も単純に断ち切られています。しかもそのつど新たによみがえった(三百六十度転換された)自己意識と絶対的自由が与えられ「真の自己」としてあることに目覚めることが、自意識と区別される真の自覚であると言えます。時の現点は同時に私の外で対象的に実体としてつかむことのできない諸法無我・空の場(仏教の概念を使えば)です。すなわち我執の自縄自縛から解き放たれ、私自身の存在の直下に底なき根底としてある、身も心も軽やかになった身心脱落(しんじんだつらく)の場です。そして、その場に在る「オンリーワン」としての私から言えば、すべての人(あなたや彼・彼女は勿論、死者や生者も含めて聖人も凡人も)、非人情の山川草木石、日月星辰、最新の科学技術の粋を集めたハイテク機器も、神や仏も、世界(宇宙)全体が私自身の存在の根底に集められ、絶対的他者(あなた)、全他者、全他物、全宇宙の中心点(自覚点)として「真の自己」はあるということです。逆に世界の側から言えば「オンリーワン」としての私の存在は、私の意志に関係なく世界の表現点(自覚点)として絶対的他者(あなた)ないし世界の一切によって生かされ成り立たされてあるということです。「真の自己」は絶対的にして相対的、相対的にして絶対的であると言わなければなりません。ですから「私とは何か」をめぐって「私は私である」と直線的に言うのではなく、「私は私ではないがゆえに私である」と矛盾した言い方になった真意がおわかりいただけたでしょうか? 私という存在はそのつど自我の殻(我執の匂いが充満した)から脱皮して開け放たれた絶対自由の世界に出て生まれ変わり、再び我執のうずまく相対の場に帰り私自身の家の中で繰り広げられる相対と絶対との闘いにたじろぎながらも、そこで安らうことのできる存在なのです。それは絶対と相対が融通無碍な関係を保つことのできる「空の場」(平常底)においてのみ可能です。その時「あなた」もまた「あなたではないがゆえにあなたである」ものとして絶対的なあなたです。絶対的なものが絶対的に矛盾対立し、さらに無数にあるということが日常現実の直下(平常底)において事実として成り立っているのです。それが「今の今、ここのここ」の出来事なのです。

 それでは、「私とあなた」「あなたと私」という日常の出会いの現実に戻って再確認しておきましょう。「私」と言う時あなたは私の外にいるのではなく、私の存在のもとに収められて「私」のみ。「あなた」と言う時、私のみならず全世界、全宇宙があなたの存在のもとに収められて「あなた」のみ。この事態をつづめて言うと、絶対無差別に私はあなたであり、あなたは私であると言うことができます。真の「私とあなた」はもともと相互に主となり従となり、従となり主となる絶対的な相対、絶対的な敵対関係にあったのです。「私とあなた」は「私とあなた」ではないがゆえに「私とあなた」であるということが、出会いの瞬間に直接・無媒介に「私」と「あなた」との真の出会いとして起っていたのです。

 近現代のヒューマニズムは、それが自由と平等と博愛(他愛)を標榜する民主主義の立場であれ、倫理的・実践的理性主義の立場であれ、超越的・人格的・実践的信仰主義の立場であれ、その他何であれ、私とあなたを媒介し統一するものとしての普遍的な法(掟)を要請せざるを得ません。それは自律・他律・神律(自力・他力)を問わず私自身の存在の直下ではなく、私自身の存在の外に「有」として想定されていますから、人間自身の虚無的で放埓な自由への欲求を抑えきれない場合、私とあなたの間では自分を支えている根拠の違いを主張することで争いが絶えません(たとえば、様々なイデオロギーによる対立、宗教戦争など)。それは、我執よりさらに高次の法執と言えるものです。自由主義はアナーキズム(ニヒリズムの一種)へ、平等主義は社会主義的全体主義へ、博愛主義は自愛へと変質し分裂と野合を繰り返さざるを得ません。さらに、人間のみがひとり高しとする(たとえば、基本的人権)人間中心主義は非人情の自然から総反撃を受けて防戦を余儀なくされ、人間の思いのままに操ることを目的に作り出された核兵器やハイテク機器によって人間の主権を奪われようとしています。ひところ、物質万能主義の時代からこころの時代への転換が叫ばれましたが、はかばかしい成果は上げられなかったようです。基本的人権や自然や核兵器やハイテク機器に罪はありません。人間の原点に帰ろうと言いながら中途半端なところでとまって、かえって自閉的自我(我執や法執)の再生産を繰り返しているだけではないでしょうか。臨床心理学や精神病理学(精神科、心療内科)への期待がもたれているかもしれませんが、人間中心主義(いわゆるジコチュウ)に巣食う実存の病(慢・おごり)を治すには自ずと限界があるでしょう。

