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2009年2月24日 (火)

あとがき(2009/2/15)

    事 務 報 告

        1月24日(土)事務局・西安寺にて世話人会開催。会報「希望」第223号製本発送。、

        会報の製本等、お手伝いしてくださる方、事務局までご連絡下さい。

あなたらしく生きる

  あとがき  

今日はポカポカ陽気です。一月が比較的寒かったのに比べ、二月は暖かい日が続いています。庭の紅梅、白梅はいま満開です。しだれ梅はまだ三分咲きといったところです。インフルエンザのほうは大丈夫だったでしょうか?

言葉たらずだった先月の続きを書きます。無情説法とは、この世のしがらみを断って悟った人がその高みから自らの境涯を真実の教え(法)として説くことや、非人情と思われる山川草木石のたたずまいが人生の真実を説法しているのだ、と理解することが常識的な見方としてあることを述べました。ここでは説法するものと「見聞覚知」(聞法)する人が、あらかじめ別々に二元的に並び立つことが前提されています。しかしそれでは「無情説法不思議/若将耳聴終難会/眼処聞時方得知」(むじょう説法不思議/もし耳をもって聴かばついに会し難し/げんしょに聞く時まさに知るを得ん)という言葉の意味が十分に飲み込めない。結局、この公案において私たちの存在の根拠が問われているのと同時に私たちの悲喜こもごもの日常をどのように生きるかが問われているのです。言い換えるなら、私たち自身の一生、すなわち「生老病死」をどう理解しどのように生きるか、その根拠が問われると同時に答が与えられているのです。

ならば、それはどこにどのようにあり、私たちはどう生きたらいいのか。結論だけを言わせてもらうなら、それは無条件に「今ここ」「平常」に直接している。禅仏教特有の言葉でいえば、私自身が「絶対無」「絶対空」の場に立つこと、身も心もなげうって「身心脱落」(しんじんだつらく)の場に座ると同時に、脱落した身心として立つこと。有情のままで有情を脱落し脇目も振らず一日一日を十分に生き切ること。無情説法は口でしゃべることだけに限らないし、山川草木石のことを無情というのでもない。脱落した有情が即無情であり、無情として平常底の起床、喫茶喫飯、就寝、その一挙一動、一瞬一瞬がすべて無情説法である。「身心脱落」とは自分が澄み清くなることであるがなかなか容易ではありません。俗情や妄想が次から次に湧いてきます。坐禅にせよ、念仏にせよ、黙想にせよ無窮の行が必要とされるゆえんです。ただ自分の身体を痛める苦行ではありませんし、「身心脱落」の上から言えば俗情や妄想も無情説法のひとこまではありますが。

今月もまだまだ終わりそうにありません。難解でかえって皆さんに苦痛を与えるだけかもしれません。無視されても結構です。来月また。   213日(T

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