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2010年8月11日 (水)

あとがき(2010/5/15)

        事 務 報 告

          4月24日(土)事務局・西安寺にて世話人会開催。会報「希望」第238号製本発送。

          会報の製本等、お手伝いしてくださる方、事務局までご連絡下さい。

あなたらしく生きる

  あ と が き  

大型連休が一段落して普段通りの日々が戻ってきました。皆さんはこの連休をどのように過ごされましたか? 暦の上では連休となっていますが実際は人それぞれで、休みの人が大多数を占めているにすぎません。私は仕事柄おやすみ返上といった日々でした。

 早速、先月の続きにはいります。がん患者の精神的、肉体的苦痛や死への不安はがんを患った当人にしかわからないという告白はよく耳にします。患者どうしであれば共通体験を語り合うことでいくらか安心できるのではないか、ということで入会された方がいらっしゃるでしょう。しかし本当に安心できたかどうか、それは今のところ患者体験がない私自身にはさらによく理解できないところがあります。このような齟齬をもたらす原因はどこからくるのでしょうか。いずれにしても「わたし」を抜きにして「あなた」はいないし、「あなた」を抜きにして「わたし」は成り立ちません。しかも同じ場所に立っていながら、「わたし」と「あなた」の間には、言葉を尽くし想いを尽くしても直接に架ける橋はないのです。結局、「私とは何か」「あなたは何処にいるか」という問題から始めるしか手がないように思われます。「私は私」であり、「あなたは私の目の前に」いるのだからあらためて問う必要のない事柄だと反論されそうですが。

 ところで、近現代のヒューマニズムの著しい特徴は、神や仏など絶対的超越的他者に依存することなく「人間は人間である」「我は我である」という自同律の支配する自律的(自立的)自我に目覚め、この世界の内で主体的(人間中心的、自我中心的)に生きるということに、自己の生きがいと人間の自由を自我の外に向かって求めてきたところにあると思われます。たしかに、自律的(自立的)自我に目覚めるということは、他者と絶対に取り替えのきかない、このごろ流行の言葉でいえば「オンリーワン」としての自我に目覚めることでしょう。しかし同時に、そういう自我はこの世界を越えては生きられないし、不老不死という生命の限界を超えては生きられないことを知っていますから、その限界を突破するために人間的知(形而上学的思惟)の自由な産物としての科学的知見を駆使することに邁進してきました。がん治療技術の格段の進歩はその一例でしょうし、吉武さんがなさった骨髄液移植もその流れの中に位置づけられると思います。しかし一方には、人間に幸福をもたらすものとして作り出されたはずの科学・技術の粋であるハイテクノロジーの世界が皮肉にも人間の力では制御できないほどに肥大化してきました。人間の幸福を保証するどころか不幸のどん底におとしいれるだけでなく、世界全体を破滅させるのではないかという恐怖感が人間世界を蔽っているといっても過言ではありません。

 さてどう対処したらいいのか、以下次号。            5月14日(T)

北九州がんを語る会

事務局 〒803-0851 北九州市小倉北区木町2-12-34

西安寺 玉水秀孝()TEL093561-5320

HPアドレス

http://ctnk7460.cocolog-nifty.com/nozomi/

(会費振込先)口座番号01760-1-83497

加入者名 北九州がんを語る会

郵送の場合は、玉水へ

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