2019/3「駆けっ句365日生き急ぎ」 烏有

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2019年9月30日 (月)

2019/9「駆けっ句365日生き急ぎ」 烏有

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2019/8「駆けっ句365日生き急ぎ」 烏有

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2019/7「駆けっ句365日生き急ぎ」 烏有

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2019/6「駆けっ句365日生き急ぎ」 烏有

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2019/5「駆けっ句365日生き急ぎ」 烏有

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2019/2「駆けっ句365日生き急ぎ」 烏有

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ダウンロ

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2019/1「駆けっ句365日生き急ぎ」 烏有

 

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2018/12「駆けっ句365日生き急ぎ」 烏有

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2018年11月 6日 (火)

2018年霜月ノ巻「駆けっ句365日生き急ぎ」 烏有

2018年霜月ノ巻

 

霜月某日・両陛下ひそりと泊のご来倉

霜月某日・見るうちに盆に近づく14

霜月某日確かむる望や夜半の無月かな 

霜月某日列島や木枯らし1号吹き抜ける

霜月某日けふも生く幽冥界へテレパシイー

霜月某日主が逝きてたれの継ぐやら80年床

霜月某日知り合いの訃報しきりや秋の暮れ

霜月某日穏やかに列島しばし冬に入る 

霜月某日日本の屋台骨支へし溶鉱炉 

霜月某日殖産の興業残滓や秋の雲

霜月某日・萃点(すいてん)の色空交はる霜月かな 

霜月某日・インバウンド受け内なる発展秋の声

霜月某日・秋の雨ベリーダンサーの震へるかな

霜月某日・現役の高炉聳ゆる天高し

霜月某日・霜月や街はにはかに冬モード

霜月某日・熱燗でクールダウンや秋の暮れ

霜月某日・酒処の安酒旨し冬隣り

霜月某日・自愛すれどやきのまわりし自己責任かな

霜月某日3日目に喉を潤す仏かな

霜月某日・せからしい胃管なくなり天晴れし

霜月某日五分粥のおもてなしや食欲の秋

霜月某日原因を先送りして一時の小春かな

霜月某日時空プラスをひも解く弦(紐、ゴム)理論かな

霜月某日・ベッドにて睡眠負債補ふ冬日向かな 

霜月某日・覚悟きめ不都合な真実へカメラ呑む

霜月某日・齢を越へ耳順ふの小雪かな

霜月某日・相部屋や非喜こもごもの黙示録かな

霜月某日・冬の雷執行猶予で生還す

霜月某日・輸血して鉄分蘇る秋の天

霜月某日・特注の貧血食やヘモグロビン

(つづく)

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2018年10月15日 (月)

2018神無月の巻「駆けっ句365日生き急ぎ」 烏有

2018年神無月ノ巻

 

神無月某日10月や肩肘張らずの気概かな

神無月某日・秋の風もったいぶらずのディグニティ

神無月某日内外にどこでもオフイス秋麗ら

神無月某日天高し一人遊びのヒッチハイク

神無月某日悠々として急ぐ途中(みちなか)夕まぐれ

神無月某日中秋や相伴預かる月見かな

神無月某日十六夜やいざ酔ふ人の朋とならず

神無月某日17夜立ち待ちしばし無月かな

神無月某日町内の子らの歓声運動会

神無月某日地政学始めに有きヤポネシア

神無月某日シェスタしてほふばる梨の冷やさかな 

神無月某日是々非々で越へなむ党派や秋の暮れ

神無月某日多神教攻めのゆくるり秋寂し

神無月某日一神教空(くう)の自由さ許されず 

神無月某日非日常の大役果たして今朝の秋

神無月某日・メルトモにいつかどこかでまた楽しからずや

神無月某日『葦平』学『オルタ』学との秋の酔ひ 

神無月某日金木犀新たなマンション並木より

神無月某日そこはかと一雨ごとの朝寒かな 

神無月某日孝行に夕食誘はる夜寒かな

神無月某日身に入むやうまか作戦に相乗りし

神無月某日新河岸のしみじみ出汁のおでんかな

神無月某日断捨離や捨てて瀬に浮く秋の月

神無月某日栄枯盛衰今にも生きる下克上かな

神無月某日収穫の厚保(あつ)栗頂く秋の夕

神無月某日勝負より感謝セールへなびくかな

神無月某日発声を熱燗に切り替ふ夕寒かな

神無月某日・実演の北の弁当選り好む

神無月某日・辛酸佳境に入ルの宵の酒

神無月某日・神もあり無事に渡れり10月尽

(つづく)

