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2007年1月に作成された記事

2007年1月21日 (日)

北九州がんを語る会・支部 行橋がんを語る会

「北九州がんを語る会 ・支部 行橋がんを語る会」のご案内

  • 目的:
    ・がんについての正しい知識の普及と、早期発見、医療情報など、一般市民への啓蒙活動を進める。
    ・医療者及び患者、家族、関係者、などがコミュニケーションを深め、場の共有をはかる
    ・末期医療、ホスピスのありかたについて学習し、ホスピス環境、施設についても検討する。
    ・生と死についての考察を深める。

  • 経緯:
    ・平成2年6月24日、福岡県行橋市内に事務局をおく市民団体「行橋がんを語る会」としてスタート。平成4年1月26日、事務局を北九州市内に移して「北九州がんを語る会」と改称。

  • 会員の資格:
    ・がん患者、家族、体験者、遺族、医療関係者および、会の運動に関心をもっている市民。会員制(年会費、3,000円)で、会員と賛助会員で構成される。賛助会員は、会の活動に賛同する団体、グループ及び個人で、年会費は一口(3,000円以上)とする。
    ただし、政治活動、宗教活動、民間医薬品の販売を目的とする人の入会は認めない。

  • 組織と事業:
    ・複数の世話人が協議して事業の企画、運営にあたり、事務局の業務を分担する。総会を年一回開催する。
    ・毎月、会報「希望」を発行する。
    ・「希望」ブログによる情報発信をはかり、全国/世界の関連団体などと交流する。
    ・定期的に例会(医療相談、体験発表、学習と参加者の交流)を開く。発言は強制しない。
    ・会主催の講演会、講座、ならびに友好団体と連携して、講演会、シンポジウムなどを開催する。
    ・病院、施設の見学、研修を行う。

  • その他の連携、活動:
    ・定期的に世話人会が招集される。
    ・在宅ホスピスの環境整備。
    ・ホスピスボランティア、訪問ボランティアの養成と活動。
    ・「がん こころの電話相談リンクス」を通して広範囲の相談に応える。
    ・がんによる死別体験者を対象に「遺族の会」を開催。
    ・難病に苦しむ人、高齢者問題も視野に入れつつ、ホスピスマインドの普及に努める。
    ・会員は、これらの事業に自由に参加することができる。
    ・会員以外の市民にも開放されている学習会、講演会などへの参加ご案内。

  • その他:
    ・患者、家族、体験者、遺族のプライバシーは厳守する。
    ・原則として会員の住所、氏名は公表しない。
    ・医師以外の人は、医学上のアドバイスをしない。
    ・各自が特定の民間療法、宗教を信じ、医薬品を使用するのは自由であり、体験発表も自由であるが、他の会員を誘導し強制してはならない。
    ・会の融和を著しく乱す者は、世話人会の協議を経て、除名することができる。

     

北九州がんを語る会・支部 行橋がんを語る会

 
代 表      
       
           
事 務 局     803-0851 北九州市小倉北区木町  
        2-12-34 西安禅寺  
        玉水 秀孝 TEL:093-561-5320
           
      (会員振込先) 口座番号 01760-1-83497  
        加入者名 北九州がんを語る会
郵送の場合は、玉水まで。
 

相談窓口のご案内

1.がんこころの電話相談リンクス
北九州がんを語る会 支部 行橋がんをを 語る会

曜 日 相 談 時 間 電 話 番 号
     
毎週 火曜日 20時~22時 093-617-7793
第 1 土曜日 13時~14時 090-7479-8022

・火曜日の相談員は、看護婦・心理相談員(桑机:クワキ)

・第1土曜日の相談員は、専門医があたります。

「電話相談リンクス」は、専門医と連携して、患者・家族の相談を受ける市民グループです。相談は無料。プライバシーは厳守します。ご遠慮なく「リンクス」を利用してください。
リンク=link(英)、鎖の輪、環、動力の伝達装置、連絡道路