 それでは、絶対的な敵対関係にある「私とあなたが」和解する契機と場はどこにあるのでしょう。それは先ほどから繰り返し言ってきた私とあなたが立っている「今の今、ここのここ」(空の場、無我の場)です。そこに本来的に絶対他者としての神も仏もいたのです。我執の絶えた絶対的敵対の場は同時に絶対的和解の場であり、対立関係にある生と死が生死として仲良く同居している場です。病を得て療養生活を送られている方も、そこでは闘病の場であると同時に病との共生の場でもあります。看護する人はどこまでも看護する人でありながら同時に患者と一体であり、看護する人の意識も態度も当然変わらざるを得ません。それはそれぞれに異なっていて当然です。たゆまぬ工夫と研鑽が必要となります。

 まだまだ言い足りないことがありますが、ここでひとまず終わりにします。難解な物言いをお許し下さい。                 7月14日(T)

北九州がんを語る会

事務局 〒803-0851 北九州市小倉北区木町2-12-34

西安寺 玉水秀孝()TEL093561-5320

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加入者名 北九州がんを語る会

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駆けっ句365日生き急ぎ(水無月の巻)

「駆けっ句365日生き急ぎ」

烏有

烏有(ウユウ)

本名:田中七四郎(タナカシチシロウ)

1943年(昭和18年):10月、

東京都渋谷区

1968年(昭和43年): 4月、 富士通株式会社入社、システムエンジニア職従事

1993年(平成 5年): 1月、 駆けっ句スタート   8月、 胃がん手術

2000年(平成12年):12月、 富士通株式会社役職離任により退社

コーポレイトソフトウェア株式会社入社

2002年(平成14年): 7月、コーポレイトソフトウェア株式会社退社

水無月ノ巻

水無月某日・セグウエイーや一人立ち乗り六月の風

水無月某日・一身にひかり浴びたる梅雨入り前

水無月某日・頂は心眼で見る視界ゼロ

水無月某日・だご汁は山霧の中天幕の内

水無月某日・失せ物が戻りて安しジャスミンの香

水無月某日・梅雨入り前これから盛りの山ぼうし

水無月某日・早咲きのはんかいそうや涼しけれ

水無月某日・御衣黄や葉桜といふ景となり

水無月某日・芍薬や雨に花弁を落としけり

水無月某日・あげは谷はんかい草の揃ひ咲く

水無月某日・しばらくははんかい草やついりまえ

水無月某日・木道や想を練りつつ夏の森

水無月某日・清流に孤人竿挿しあゆ解禁

水無月某日・ふもとよりみやまきりしまきりのなか

水無月某日・露天よりみやまきりしまうましかりけり

水無月某日・きりしまを見納め靴の泥洗ふ

水無月某日・うたせ湯に打たせてしばし桃源郷

水無月某日・三股山を借りて天下の景となる

水無月某日・つゆぐもりただ湿原の緑濃し

水無月某日・老鶯を聞きつ木道一巡る

水無月某日・比島よりはるかつばくらめ軒休む

水無月某日・せせらぎの音をつまみにだご汁喰ふ

水無月某日・短夜や仕上げは京風とうふづくし

水無月某日・空梅雨に猪のぬたばは水を張り

水無月某日・慰霊の日島記まとまる鎮魂歌

水無月某日・入梅や梅の実あまた落ちにけり

水無月某日・空梅雨や雨読の本のまくらあり

水無月某日・水不足ゆめにて雨足ひどくなり

水無月某日・亡き父の語り草しのぶ父の日

水無月某日・夜来雨や一息つく水無月尽

水無月某日・五月闇雨の風師のおくゆかし(つづく)

http://homepage1.nifty.com/tanakas/uyuu.htm.