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2018年8月31日 (金)

2018年長月ノ巻「駆けっ句365日生き急ぎ」 烏有

   
 

 

 

「駆けっ句365日生き急ぎ」

 
 

 

 

烏有

 

烏有(ウユウ)

本名:田中七四郎(タナカシチシロウ)

1943年(昭和18年):10月、

東京都渋谷区

1968年(昭和43年): 4月、 富士通株式会社入社、システムエンジニア職従事

1993年(平成 5年): 1月、 駆けっ句スタート   8月、 胃がん手術

2000年(平成12年):12月、 富士通株式会社役職離任により退社

コーポレイトソフトウェア株式会社入社

2002年(平成14年): 7月、コーポレイトソフトウェア株式会社退社

 

2018年長月ノ巻

 

長月某日長月や内に猛暑外にハリケーン 

長月某日・かわうそはウソをつかない河童かな

長月某日9月やミサイル天災ヒアリ降る

長月某日院中に無聊をかこつ秋の陣 

長月某日リーンリーン草ヒバリ激すだくかな 

長月某日長月やつくつくぜみの尽きるかな

長月某日ずっしりと残る暑さの白露かな

長月某日残るいのちやどちらが後に燃へつくや

長月某日新涼やメルトモ来る報せあり

長月某日秋澄むや朋遠方よりオフライン

長月某日こぞ今年ガイアのきしめき強くなり

長月某日こぞ今年ガイアのきしめき強くなり

長月某日山川草木あるべきやふはになびくかな

長月某日秋麗らかぼそき途の隘路アリ

長月某日身内よりぶどう味覚の便届く 

長月某日しがらみや一国平和のままならぬ

長月某日・風前の灯近くガタの来る

長月某日あやめせずジジババ孝行敬老の日

長月某日・島の旅非日常に閉ぢこまれ

長月某日無沙汰代はり自著を添へての見舞いかな

長月某日無事ともに島から脱出みやげまで

長月某日曼珠沙華彼岸中日に滑り込む

長月某日水仙もどきの咲きたる墓所かな

長月某日雨もやひ天気に合はせて墓参かな

長月某日展墓行上がりはいつもの生き仏

長月某日三回忌浄土の日々やつつがなしや

長月某日はいかいや歩きを兼ねて俳諧す

長月某日今上陛下には和服お召しの退位の日

長月某日長月尽風か嵐かさよならか 

(つづく)

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2018年8月 3日 (金)

「駆けっ句365日生き急ぎ」2018葉月の巻 烏有

2018年葉月ノ巻

 

葉月某日八月やまちかど避暑地へしけこむかな

葉月某日・西日落ち涼みがてらに俳諧(徘徊)老人す

葉月某日ideaの枯渇に鞭打つ老骨かな

葉月某日返納と欠礼後に続ける遺偈かな

葉月某日74名付けの親へ捧ぐ遺偈かな

葉月某日雨風や迷走台風腹いっぱい

葉月某日盆近しカイの命日1周忌

葉月某日被災地や途半ばにしてまた一難

葉月某日ムーミンの日(8/9)や夢眠覚めやらず休眠中かな

葉月某日興俳へ舵を切る海の日かな

葉月某日列島すっぽり花火大会身構ふ

葉月某日定命や死地への旅へ日々新た

葉月某日鎮守の森や列島丸ごと遺産とす 

葉月某日初盆や一族郎党まみへけり

葉月某日讃仏偈寺僧と迎ふる盂蘭盆会

葉月某日三代でワゴン車を駆る送り盆

葉月某日二家の送り火はしごす展墓かな

葉月某日慰霊碑や長崎向きて祈りけり

葉月某日メールヘンは涼しい朝に返しけり

葉月某日吾レのため人の振りみて秋暑し

葉月某日・ワンペアのゆかた似合ひの花火行

葉月某日粛々と攻むる経営今朝の秋

葉月某日喧騒の中をつくつく法師の聞こへけり

葉月某日わさわさと早めにしけ込む街かど避暑地

葉月某日熱闘の甲子園に処暑の風

葉月某日まなじりをたてるほどはなし秋立ちぬ

葉月某日朝から珍味三昧夏料理

葉月某日秋暑しがまんくらべの生きくらべ 

葉月某日残る暑さ工事はつり音のあほりけり

葉月某日八月やイン/アウトバウンドの落としどころ

葉月某日・8月尽ことの外の寝苦しく

(つづく)

