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2006年8月 2日 (水)

故浜口至氏追悼

 追悼        浜口至さんの<新しい計画>

                             波多江伸子

「浜口先生が、ぜひ波多江さんに相談するようにおっしゃいましたので・・」

と、ときどき私のところに、がんの患者さんやご家族から電話がかかった。

皆さん、切迫した問題を抱えた方ばかりなので、自分にできる範囲でお話を伺ったり、知っている限りの情報をお伝えしたりした。

しばらくすると、浜口さんご自身から、「あー、波多江さん」とお電話がある。

「お急ぎの相談のようでしたので、波多江さんのご了解をいただかないまま電話番号を教えました。いつも事後承諾で悪いですね」と、特に悪いとも思っておられないようすで浜口さんは笑うのである。

もっとも私のほうでも、体調が悪く点滴治療中の浜口さんのところに、自分の担当する学生さんたちを紹介して、長時間パストラルケアの実践談を聞かせてもらったこともあるので、文句を言える筋合いではない。

浜口さんは、この10年来、3ヶ月にいっぺんくらい、特にご用もなさそうなのに電話をしてこられた。1時間くらいの長話になることもあった。「はぁー」とため息をついて、「もう、いけません。あちこち痛いばっかりで」と泣き言ふうなことを言い、すぐ電話を切られることもあった。実際にお会いしたのは1度か2度のことなのに、心を許した友人に対するように接してくださったのが嬉しい。

浜口さんと私は、よく似たやりかたでボランティア活動をしてきたが、一緒に活動をしたことはない。ときどき電話で悩みごとを聞きあう<お互いカウンセラー>風な関係だったように思う。

あるとき、私が「自分がどうにも信用できない怪しい人間なので、ほとほといやになります」と自己嫌悪に陥って訴えたとき、「私だってそうですよ」と牧師でいらっしゃる浜口さんは静かに答えられた。

わりあい最近のことだったと思う。お元気そうな声で、「波多江さん、私は、新しいことを計画しているんですよ」と言われた。病状があまりよくないことはご本人からも伺っていたし、80歳を超えた高齢でもいられるけれど、新しい計画を立てるのはいつだってすばらしいことだ。「じゃあ、私も仲間に入れてください」と言うと、「ええ、ぜひご一緒に」と楽しそうだった。いったいなにを計画しておられたのだろうと、浜口さんの<新しい計画>を、今ごろになって、あれこれ想像している。

実は、浜口さんが亡くなったとき、私は、たまたま同じ北九州市立医療センターの緩和ケア病棟で別の方を看取っていた。浜口さんは、いつも電話を切る前に「いちど、お会いしたいですねー」とおっしゃってくださっていたので、もし、入院されていることを知っていたなら、最後のご挨拶に、そっとお部屋に伺うこともできたのにと残念でならない。

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コメント

浜口先生さようなら
色々ありがとうございました。
又の出会いはいつでしょうか。
今度お会いする時は、私の方が・・・・でしょうか。
傷つけてしまったかも・・・・。生きる術かもしれません。わたしもこれから、つらい世の中、不安定な世の中価値観の多様な中生きて生きます。

投稿: | 2006年9月23日 (土) 00時17分

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