2.がん相談 福岡県対がん協会

TEL:092-722-2511
面接、電話相談とも、月曜~金曜(午前9時~午後5時)
面接を希望される方は、事前にご連絡ください。

3.福岡ホスピス110番 特別医療法人栄光会 栄光病院

TEL:092-935-0147福岡ホスピス110番へ。
月、水、金曜(午後3時~午後4時)
予約受け付け:月曜~土曜(午前10時~午後3時)
希望される方は、患者、家族どなたでも末期医療全般についてご相談にのれます、ご連絡ください(無料)。

以上

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2007年1月20日 (土)

特集記事

【思い出の部屋の中から:心に残る患者様とのふれあい体験】

                      大山 恵子

 私は、ナイチンゲールの伝記の中でクリミア戦争の時に、夜毎の見回りの時に彼女がカンテラを持って、傷ついた兵士の寝顔をひとりひとり見つめ祈りながら廻ったという件が大好きでした。

看護師となり懐中電灯を持って患者様のベッドサイドを巡視するときは、いつもそのことを思い出していました。夜勤の時は、たった二~三名の看護師で数十名の患者様を守るのだと感動し、状態の悪い方の部屋に入る前は、祈りをささげて入っていました。相手の神様はすべての宗教の神様でした。だって、その方がどの神様を信じていらっしゃるのかわからなかったからです。

 漠然と自分の顔が、できることならば患者様の寝顔をみて安らかにと祈るナイチンゲールのような聖母マリアのような微笑をたたえていることができるならば良いのになぁと考えていました。

 しかし、現実の夜勤は多忙なことが多く微笑みどころか、バタバタと足音荒く走り回っていたことが多かったようにも思います。そんなわけで私はカンテラを持って廻る看護師にあこがれていたわけです。少女趣味と笑われそうですが、そうなのです。

私の思い出話をさせてください。「希望」の趣旨に沿う話かどうかは自信がありませんが、看護師生活も20年くらいになってしまいましたから、自分の心の整理と充分なふれあいのできなかった患者様へのお詫びもかねて、私の心に残った患者様のことを聞いていただきたいのです。患者様から教えていただいたことはたくさんあります。思い出の中の方々は皆漠然としていますが、その言葉や出来事のお話をさせてください。

 前置きがながくなりました。それでは、私がまだ新米の看護師だったころのお話からはじめましょう。

 私は看護専門学校を卒業して整形外科の病棟に配属になりました。その方はAさんと言って27歳くらいの女性の患者様でした。病名は肩関節の骨肉腫でした。骨にできる腫瘍で命の危険がありました。明るい性格の方で、オートバイの事故で昨年ご主人を亡くされていました。新米の私にとっては年上の患者さまでしたから、患者というよりも姉のように私をかわいがってくれました。ある日、彼女につらい選択が迫られました。癌に侵された手を肩から切断しなくてはならなくなったのです。明日、手を切断するという夜に私はずっとその方の切断されてしまう手を握りしめていました。「ずっと握手していて、覚えていてね」と彼女は言いました。私は「はい」とうつむいて手を握り続けました。看護師が泣くなんて当時は許されてなかったんです。でも、彼女の手に私の水滴は落ちていきました。翌日片腕になった彼女は、軽くなったよって笑ってみせてくれました。でも、すべては遅かったのです。彼女の病状は悪化し、人工呼吸器をつけるかどうかというところまでになりました。「これをつけたら生きれるんだね」と聞く彼女に私はうなずきました。彼女は生きることに執着していました。それは、バイクの事故で亡くなった旦那様の分も自分が生きるんだときめていたからなんです。前にそんな話を彼女から聞いていた私は、断固として生きれると信じてうなづきました。目と目があいました。私は信じていたから強くうなづきました。でも、間に合いませんでした。命のともし火が消えそうになる前に意識のあるうちに彼女は口から管をはずして欲しいと母親に訴え管ははずされました。

 私は、どうしたらよいのか、何を言ったらよいのかわかりませんが、離れられずそこにいました。ただ、立っていたのです。癌の患者様の側にいることが看護だなんていう感情はありませんでした。どうしようもできなくて立っていただけでした。

