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2008年1月23日 (水)

特集(賢治の「生きるということ」)

      賢治の「生きるということ」

                              あらき まりこ

 先日、下関市立美術館に「絵で読む宮沢賢治展」を観に行って来ました。そして賢治の「おきなぐさ」という童話が入った絵本を買って帰りました。私が賢治の作品に強く心を惹かれたのは、まず詩からでした。中学一年生の時に、教科書かなにかがきっかけで、賢治の詩集がほしくなり、書店に買いに行ったのを憶えています。岩波文庫の、厚みの薄い詩集をみつけてレジに行くと、店員さんが、その本の、あるページの角がちょっと欠けているのをみつけて、新しい本ととりかえさせようとしたことまで強く記憶に残っています。在庫がないので入手には2~3日かかる、と言う店員さんに、私は、今必要だから、と強く言い張ってそのままそれを買って帰りました。そして「永訣の朝」、「松の針」、「無声慟哭」などを、何度も何度も読み返して、今考えるとあれは聖書のような位置づけだったのかな、とも思いますが、それら一字一句を、大事に,大事に、自分の心にしみわたらせていったように思います。それらの詩は、妹の死が中心テーマではありましたが、わたしには、人間が生きるってことはこういうことなんだよ、という、つまり死と切り離せない生を生きるということ、また生と切り離せない死を全うするということでもあるんだよ、というふうに心に迫りました。「みなれたちゃわんの藍のもようにも もうけふ おまへはわかれてしまふ」(永訣の朝)と言うそのとき、そのみなれたちゃわんの藍のもようは、失われゆく生へのいとおしさを強く感じさせるものとしてそこに存在します。また死を迎える以前において、いつものように、なにげなくそのちゃわんでご飯を食べているという行為は、いつ失われるかもしれない生の営みのはかなさの象徴として、日々の生活に組み込まれていることになります。中学生の頃の「人が生きるって何だろう。いったいどういうことなんだろう」という根源的な問いに、なんだかとても近しく、また真摯に、すがすがしく応えてくれたのが、賢治のこれらの詩であったように思います。

その頃のわたしは、賢治の童話のほうにはそれほど関心がなく、大人になってから、改めて賢治の童話に触れた時に初めて、詩から受けとったものと同じような、いやそれ以上のものを感じて、不思議な歓びが湧き上がってきたことを思い出します。

 賢治の童話のなかでも、この「おきなぐさ」が好きです。わたしは時々、ここに出てくるおきなぐさが、「銀毛になって空に飛んでゆく瞬間」と、わたし自身が「一生を終える瞬間」のことを重ね合わせて夢みたりします。人にとって、死ぬ瞬間は選べないだろうけれど、おきなぐさが、自分を飛ばしてくれる風を、次かな、次の風かな、と待ったように、人も

その人の生を終える瞬間を、風をつかみ、その風に乗る好機としてとらえることができたら、素敵なことだなあと思います。わたしには、もっともっと生きたいという強烈な「生への渇望」と、生物としての死は、明日にでも訪れるはず、という「はかない生への諦念」が交錯した日常が時々意識的に訪れます。これは、わたしが大きな病気を体験したせいなのか、小さい頃からの「くせ」なのか自分でもよくわかりません。ただそれがあるからこそ、わたしの「生の歓び」は、日常的に枯れることなく、今でも息づき続けているのだと思います。

 ここで、この童話のラストシーンである、おきなぐさ(うずのしゅげ)が飛んでゆく場面をご紹介して、わたしの話を終わりにします。

(宮沢賢治著、たかしたかこ絵、「おきなぐさ・いちょうの実」、偕成社より引用)

 春の二つのうずのしゅげの花は、すっかりふさふさした銀毛の房に変わっていました。野原のポプラの錫いろの葉をちらちらひるがえし、ふもとの草が青い黄金の

かがやきをあげますと、その二つのうずのしゅげの銀毛のふさはプルプル震えて、今にも飛び立ちそうでした。そして、ひばりがひくく丘の上を飛んでやって来たのでした。「今日は。いいお天気です。どうです。もう飛ぶばかりでしょう。」

「ええ、もう僕たち遠いとこへ行きますよ。どの風が僕たちを連れてゆくか、さっきから見ているんです。」

「どうです。飛んで行くのはいやですか。」

「なんともありません。僕たちの仕事はもう済んだんです。」

「恐かありませんか。」

「いいえ、飛んだってどこへ行ったって、野原はお日さんのひかりで一杯ですよ。僕たちばらばらになろうたって、どこかのたまり水の上に落ちようたって、お日さんちゃんと見ていらっしゃるんですよ。」

「そうです、そうです。なんにもこわいことはありません。僕だって、もういつまでこの野原に居るかわかりません。もし来年も居るようだったら、来年は僕はここへ巣をつくりますよ。」

「ええ、ありがとう。ああ、僕まるで息がせいせいする。きっと今度の風だ。ひばりさん、さよなら。」

「僕も、ひばりさん、さよなら。」 

「じゃ、さよなら、大事においでなさい。」

 奇麗なすきとおった風がやって参りました。まず向うのポプラをひるがえし、青の燕麦に波をたて、それから丘にのぼって来ました。うずのしゅげは光って、まるで踊るようにふらふらして叫びました。

「さよなら、ひばりさん、さよなら、みなさん。お日さん、ありがとうございました。」そして丁度星が砕けて散る時のようにからだがばらばらになって、一本ずつの銀毛はまっしろに光り、羽虫のように北の方へ飛んで行きました。 

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