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2008年8月に作成された記事

2008年8月21日 (木)

表紙(2008/8月号)

2008年 8月15日 発行 

会 報   

(

のぞみ

)

  第218号

北九州がんを語る会・支部 行橋がんを語る会

10の例会のご案内

―患者、家族が医療者と普段着でがんを語る―

日 時  平成201018日(土)14001600

会 場  事務局 西安寺 TEL093-561-5320

        北九州市小倉北区木町2丁目12-34

        日豊本線、南小倉駅下車。紫川に向かって徒歩5

演 題  ガン治療における地域医療の役割

      

講 師  井原クリニック 井原隆昭さん

       北九州小倉南区高野1-12-18 TEL093-452-1113

   

参加費  500

主 催  北九州・行橋がんを語る会

 

講師は、長い間、医療センターの外科医を経て、小倉南区に開業されている井原先生です。手術という形でがん治療に携わってこられた先生ですが、今までは、病気の発見から、その後の治療方針、治療の予後のケアの中の一部分であって、患者さんが病気と向き合っていく上で、かかりつけ医としての役割、信頼関係の大切さを感じられそうです。地域医療で担っていくべき役割、大きな病院にいる時とは違った角度から診る病気について皆様のご意見もいただきたいとおっしゃています。

会員さん以外の方の参加も自由です。お気軽にご参加下さい。

    

あなたをひとりぼっちにはしない!

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特集(杉本栄子さんのことば)

        杉本栄子さんのことば

                                

                    あらき まりこ

水俣病患者の語り部、杉本栄子さんが亡くなられたことを今年の2月29日の新聞で知りました。「脳腫瘍のため2月28日に死去」とありました。私は、この杉本栄子さんの名前を強い印象とともに記憶しています。それは、一昨年の4月に福岡で行なわれた「水俣病シンポジウム」に、私も参加したのですが、その時に、ある質問者に対して投げかけた彼女のことばが非常に強烈だったからです。私はなんだかすごく大きな力のようなものでがーんと目覚めさせられたような気がしてなりませんでした。その時会場に居合わせたおおぜいの聴衆の一人一人も、なんらかの形で心動かされたものがあったのではないでしょうか。その数日後の朝日新聞の小さなコラムに「迷う人たちをひきつける水俣病の語り部」という見出しでこの日のシンポジウムで起こったことがとりあげてあって(宮田富士夫記)私は、ああ、やっぱりそうだったんだ、と思いました。

そのコラムの記述にも助けられながら、あの時、あの会場で何が起きたのかをちょっと説明したいと思います。シンポジウムでは、明治大学の栗原彬さんもシンポジストで、私がこの会に参加しようと思ったのは、彼の話が聞いてみたいと思ったからです。その数名のシンポジストのなかの一人が杉本栄子さんでした。それぞれのシンポジストの話が終わり、残り少ない質疑応答の時間になって、2人目の質問者が水俣病問題とは全く関係ないふうに突如として、「私は鬼のような人間です。こんな私でも変わることができるのでしょうか」と言い始めたのです。詳しい事情は分かりませんし、なぜ自分を鬼のような人間と言い、なぜ病院に受診して薬を飲み、迷いながらやっとの思いでここにやってきたのか、質問者の意図や状況が全くつかめず、聞いていた私も、一体何が起こったんだろうと唖然とした感じで居ました。するとすぐさま杉本栄子さんが発言なさったのです。「あなたはもう変わっていますよ。たくさんの人がいるところで自分をさらけだして質問ができたじゃないですか。変わっとらんならできんですよ。」という彼女の堂々とした力強い、しかもやさしさに満ちた声が会場を貫いたのです。私はその途端、初めて質問者の苦しみの深さに気づきました。そして質問者の発言を、場違いな気がしていらいらしていた自分を思い切り恥ずかしく思いました。杉本栄子さんは、水俣の漁師の網元の家に生まれ、母親が水俣病第1号の患者として世間に知られ、この病気は当時原因不明とされたために、伝染病などと勘違いされて、いわれなき差別を受けながら家族ごと苦しみ抜いて生きてこられた方です。強い絆で結ばれていたはずの集落から村八分的な扱いを受け、それでも人を恨んじゃいかん、仕返しなどしてはならぬ、人間として生き抜け、という父親の教えをひたすら守り生きてこられた彼女にしか到達し得ない強靭でかつしなやかな精神が、シンポジウムのその時のことばのなかに、確かに息づいていると私には強く感じとられました。先ほどのコラムの後半にも、こう書いてあります。「杉本さんは水俣病で入退院を繰り返すなど長い間苦しんだ。最初の水俣病裁判の原告になったため、集落で孤立させられもした。心身とも傷つきながら水俣病を受け止めることで、生かされているありがたさを実感するようになった。『水俣病は私の財産』と言い切る。杉本さんになら自分の悩みを打ち明けられる、受け止めてもらえる、という雰囲気がある。」と。