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「駆けっ句365日生き急ぎ」 2018文月の巻 烏有

文月某日文月やマンマンデイにてけふを終ふ

文月某日断捨離やケイタイ、鬚とをばさらかちょん

文月某日・7月や荒梅雨片し明けを待つ

文月某日終活や攻める老兵黙して消ゆる

文月某日ユリの花しっかり根を張る半夏生

文月某日備へあれど小振り台風列島横切るかな

文月某日駆けっ句や虚実皮膜の間あり

文月某日「ヒヤ(常温)一杯!」お冷(ひや)の出てくるおもてなしかな

文月某日一天掻き昏し雨の匂ひに雷神誘ふかな

文月某日豪雨一過初蝉の声聞こゆる朝かな

文月某日冷やソーメンよっしゃ!食べる人が作るかな

文月某日警報や台風余波の降り戻しかな

文月某日朝餉より入れ歯小骨と格闘す

文月某日暑気祓ひいささか過ぎる水の嵩かな

文月某日明け間近南九州梅雨明くる

文月某日・行く末や漢の生き甲斐これにあり

文月某日ゴンドラに登らず日盛り雄姿撮る

文月某日立会いにペットボトルを手放せず 

文月某日仙人と呼ばれしそれがし梅雨曇り

文月某日風前のともし灯や入れ歯と鋏は使いよう

文月某日・クラクラと熱中症に合併症

文月某日清き水の水垢土砂の厄介さかな

文月某日一夜措きなしのつぶてのメール待つ

文月某日得ならずばうんともすんとも頬かむりかな

文月某日蒲焼のタレに染み入る丑の日かな

文月某日終活のおれがおれがの一線を引くかな 

文月某日土砂災害地球のきしむ時空ゆがむ 

文月某日朝からわしわし喚くいざ生きめやも

文月某日慎重に油断も隙もない大暑日ソーメンのダンピング現象に捉まる

文月某日炎天や重装備して往く街の中

文月某日朝採りの大地の恵みや七月尽

(つづく)

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2018年6月21日 (木)

「駆けっ句365日生き急ぎ」2018水無月の巻 烏有

水無月某日六月や大仰なるタイトル御免乞ふ

水無月某日上梓して身辺整理梅雨入り前

水無月某日夏めくや攻めの終活山越ゆる

水無月某日陋習を断捨離して夏迎ふ

水無月某日花火ならぬ十字砲火浴びる夏の宵かな

水無月某日世界一短き物語を日句する

水無月某日拝顔の栄に浴する大正9年生矍鑠たり

水無月某日打ち上げや震える感動島の朝 

水無月某日インフラや津々浦々の島の夏

 

 

水無月某日人まばら梅雨入り前の島の影 

水無月某日木漏れ日やジョギング人を眺めたり 

水無月某日恵存やマクラの足しに昼寝かな

水無月某日ひっそりと菖蒲まつり後の池田かな

水無月某日・家族してザリガニ釣りの菖蒲田かな

水無月某日梅雨入りして雨の気配の寄り付かず 

水無月某日地球丸や人智を超ゆる漣かな 

水無月某日父の日や母の日と合わせて頂く中華かな

水無月某日生き死ににどちらが先や衣更へ

水無月某日ニンニクの夏の収穫お礼する

水無月某日ロケットの打ち上げみやげに新茶添へ

水無月某日・生き急ぎ死に急ぐ等価のいのちかな

水無月某日誕生や魂吹き込まる萬緑の朝

水無月某日マンマンデイ大死一番遺偈湧く

水無月某日荒梅雨や一転にはかになゐ嵐

水無月某日・夏至の日や梅雨中休みのくもりかな

水無月某日・しろしいや足場の組み立て梅雨ぐもり

水無月某日獺祭や宴たけなわの始末かな

水無月某日年初来の恵存作業峠越す

水無月某日6月尽帆立レシピと格闘す

(つづく)