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あとがき(2010/6/15)

        事 務 報 告

          5月15日(土)事務局・西安寺にて世話人会開催。会報「希望」第239号製本発送。

あなたらしく生きる

  あ と が き  

昨年よりも数日遅れで梅雨入り宣言がなされました。今のところおとなしい梅雨のようです。しばらく、「私とは何か」について述べさせていただきます。

 この会が軌道に乗ったころ、故・浜口至さんから「がんを語る会」を進めていく上で「生と死を考える会」も作ろうという提案がなされ、実際設立大会も催されましたがいつのまにか立ち消えになってしまいました。今になって反省しますと色々な原因が考えられますが、「今ここ」に生きている自分自身の「生と死」を対象化して考える(見つめる)のは不可能だということが一番だったのかもしれません。その問題の重要さはわかっていても、自分の「生と死」を対象化できないのは勿論、自分自身の事なのに他人事として考えられる危険性が常につきまとってきます。

また、自分の「生と死」を信仰とか宗教の問題として捉えるのが究極的なありかたでしょうが、信仰は各個人の主体的・プライベートの問題だからと言われてそれ以上立ち入れない一面があることも確かです。さらに、主治医から余命一ヶ月と言われて絶望的になっている人にどういう言葉をかけたらいいのでしょう。今まで無信心だった人が、ある時信仰を得て納得の終末を迎えられたという話はよく聞きます。当会にも「闘病体験記」が時々送られてきます。患者自身と家族の苦悩が切々と綴られていて感動を禁じ得ませんが、一方でやはりどこか人ごとのように受け取る自分がいるように感じることがあります。また一方では、世界全体が破滅の危機に曝されているという事態が喧伝され、一個人の生命などどうでもいいではないかと自暴自棄になる世相がマスコミを通じて報道されます。一個人の問題であることは勿論ですが世界全体の問題でもあるわけです。自分に無関心になって世界を取るか、世界に無関心になって自分を取るか、どちらか一方に身を寄せるわけにはまいりません。両方に無関心になったらもはや生ける屍(しかばね)という他ありません。とにかく「私とは何か」という命題は一筋縄では解けないようです。

 ところで、人間主体(「我」「私」)を言い表す言葉に「自我」、「自己」と二通りあるのは周知の通りです。両者は区別して使われますが、二つの異なるものが別々にあるのではありませんし、両者の境界がはっきりしないこともあります。このごろよく使われる「オンリーワン」という言葉は、「私は私である」と言う時「私とあなた」「私と社会」との関わりの中で「私」の独自性を主張する際、自我意識の内に閉じこもる傾向が強いように思われます。一方「アイデンティティー」という言葉は、厳密には言えませんが他者や社会に開かれたあり方が考えられ、「自分探し」と言われるように他者と区別される独自な自己の存在の自覚を意味する傾向にあるようです。ひところベストセラーとなった養老孟の「バカの壁」は、「自我」と「自己」の区別が不安定で、どちらかといえば自我意識に閉じこもった若者のありかたが問題視されているように思われます。いずれにせよ自我意識と自己存在の区別と関係を厳密にすることは、「私の生と死」を考える上で重大な問題性を孕んでいるようです。