私は日頃、看護学の教育や研究に携わり、人をケアすることはどういうことかをひたすら考え続けているようなのに、何にもわかっていないんだなあ、とつくづく思いました。本を読んだり、まとまった文章を書いたり、学生に「ケアすること」について語ったりしているうちに、人の心の機微のようなものがかえって見えにくくなって、どんどん理屈っぽい人間になっていっているのではないかなあと自分を省みました。でもなによりも、杉本栄子さんの人間としての真実、生きることへの真摯な向い方が素のまま伝わってきたそのことそのものがすごく新鮮で、こういう人の、こういうひとことを、あの時、あの会場で聞けたことがわたしにとってはなんて幸運だったんだろう、と思います。あの杉本栄子さんのことばを基準に考えてみると、今のこの世の中は日常的に、あまりにも空疎なことばが行き交うことが多いんじゃないかなあと思えます。あのシンポジウムを機に、やっと杉本栄子さんという「人」に出会えたと思ったのに、数年も立たない内に訃報を聞いて、私は急にさびしくなりました。きっとあの時の彼女のことばは私の中でいつまでも生き続けて、相手のことがさもわかった気になりがちな私の「驕り」を戒め続けてくれるような気がしています。杉本さんありがとう。                              

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駆けっ句365日生き急ぎ(葉月の巻)

「駆けっ句365日生き急ぎ」

烏有

烏有(ウユウ)

本名:田中七四郎(タナカシチシロウ)

1943年(昭和18年):10月、

東京都渋谷区

1968年(昭和43年): 4月、富士通株式会社入社、システムエンジニア職従事

1993年(平成 5年): 1月、駆けっ句スタート   8月、 胃がん手術

2000年(平成12年):12月、 富士通株式会社役職離任により退社

コーポレイトソフトウェア株式会社入社

2002年(平成14年): 7月、コーポレイトソフトウェア株式会社退社

葉月ノ巻

葉月某日・夏の雲山大みみず干上がりぬ

葉月某日・午睡から覚めて読み継ぐ怖話し

葉月某日・台風一過そうめんすする舌鼓

葉月某日・キャンプ地は近場で安らぐ運動場

葉月某日・リヴィエラもリトビネンコも夏の夢

葉月某日・雷近しされど粛々水を遣る

葉月某日・せみしぐれ腹六分目の朝餉かな

葉月某日・持ち込みて納涼船より街眺む

葉月某日・秋立つ日ハイビスカス大を付け

葉月某日・被告席一句詠むには法廷暑し

葉月某日・まどろみて耳をつんざく近花火

葉月某日・一人旅粛々として朱夏急ぐ

葉月某日・黄龍や相伴あずかる風涼し

葉月某日・つくつく法師余力残して森を出ず

葉月某日・8.15葦簾の下で昼寝する

葉月某日・ざっくりとまな板にのる席涼し

葉月某日・夏の雲出処進退吾レで決む

葉月某日・つと拾ふ栗のイガイガいと青し

葉月某日・せせらぎや幼児の嬌声森揺るる

葉月某日・こんこんと昼まで睡る夏休み

葉月某日・しどけなくトドのやふなる昼ねかな

葉月某日・シェスタして養ふ英気ふつふつと

葉月某日・けふ死して朝生き返る合歓の花

葉月某日・ぬるくてもそれもよからふ半身浴

葉月某日・田園の輝き出れば処暑の雲

葉月某日・暑気祓ひ酔眼もふろふ肘まくら

葉月某日・うつろひや画格は高しあるがまま

葉月某日・夏往くや一つ訴へ退けり

葉月某日・いく度も不気味な月を眺めおり葉月某日・気が付けば誰もいなくなり八月尽

葉月某日・終末期せみも命の涯を知る(つづく)

http://homepage1.nifty.com/tanakas/uyuu.htm.

