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2005年9月24日 (土)

春夏秋冬(涙は愛の素)

やっと立ち直りました

―― 涙 は 愛 の 素 ――

 会報45号で(ある電話相談)その後を書きましたので、このシリーズはいちおうこれで終わることになります。あの記事は、会報33号に掲載した(ある電話相談―混乱と悲しみの中)での一部です。2週間後、ご主人は病気で死去、葬儀には身内や周囲の批判もあったが、親子4人が協議したように(偲ぶ会)の形式で執り行われた。儀が済むと彼女は倒れて1週間寝こんでしまった。広い家にひとりで住むことになって、仏壇の前で「お父さん、お父さん」と言って泣きくずれる日々がつづいている。

 私は31才で4才の長男と死別しているが。彼の骨が納まっている白壷を抱いて1週間泣きつづけた。愛する者との死別の悲しみは、骨肉だけではなくて、私の内面をも崩かいさせようとする力を持っていた。もし、そのままであったら心身共に倒れていたに違いない。悲しみを理解してくれる友人が欲しいと願った。

彼女は私の勧めを受けいれて、公民館で開かれる習字と俳画のサークルに入り、つい先日「1年経って、やっと立ち直ることが出来ました」という嬉しいニュースが、俳画の片隅に描かれていた。「また、泣きたくなったら電話します」とも付記されていた。彼女にとって、この1年がどんなに重たい日日であったかを静かに考えてみた。死別の悲しみから立ち直るために、故人の持ち物を全て始末したり、部屋を改造して仕事に集中する人もいれば、故人につながる思い出を心の中から締め出して、レジャーやアルコールに逃避する人もいる。目と耳を塞いで忘れようとする。

 しかし彼女は1日に何回も「お父さん、お父さん」と呼んでオイオイと泣いた。彼女がある日、「泣いてばかりいるのは弱虫なんでしょうか」と尋ねた。私は(4才)で急病死した長男と、(60才)で自殺した妻のことを想起した。愛する2人との死別は今でも私の心奥を離れない。

 

私は長男の骨が納められている小さい骨壷を抱きしめ、彼の名を呼んで泣きつづけた。自殺したのは、協議離婚をした妻であるが、自殺を告げる受話器を握ったまま呆然と立ちつづけていた。

私は「泣いてばかりいるのは弱虫なんでしょうか」と尋ねた彼女に「泣きつづけるのは決して弱虫ではありません。死別した人を1日も早く忘れようとして、無駄な国外旅行に金を使ったり、故人の持ち物を処分したりする人のほうが、むしろ、弱虫だと思いますよ。泣きたい時は泣いてください。泣く時の涙は愛の雫ですよ。あなたは今でもご主人を愛しておられます。この感情を失わないようにしましょうね。」

 この1年の経過を語る彼女の言葉には、悲しみの谷を歩いた人に共通するあたたかさがあった。死別の悲しみから、どうやって立ち直るかは、1人ひとりの選択にかかっているといえるかもしれない。そして、1人ひとりの選択の仕方が、その後の生き様となって現れるようだ。

 彼女は本年8月、娘夫婦が住んでいる神奈川県の某町で余生を送るべく旅立った。「浜口さんと会えなくなるのがさみしい」「この電話のコードは、神奈川県にもつながっていますよ」「あ、そうでした」笑顔がこぼれんばかりの声であった。

2005年9月6日  浜口 至

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