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2005年9月に作成された記事

2005年9月24日 (土)

あとがき

☆事 務 報 告

□ 827日(土) 事務局西安寺で世話人会開催。会報製本。

□ 827日(土) 会報「希望」第182号発送。

□ 910日(土) 北九州がんを語る会が共催のNPO法人北部九州ホスピスケアの会「9月定例会」に会員4名参加。

あなたらしく生きる

◇◇ あ と が き ◇◇

 九月も、はや下旬に入ろうとしています。今月も私の都合で発行が遅れてしまいま
した。お詫び申し上げます。朝夕はだいぶ涼しくなりましたが、日中は蒸し暑かった
り涼しかったりで、体調を維持するのに気をつかっておられるのではないでしょうか。お見舞い申し上げます。秋彼岸を過ぎると一気に涼しくなるでしょう。今年は幸いに中秋の名月を楽しむことができました。皆様はいかがでしたか。
 夕陽が落ちかかる間際までつくつく法師が鳴き、夜のとばりが下りた途端、こおろ
ぎをはじめ秋の虫たちが、ひっきりなしに合唱をはじめます。秋にしか味わえない独
特の風情でしょう。
 境内にある二本のイチョウの木からは、はや色づいて黄色くなった実が落ち始めま
した。昨年、数回の台風通過で枝がいたぶられたせいかどうかは分かりませんが、今
年の実のつき具合はよくないようです。そのかわり一粒一粒は例年になく大きい。そ
ういえば、小倉南区の合馬の竹の子も、例年の半分以下しか出荷されなかったと聞い
ています。これも台風の襲来と関係があるらしい。今年は現在のところ、北九州への
襲来は九月七日の十四号だけです。鹿児島、宮崎地方は豪雨で大変な被害をもたらし
てしまいましたが、北九州地方は台風の中心が通過したにもかかわらず大きな被害を
免れました。禍福はあざなえる縄の如しということを身にしみて感じています。
                           920日 (T

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春夏秋冬(涙は愛の素)

やっと立ち直りました

―― 涙 は 愛 の 素 ――

 会報45号で(ある電話相談)その後を書きましたので、このシリーズはいちおうこれで終わることになります。あの記事は、会報33号に掲載した(ある電話相談―混乱と悲しみの中)での一部です。2週間後、ご主人は病気で死去、葬儀には身内や周囲の批判もあったが、親子4人が協議したように(偲ぶ会)の形式で執り行われた。儀が済むと彼女は倒れて1週間寝こんでしまった。広い家にひとりで住むことになって、仏壇の前で「お父さん、お父さん」と言って泣きくずれる日々がつづいている。

 私は31才で4才の長男と死別しているが。彼の骨が納まっている白壷を抱いて1週間泣きつづけた。愛する者との死別の悲しみは、骨肉だけではなくて、私の内面をも崩かいさせようとする力を持っていた。もし、そのままであったら心身共に倒れていたに違いない。悲しみを理解してくれる友人が欲しいと願った。

彼女は私の勧めを受けいれて、公民館で開かれる習字と俳画のサークルに入り、つい先日「1年経って、やっと立ち直ることが出来ました」という嬉しいニュースが、俳画の片隅に描かれていた。「また、泣きたくなったら電話します」とも付記されていた。彼女にとって、この1年がどんなに重たい日日であったかを静かに考えてみた。死別の悲しみから立ち直るために、故人の持ち物を全て始末したり、部屋を改造して仕事に集中する人もいれば、故人につながる思い出を心の中から締め出して、レジャーやアルコールに逃避する人もいる。目と耳を塞いで忘れようとする。

 しかし彼女は1日に何回も「お父さん、お父さん」と呼んでオイオイと泣いた。彼女がある日、「泣いてばかりいるのは弱虫なんでしょうか」と尋ねた。私は(4才)で急病死した長男と、(60才)で自殺した妻のことを想起した。愛する2人との死別は今でも私の心奥を離れない。

 

私は長男の骨が納められている小さい骨壷を抱きしめ、彼の名を呼んで泣きつづけた。自殺したのは、協議離婚をした妻であるが、自殺を告げる受話器を握ったまま呆然と立ちつづけていた。

私は「泣いてばかりいるのは弱虫なんでしょうか」と尋ねた彼女に「泣きつづけるのは決して弱虫ではありません。死別した人を1日も早く忘れようとして、無駄な国外旅行に金を使ったり、故人の持ち物を処分したりする人のほうが、むしろ、弱虫だと思いますよ。泣きたい時は泣いてください。泣く時の涙は愛の雫ですよ。あなたは今でもご主人を愛しておられます。この感情を失わないようにしましょうね。」

 この1年の経過を語る彼女の言葉には、悲しみの谷を歩いた人に共通するあたたかさがあった。死別の悲しみから、どうやって立ち直るかは、1人ひとりの選択にかかっているといえるかもしれない。そして、1人ひとりの選択の仕方が、その後の生き様となって現れるようだ。

 彼女は本年8月、娘夫婦が住んでいる神奈川県の某町で余生を送るべく旅立った。「浜口さんと会えなくなるのがさみしい」「この電話のコードは、神奈川県にもつながっていますよ」「あ、そうでした」笑顔がこぼれんばかりの声であった。

2005年9月6日  浜口 至

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特集(自死遺族のグリーフケア)