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患者さんなど気持ちシリーズ

「患者さんの気持ち 看護師さんの気持ち お医者さんの気持ち」より抜粋NO.6

(企画・編集 宮崎大学医学部)

                    患者さんの気持ち

重度呼吸障害の患者です。

お国のせいさくで福祉の恩恵に格差がありすぎます。

せめて障害者には均等に所得に関係なく援助をさしのべてほしい。

それが日常生活用具であってもしかり。

こんな気持ちでボランティアしています。

  厚生省への気持ち ボランティア命 (65歳・男性)

主人の病気の時、私の通院している四カ所の病院の先生

看護師さんの親切な体応にうれしく有がとう御座居ます。

これからも良ろしく。

今年肝膵癌でなくなった主人

癌と云わずにごめんね三月三日亡くなりました六十才でした

今年は初盆天国から帰ってきて

先生・看護師・主人への気持ち 梅元ゆきゑ(70歳・女性)

今夜もひとりで泣きます

明日、一歩お外を出たら元気な笑顔でいられるようにと

本当は、お手手握って、心や体の痛みを癒して欲しいなぁって思うけど

甘えたくても甘えられない私は、眠れない夜の繰り返し!?

だけど、頑張る!!

病気の苦痛に支配されたくない!!

笑顔は私のトレードマークだから!!

ベレー帽のキューピー(女性)

入院で治療の面で、もっとケアがほしいことがあった

匿名(40歳代・女性)

医大様一人の医師で総合科的に診てもらえませんか

人件費も費用も時間も合理化できますよ

医師への気持ち ちゅうえい(67歳・男性)

毎回「良く頑張っていますね。」の先生の言葉がうれしくて、

毎月一回の三人の娘の眼科受診にも、もうかれこれ5年。

三人供に遠視性不動視弱視。

毎日数時間のアイパッチとぶ厚い眼鏡を使用。

「いづれ治ります。」の言葉を信じて、

今回も片道約一時間かけての通院。

患者家族から先生への気持ち 三峰ママ(35歳・女性)

先生に言われて、ナースステーションンに

義父のおしめの買い方を聞きに行ったら、「えーっ、もうそんなになったの。」

と言われて、わけがわかりませんでいた。

まほうつかいのでし(45歳・女性)

何気無く指を見つめる。次ぎに手を。次に腕。そして足を。

麻痺して貧相に痩せこけピクリともしないそれらを。

ただ見つめてから何気無く。麻痺で動かぬ私の代わりに心で言う。

それとそれとそれとに心で言う。

“今までありがとう”と何気無く。

患者自身への気持ち 船後靖彦(49歳・男性)

次号へつづき

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あとがき(2008/8/18)

    事 務 報 告

        716日(土)事務局・西安寺にて世話人会開催。会報「希望」第217号製本発送。、

        会報の製本等、お手伝いしてくださる方、事務局までご連絡下さい。

あなたらしく生きる

  あとがき  

残暑お見舞い申し上げます

梅雨明けが早かったせいで、例年より猛暑日が長かったようです。このごろ集中的に雨が降ったせいか幾分暑さに限りが見えてきたようにも思われます。お盆の行事が一段落して、今日はじめて一息ついているところです。

皆様はこの暑かった日々をどのように送られましたか?

8月8日に開幕した北京オリンピックが佳境を迎えています。私は仕事が忙しかったせいでほとんど見ていません。とぎれとぎれにハイライトシーンを眺めている程度です。開幕前に心配されたテロが現在のところ起きていないのは何よりです。

 北京以外の地方で散発的に起きているようですが。

  今日は疲れているせいか、私の言葉もとぎれとぎれです。会員の皆様に何かメッセージでもと思っているのですがうまく紡ぎ出せません。かわりに柳田邦男さんの言葉を紹介します。

 「平穏な日常において、あるいは少なくとも死が避けられなくなった段階において、生死の運命(さだめ)を自分なりに意味づけることができていれば、死別が現実となった直後には、すべてが無になったような心境に陥っても、やがて振り子が中心線に戻るように、死と死別への自分なりの意味づけがしっかりと心の重心となっていることに気づくようになれるのだと思う。多くの人々は、なかなか常日頃からそういう意識を持つのは難しいのだが、死別後の辛い日々の中で、歳月が経つうちに死別の意味、遺してくれたものへの気づきが生まれてくるものだ。/しかも、意味づけをもった死別後の生き方は、以前とは質的に大きく違ったものになる。喪失後こそ本当のの人生の始まりと言えるかもしれない。」(「悲しみ」こそ人生のはじまり)

                          8月18日 (T

北九州がんを語る会

事務局 〒803-0851 北九州市小倉北区木町2-12-34

西安寺 玉水秀孝()TEL093561-5320

HPアドレス

http://ctnk7460.cocolog-nifty.com/nozomi/

(会費振込先)口座番号01760-1-83497

加入者名 北九州がんを語る会

郵送の場合は、玉水へ

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