「オンリーワン」とか「アイデンティティー」という言葉がその本来の意味を持ち得るためには、「私」の自我意識が絶えた(超えられた)「今ここ」で言われなければなりません。「今」は意識の流れを想定した時間の観念「過去」「現在」「未来」から言えば「現在」にあたり、「現に在る」ということで「過去」(もはやない)、未来(まだない)という構造を持った瞬間(ない)であり、自我意識の内側からは捉えられず、「無として在る」というしかありません。「私」が「オンリーワン」として「現に在る」のは始めも終わりもない瞬間、瞬間において在るのであり、時間的であると同時に空間的、直線的であると同時に円環的な時間において、生かされて生きているのです。時の現点(瞬間)においては親子の縁は勿論、他者・他物との関係も断たれて「たったひとりきり」(オンリーワン)です。言い換えると全世界の中心点(開け)に置かれて在るということです。今はやりの「本当の自分探し」(真の自己)は「いつかどこか」にあるのではなく、私(私たち一人一人)の主体的意識(自我意識)が断たれた「今の今・ここのここ」に無条件にあったのです。したがって「私が今ここに在る」ということを正確に言い直すなら、「私は私である」ではなくて「私は、私である」あるいは「私は私ではないがゆえに私である」「私ならぬ私」「無我の我」と言わなくてはなりません。「私」と「私」の間には絶対的な切れ目(非連続の連続)、絶対否定(絶対肯定)が厳然とあるのです。

人間の主体性をめぐって「自我と自己」「自意識と自覚」というふうに区別して用いられるのは、意識と存在の区別は勿論、人間の「現点(原点)」に立つか立たないか、重大な岐路に立たされてあることを直接に受けるよう一方的に促されて在るということです。根源的な独・断です。そこに立った時あらためて私の罪深さが自覚されるのです。あらかじめ超越的なもの(神、仏)と罪深い私がいて、罪の告白(自己否定)を経た後で主体的に信仰の決断をするということではありません。そこにはまだ「自我意識」「主体性」が温存され自我意識の内に閉じこもる傾向が残されています。以下次号。

6月18日 (T)

北九州がんを語る会

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24時間EKIDENに参加して

平成22426

 吉 武 昌 子 

24時間EKDENに骨髄バンクボランテア福岡の一員として参加してきました!

4月24日25日と、宗像ユリックスで24時間EKIDENの催しに参加してきました。

もちろん、42.195Kなんて競歩でも無理なので骨髄バンクの登録説明会の方の参加でした。

沢山の団体(100団体)が、24日の13時から25日の13時までリレー形式で走り続けます。

ちびっ子から94歳のランナーが完走を目指し仲間にタスキを渡す姿には、運動音痴の私も感動しました…

バンク登録にステージから元患者さんとともに呼びかける機会を得た私は、ここでも絆を感じました。

「僕も助けられました。リレーと同様に登録を呼びかけて、壁のない助け合いのリレーのお手伝いがしたい…」

出来る範囲内の事を気づいた人が隣の方に…そうすればまた、隣の方に…と、いつか大きな輪になって。

見ず知らずの人でも側に居て見てくれている…。決して一人じゃない。仲間や友は、いつも見守っています。

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例会報告(ドナーとなって感謝していること)

3月の例会報告

-患者、家族が医療者と普段着でがんを語る-

日時:2010327日(土)15:0017:05

場所:北九州市小倉北区木町2-12-34 

会場:西安寺

演 題 ドナーとなって感謝していること

講 師 北九州・行橋がんを語る会会員 吉武昌子さん

    北九州市八幡東区昭和2-6-1-1005

主 催 北九州・行橋がんを語る会

  境内には海棠の花が咲き、ちょっぴり花冷えのする午後でした。講師は、会員の吉武昌子さんです。吉武さんは7年以上前に骨髄ドナー(骨髄提供希望者)となり、昨年末骨髄移植をされました。今回患者さんへ骨髄移植をされた体験を通してご本人の率直なご意見をお話していただきました。

  ①骨髄ドナー(以下ドナー)として骨髄バンクへ登録したあと、1回目は登録3ケ月後に候補となり、今回2回目の候補者となって初めて移植まで行った。候補になって後検査、最終同意するまで2ケ月半だった。患者さんとのマッチングは5人のドナーの中から最終的に一人に絞り込まれる。

  ②ドナー登録対象者は18歳~54歳の健康な方という条件あり、実際の適合検索は20歳~54歳まで。現在国内では34万人の方が登録されているが、最終同意する段階になって突然辞退(撤回)する候補者が多いのが問題となっている。

