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2006年2月19日 (日)

特集(病むこととキャノンの「からだの知恵」

   

病むこととキャノンの「からだの知恵」

           

                               

あらきまりこ

 私は20代後半の頃、ちょうど長男の出産後に肺結核にかかって、13か月の療養生活を送ったことがあります。退院後も3年は抗結核剤を内服していて、あの頃はずいぶん心が弱くなっていて、まだ小さなこの子を残して再入院になったら本当にどうしたらいいのだろうと内心びくびくしていました。その頃に、看護学校の教員をしていたこともあって、このW..キャノン著舘鄰(たち・ちかし)、舘澄江(たち・すみえ)訳の「からだの知恵-この不思議なはたらき」(講談社学術文庫)を読み始めました。読むきっかけといえば、この本は、その当時ナイチンゲールを基盤とした画期的な看護論を展開していた薄井坦子さんのお薦めの本だったからです。一旦読み始めたものの、この本は非常に読みづらく、一度通して読んだくらいでは理解できませんでした。しかしどうしてもわかりたい気持ちが強く、繰り返し繰り返ししぶとく読み進むうちに、少しずつことばにもなじんできて、なんとなくわかるようになり、それとともに、なぜかからだの内側から、不思議なエネルギーが湧いてくる感じがしました。それになによりも、病気が再発するのではないかとびくびくしていたわたしの心が、おだやかさをとりもどしてきたのです。それはなぜだったのでしょう?この本は一言で言えば、生きているからだの日常的な不安定さを説いており、同時にその不安定さを奇跡的に調節できている人間のすごい生命力の存在を意識づけてくれます。私は今、この瞬間に「生きている存在」であるというだけで、すごいことなんだなあと感心してしまうのです。自分のからだにさまざまな危機が押し寄せようとも、その時自分自身のからだの内部で、すごいがんばりようで働いてくれるであろうしくみの巧みさがあることを感じることができます。以下に少し本文を引用してみましょう。

(p.2223)たとえば、脳の血管を流れる血液が一瞬停止しても、脳の一部の作用が止まり、気が遠くなったり、意識が失われたりすることは誰でも知っていることである。もし、脳への血液の供給が七、八分間完全に止まれば、知的活動に必要なある種の細胞はひどく破壊され、もはや回復しなくなることが知られている。

 実際、われわれを造りあげている物質が非常に不安定であることが、なぜ水におぼれたり、ガス中毒になったり、あるいは感電したりするとただちに死に至るかということの理由である。

 そのような事故のあとで死体を調べてみても、正常な活動が跡形もなく消えうせたことを充分に説明する一見してわかる傷害は見出せない。

見た目には正常で自然な形をしたこの人体に、ふたたび生命を呼びさますことができるのではないかという、感傷的な希望が湧いてくるかもしれない。しかし、人体の素材には微妙な変化が生じており、このような条件のもとでは、どのようにしても、それが再び生命の過程に復帰することはありえない。

  われわれのからだの構造がきわめて不安定であること、きわめてわずかな外力の変化にも反応すること、そして、好適な環境条件が失われた時に、その分解がすみやかに始まることを考えると、それが何十年にもわたって存在し続けることは、ほとんど奇跡的なことであるように思われる。

  この驚きは、からだが外界と自由な交換をしている開放的な系であり、構造そのものは永久的なものではなく、常に消耗され破壊され、修復の過程によって絶えず築き直されているのだということを知ったとき、さらに強いものとなる。

(p.33)自分で運動する白血球は、体内の反応性に乏しい異物や侵入した細菌を取り除き、からだを守る役を果たしている。もしも異物や細菌をたまるに任せておけば、流れは汚れ、不潔になってしまうだろう。

  血漿は、血液の半分以上の体積を占めており、腸管の消化作用の最後の過程で作り出されたあらゆる類の栄養物を運搬するコンベアである。このような栄養物は、酸素と同様、生物のからだのあらゆる場所に運ばれて、全ての細胞に、どんなに奥まった片隅にあるものへも、しかるべくゆきわたり、必要がなければからだの特定の器官に運ばれ、将来に備えてたくわえられる。

やはり文章はわかりづらいかもしれませんが、この本を通して、こうしている今も、自分のからだのなかで刻々と生きるための営みが行われているのだなあと実感できれば、いかがでしょう?自分が元気いっぱいな時も、たとえ病んでいる真っ最中であっても、いえ、病んでいる真っ最中であればこそ、わたし自身は、自分のからだの内に向けて、なにかしらのエールを送りたいような心持ちになります。

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コメント

恩師の舘鄰の名前でインターネットを検索したところ、
ここにたどりつきました。
舘鄰先生は先日癌で、お亡くなりになりました。
告別式は21日 11時よりに新宿で行われます。
お通夜に関しては、20日の18時からだとおもいます。

ご報告までにおしらせいたします。
拙い文章で申し訳ありませんが、ご報告までに

投稿: 舘先生の教え子 | 2007年2月19日 (月) 01時16分

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