 彼女は私を手招きして「昨日、あの人が(旦那さん)が夢にでてきたのよ。私を迎えに来てくれるのよ。ひとりじゃないんだよ」って、そして、手を切断する「あの日、私の手を握ってくれてありがとう。泣いてくれてありがとう」って言ってくれました。私は、また、涙をながしながら残ったほうの手を握りました。

「旦那さんが来てくれるの?そうなの。ひとりじゃないのね。

旦那さんがきてくれるんだね」って何度もうなずきながら二人で手を握り合いました。かすれた小さなやっと聞き取れるくらいの声でしたが、彼女は確かにそう言ってくれて微笑んでくれました。

翌日、彼女は静かに天国に召されていきました。

 私は、何もできませんでした。ほんとに彼女と旦那さまの幸せをいのることくらいしかできませんでした。

「側にいること」とは、なんなのでしょう。ただ、居場所がなくてオロオロして、離れられなくていただけの新米看護師でした。

でも、「側にいること」は、側にいるだけでよいのだって、何も看護の技術とかコミュニケーションの技術とかそんなものはいらないのだってことを、彼女が私に教えてくれました。

私は彼女のお母さんを抱きしめました。彼女の言葉を伝えました。彼女は私の人生においての先輩であり先生でした。

【側にいること】は、そのままの意味なんだと思いました。

看護師だって泣いたっていいじゃないって思いました。泣き虫の弱虫の看護師の誕生でした。なにしろ、とにかく【側にいよう】本人と家族のそばにいようと思ったのは、この彼女との出会いからだったと思います。

これからも、思い出の扉をひらいて、ときどきお話をさせていただきたいと思います。なんて看護師だっておもわれるかも知れませんが、話す機会を「希望」に見出したようにおもうのです。

浜口代表のしのぶ会で心から思いました。私にできることから

はじめようって思いました。よろしくお願いします。

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あとがき(2007/1/15)

◇◇ あ と が き ◇◇

  明けましておめでとうございます
   
今日はちょうど月半ば。おだやかな冬日和です。今朝は霜が降りて冷え込みまし
たが、空気がシンとしていて身の締まる思いがしました。6時半ごろ閉めていた雨戸
をいつも開けるのですが、眠気まなこで外を眺めると南の空には三日月がひっそりと
浮かんでいました。皆様は新年をどのように迎えられましたか? 今年はおだやかな
天気の正月でしたね。
 
例によって今年の梅たよりですが、暖冬のせいか蕾がだいぶ膨らんできました。藪
椿もきれいに咲いています。蝋梅はもう満開です。去年は厳冬で梅もずいぶん遅く開
花したのですが、今年は春の到来も早いかもしれません。
 
イラクに目を移しますと、暮の30日にフセインがとうとう唐突に処刑されました。
ひげ茫々の姿で衆目にさらされてからちょうど3年が経ちました。ブッシュ大統領も
イラク戦争に突入したことを少々後悔しているようですが、泥沼にはまりこんだ現況
をどのように収束させるか頭の痛い日々が続くのでしょう。前線の兵士はたまったも
のではないでしょう。ブッシュに同調した小泉氏はすでに総理大臣を辞めてしまいま
したが、現在の混乱を招いた責任の一端は彼にもあるはずです。どのような申し開き
をするのでしょう。時の流れに身を任せず注意深く見守りたいと思います。石油価格
の高騰はイラク戦争と無縁ではないと思われますから。
 
それはともかく平和はどこから来るかということですが、彼らが声高に叫ぶ神から
来るのではなく、彼らと私や私達を支えている「三角形の底辺」(河井寛次郎)すな
わち人間(自己)存在の根底から来るのだということを、あらためて真剣に考えてみ
る必要があります。そこでは、イラクで流されている血は私の身にも及んでいるので
す。
 
新年にあたりいささか難しいことを書きましたが、今年はそこに立ち返って生きて
いきたいと思います。            
 2007115日 (T

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