  ③ドナー候補者となって患者さんへ提供、そして退院するまでいくつかの手順がある。連絡調整役を担うコーディネータと面談しながら確認検査を行い、最終同意、自己血輸血のための採血、入退院などを行い、1週間ほど家を留守にした。今回病院にとって初めての移植事例となった。コーディネータ、医師、薬剤師、麻酔医、栄養士さんが親身になって動いていただき、いのちの大切さを実感した。ドナーにリスクはあるがかつて死亡した事例はないという。

  ④ドナーは患者さんを選べない、また患者さんとは面会は出来ない。骨髄バンク事業の公平な運営と個人のプライバシー保護のためである。

  ⑤術後、痛み止めをもらったりしたが大きな後遺症はなかった。

  ⑥骨髄移植にかかわる、患者さん、ドナーの医療費概算は、平均4ケ月の入院で1,200万円、ドナーは約6日間の入院で50万円になり、これは患者さんの健康保険が適用される。医療費が一定額を超えた場合「高額医療費」として健保から払い戻されるが保険適用外の費用としてHLA検査費用などが発生する。患者さんの負担は大変高額で、ドナー候補者の突然辞退は患者さん負担にとって更に大きな痛手となる。

  ⑦ドナーは善意の自由意思によるものとなっているので提供のために会社を休業しても金銭的補償などはない。

  ⑧参考資料:「チャンス ドナー登録のしおり」(厚生労働省、骨髄移植推進財団、日本赤十字社)

       「骨髄提供者となられる方へのご説明書」(財団法人骨髄移植推進財団)http://www.jmdp.or.jp

所感

 ・予定の2時間があっという間に過ぎた感じでした。講師のドナーに対する率直・真摯な発言は大変新鮮でした。実際に体験した方からでないと聞くことができない貴重な情報大変参考になりました。

 ・参加された方の中にもドナー登録をされた経験者の方が居られ、講師と参加者同士が活発な討議ができてよかったと思います。もっと大勢の方に聞いていただく工夫が出来たらと反省をしています。これからも講師吉武さんには行動を起こしながら考え、考えながら行動を継続してください。本日は感謝申し上げます。以上。(文責 田中七四郎)    ひとひらの花筏で航るおたまじゃくし 烏有

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あとがき(2010/5/15)

        事 務 報 告

          4月24日(土)事務局・西安寺にて世話人会開催。会報「希望」第238号製本発送。

          会報の製本等、お手伝いしてくださる方、事務局までご連絡下さい。

あなたらしく生きる

  あ と が き  

大型連休が一段落して普段通りの日々が戻ってきました。皆さんはこの連休をどのように過ごされましたか? 暦の上では連休となっていますが実際は人それぞれで、休みの人が大多数を占めているにすぎません。私は仕事柄おやすみ返上といった日々でした。

 早速、先月の続きにはいります。がん患者の精神的、肉体的苦痛や死への不安はがんを患った当人にしかわからないという告白はよく耳にします。患者どうしであれば共通体験を語り合うことでいくらか安心できるのではないか、ということで入会された方がいらっしゃるでしょう。しかし本当に安心できたかどうか、それは今のところ患者体験がない私自身にはさらによく理解できないところがあります。このような齟齬をもたらす原因はどこからくるのでしょうか。いずれにしても「わたし」を抜きにして「あなた」はいないし、「あなた」を抜きにして「わたし」は成り立ちません。しかも同じ場所に立っていながら、「わたし」と「あなた」の間には、言葉を尽くし想いを尽くしても直接に架ける橋はないのです。結局、「私とは何か」「あなたは何処にいるか」という問題から始めるしか手がないように思われます。「私は私」であり、「あなたは私の目の前に」いるのだからあらためて問う必要のない事柄だと反論されそうですが。