シンポジウム「自死遺族のグリーフケアと自殺防止~コミュニティーはタブーを乗り越え悲しみをシェアできるのか」参加報告

日時:平成17910日 14001730

場所:北九州市総合保健福祉センター「アシスト21

司会進行:北部九州ホスピスケアの会 医師 矢津 剛

共催:北九州市(北九州市精神保健福祉センター)

   NPO法人北部九州ホスピスケアの会、北九州がんを語る会

 まず基調講演では、あしなが育英会、NPOライフリンク副代表の西田正弘さんのお

話があった。西田さんは、親を自死(自殺)で亡くした体験をもつ高校生や大学生と5

年間かかわって考えたことを中心にその実情と課題を語られた。西田さんは12歳の時

に父を交通事故で亡くし、その突然さに心が混乱し、ダメージも受けた。しかし交通

事故死というのは、いわば社会に認められているといえる。社会が交通事故予防対策

や飲酒運転の罰則規定の強化などに取り組み、徐々に改善が図られている状況と比べ

ると、自死した親の実態調査などは、進んでいない現状にある。全国的に自死が年3

万人を超え、特に4050代の自死が急速に増えている。それに伴ない、自死遺族の問

題も深刻化しているのではないだろうか。あしなが育英会では、例年親を亡くした子

どもが集い、34日のキャンプを行なうが、親を自死で亡くした子は、どうしても

その場で、皆にそれを打ち明けられない場合が多いということがわかってきた。親が

自殺したと言った瞬間に、友人関係がずれていく、あるいは変な家庭と思われるので

はないかという不安をもつ。あるいは身内から初めに口止めされたことでストレスを

抱えている場合もある。そこで彼らの話をもっとよく聞こうという試みが始まり、そ

れがVTRで紹介された。VTRでは、中学生の時に父が自死した青年の苦しみが、青

年自らの口を通して語られていた。寝室で命を絶っていた父の第一発見者となったこ

わさやそれ以後の生活のなかで、父の自殺を誰にも知られたくないという強い思いや

母が体調をくずしたのは父のせいだという父へのうらみ、また父の自殺は食い止めら

れたのではないか、食い止められなかった自分が悪いという自分への責めなど、さま

ざまな思いが彼を苦しめていた。それが自死した親の子どもだけのキャンプで、初め

てそういう自分の体験を語ったという。西田さんのお話では、グリーフというのは、

病気ではなく、大事な人を失えば、いろいろな感情が湧いてくるのは自然なこととま

ず受け止められることが重要であるという。さまざまな感情を人に受け止めてもらわ

ないと、その人の生活に多大な影響を及ぼしてくることになる。そこで今回の問いか

けであるそのグリーフを、「コミュニティは、分かち合えるのか」ということを、考え

てみる。分かち合うには、まず「自殺する人は弱い」などという社会の偏見を改めて、

一人一人が、関心をもつことから始めるべきではないのか。また自殺は単に個人の問

題ではなく、社会の問題として考えていくことが必要なのではないのか。当事者の話

を聞けば聞くほど見えてくるものがある。当事者同士が身近な場所で、分かち合いが

できるように、われわれはむしろ間接的にサポートしていくことが必要であると考え

ている。

 

 その後、自死遺族の方のお話があったが、匿名希望の方であったため、要約は省略

させていただいた。次にNP0北九州ホームレス支援機構に所属し、牧師、音楽療法士

でもある谷本仰さんのバイオリン演奏とフリートークが行なわれた。ホームレス支援

の弁当が30個から150個必要となり、次の年に250個と、年に100も増加した年は

1997年から1998年であり、この年は、年間自殺者が28000人から31000人に増加し

た年と重なっている。また自殺率は、全国的に見ると4000分の1の人が自殺している

ことになるが、北九州のホームレス者を100%としてみると、そのうち200分の1の

ホームレス者が自殺していることになり、高い自殺率となっている。したがってやは

り自殺は、一見個人的なもののように見えるが、まさに社会の問題であると捉えるこ

とができるという。このお話しの後、谷本さんが体験された身近な人の死と、残され

た谷本さん自身の苦しみについて語られ、確かに後に残された者の複雑な思いは存在

すると話される。谷本さんのバイオリン演奏で、ひととき心が休まる。

パネルディスカッション

 後半は、基調講演の西田さん、自死遺族支援「リメンバー」福岡代表の井上久美子

さん、小倉記念病院精神科医師・臨床心理士の三木浩司さんによるパネルディスカッ

ションが、矢津剛さんの進行により行なわれた。井上さんの自死遺族支援「リメンバ

ー」の活動報告や西田さんのライフリンクについての説明、三木医師によるうつ病患

者の自殺の問題などが取り上げられた。自死遺族支援は、身近な所で支援の輪を広げ

る必要があると思われるため、北九州でも、精神保健センターなどの協力を得て、会

を立ち上げる方向をめざせないだろうかという案が出された後、閉会となった。

所感

 重い課題ではあったが、現代社会に生きる我々にとって、自死あるいは自死遺族の

問題は、他人事としてではなく、関心を寄せ、またゆえなき偏見によって自死遺族を

傷つけることのないよう意識していかねばならないとこれを契機に心を新たにした。

 実践報告という形であったため、自死遺族の抱えている問題がリアルに浮き彫りと

なり、充実したシンポジウムであったと思う。関係者の方々お疲れ様でした。(文責新木)

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