 ところで、近現代のヒューマニズムの著しい特徴は、神や仏など絶対的超越的他者に依存することなく「人間は人間である」「我は我である」という自同律の支配する自律的(自立的)自我に目覚め、この世界の内で主体的(人間中心的、自我中心的)に生きるということに、自己の生きがいと人間の自由を自我の外に向かって求めてきたところにあると思われます。たしかに、自律的(自立的)自我に目覚めるということは、他者と絶対に取り替えのきかない、このごろ流行の言葉でいえば「オンリーワン」としての自我に目覚めることでしょう。しかし同時に、そういう自我はこの世界を越えては生きられないし、不老不死という生命の限界を超えては生きられないことを知っていますから、その限界を突破するために人間的知(形而上学的思惟)の自由な産物としての科学的知見を駆使することに邁進してきました。がん治療技術の格段の進歩はその一例でしょうし、吉武さんがなさった骨髄液移植もその流れの中に位置づけられると思います。しかし一方には、人間に幸福をもたらすものとして作り出されたはずの科学・技術の粋であるハイテクノロジーの世界が皮肉にも人間の力では制御できないほどに肥大化してきました。人間の幸福を保証するどころか不幸のどん底におとしいれるだけでなく、世界全体を破滅させるのではないかという恐怖感が人間世界を蔽っているといっても過言ではありません。

 さてどう対処したらいいのか、以下次号。            5月14日(T)

北九州がんを語る会

事務局 〒803-0851 北九州市小倉北区木町2-12-34

西安寺 玉水秀孝()TEL093561-5320

HPアドレス

http://ctnk7460.cocolog-nifty.com/nozomi/

(会費振込先)口座番号01760-1-83497

加入者名 北九州がんを語る会

郵送の場合は、玉水へ

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あとがき(2010/4/15)

        事 務 報 告

          3月13日(土)事務局・西安寺にて世話人会開催。会報「希望」第237号製本発送。

          会報の製本等、お手伝いしてくださる方、事務局までご連絡下さい。

あなたらしく生きる

  あ と が き  

昨日は暖かい日和でしたが、夜から朝方にかけての大雨がまた肌寒い空気を運んできたようです。今年は寒暖の差の激しい春となりました。日照時間が不足がちで春野菜の高騰につながっているようです。私も月初め久しぶりに風邪をひきこんでしまいました。幸い熱が出なかったので寝込むことはありませんでした。みなさんはいかがお過ごしですか?

 三月の例会では新しく会員になられた吉武さんの貴重な体験を拝聴することができました。骨髄液提供のドナーとなって日常生活を送ることの大変さをじかに聞くことができ、とても有意義な時間を過ごさせていただいたことを感謝します。吉武さんがドナーになられた動機も、生後間もないお子様が全.血液を入れ替える交換輸血によって助けられた経験に由来するとのこと。感謝の気持ちを表明するためにドナーとなられたということに深い共感を覚えました。精神的にも物質的にも骨身をけずるという覚悟がなければドナー登録はできないということをあらためて教えられました。一時的な憐れみや同情でドナー登録をし、土壇場でドナーを拒否するならば、本人はもとより提供相手の患者にも精神的・経済的負担を強いることになるという現状にいろいろ考えさせられるところがありました。

 宗教的・非宗教的とを問わずボランティア活動を語るに際して、「無償の愛」とか「無我の愛」とか「無私の奉仕精神」ということをめぐって、その真偽を問われることがあります。弱者の身になって考え行動する際、人間の自意識に特有の偽善的(偽悪的)意識の問題が横たわっています。言い換えるなら「我執」の問題です。「無我」「無私」「自己否定」ということを自分の意識の内側でやっている限りでは、「我執」の裏返しの行為をやっているにすぎません。神仏への信仰を実践する行為として、傍観的にみるとどんなに崇高な献身的行為にみえようとも、「救う者」と「救われる者」との間にはみえない壁が立ちはだかっています。「わたし」は「あなた」の精神的・肉体的苦痛を「あなた」にかわって引き受けることはできないのです。志を同じくする同志愛、お互いにひかれあう男女の恋愛、濃密な血縁関係にある親子・家族愛においても事情は変わらないでしょう。

 この難問に「わたし」や「あなた」はどう立ち向かったらいいか。信仰があるなしに関らず避けて通れない問題があります。来月また。

4月22日 (T)

北九州がんを語る会

事務局 〒803-0851 北九州市小倉北区木町2-12-34

西安寺 玉水秀孝()TEL093561-5320

HPアドレス

http://ctnk7460.cocolog-nifty.com/nozomi/

(会費振込先)口座番号01760-1-83497

加入者名 北九州がんを語る会

郵送の場合は、玉水へ

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