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「駆けっ句365日生き急ぎ」皐月の巻 烏有

皐月某日メーデーやオクトーバーフェスタへ乾杯す

皐月某日さやえんどう旬の収穫ありがたし

皐月某日内庭の心ゆくまでアルキング

皐月某日音もなく瀑布の落ちたる藤まつり

皐月某日一息つくクールダウンやこどもの日

皐月某日畦道を杉の葉神輿の声響く

皐月某日神間歩や採銅所跡の皐月闇かな

皐月某日峠よりれんげ畑のかすみかな

皐月某日葉桜や逝きし愁ひの浄土かな

皐月某日おさおさとクリニカルパスに隘路なし

 

 

皐月某日突然の何がありきし皐月闇かな

皐月某日五月晴れ心の闇の計り知れず

皐月某日三回忌かはず正信偈と唱和する

皐月某日弔問や覚悟の予備軍に青田風

皐月某日融解やはかなき人世のためならず

皐月某日目覚むればお盆プラスの夜半の月かな

皐月某日しなやかに代替案で迂回するぬ

皐月某日お互いにぶれず譲らぬ薄暑かな

皐月某日・母の日や本願亡母へ上梓するかな

皐月某日凡夫には小さき物語が似合ふかな

皐月某日倩玉の版画にそよぐ夏座敷かな

皐月某日三宜楼和室の間より港レトロ見ゆ

皐月某日欄間見て御膳横目の眼福かな 

皐月某日水分補給や評判ラーメンの列につく

皐月某日お近づきにバックナンバーをを誼とす

皐月某日居心地や出入り自由な薄暑かな 

皐月某日総会やイデオロギー色濃ひ五月尽

(つづく)

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2018年5月 6日 (日)

「駆けっ句365日生き急ぎ」 烏有 卯月の巻

   
 

「駆けっ句365日生き急ぎ」

 
 

烏有

 

烏有(ウユウ)

本名:田中七四郎(タナカシチシロウ)

1943年(昭和18年):10月、

東京都渋谷区

1968年(昭和43年): 4月、 富士通株式会社入社、システムエンジニア職従事

1993年(平成 5年): 1月、 駆けっ句スタート   8月、 胃がん手術

2000年(平成12年):12月、 富士通株式会社役職離任により退社

コーポレイトソフトウェア株式会社入社

2002年(平成14年): 7月、コーポレイトソフトウェア株式会社退社

 

2018年卯月ノ巻

卯月某日祈願祭夜半の雨にたたらるる

卯月某日改修の安全祈願やアンチエイプリルフールなれ

卯月某日おこぼれや鯛の馳走のあら煮かな

卯月某日捌くには出刃の備へのなきやうらめし

卯月某日神前の奉納土俵入りや花ふぶき

卯月某日殿の猪なべに何とかありつくる

卯月某日群れもせで一人はなみの気楽かな

卯月某日お城まつり花より団子に寄り添ふかな

卯月某日ゆらゆらと春爛漫の一分咲きかな

卯月某日落ちつばき難所の峠をワープする

卯月某日甘辛を併せ呑みたる花見かな

卯月某日 ・傘差して城下町のおしゃれかな

卯月某日しっぽりと中津の雨の風情かな

卯月某日赤壁に血の塗り込められたる歴史かな

卯月某日よだきい会降られてもよしさくら雨

卯月某日誰彼と失せし独立自尊の気概かな

卯月某日収穫や増田栄太郎との邂逅あり

卯月某日朋のあり酒池肉林の豪奢かな

卯月某日よか爺々友や紅顔美少年?時代へワープする

卯月某日いつかどこかで再会期して店(丸清)離る

卯月某日囀りやスーパー入り口ツバメより

卯月某日・花いかだ櫂より始めの一寸法師かな

卯月某日御衣黄やいのち立ち上ぐ春の宵

卯月某日ミスなしと願ひ叶ひてなしの花

卯月某日春愁やバーチャルに生きてリアルに死す 

卯月某日恒例の筍便や春の夕

卯月某日春の嵐浄土のあたりのいかほどや

卯月某日打ち上げの日取り待ち受く種子島かな

卯月某日こでまりの打てば響くの応へあり 

卯月某日紅花の栃の葉ひかる卯月尽

(つづく)

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「駆けっ句365日生き急ぎ」 烏有

   
 

「駆けっ句365日生き急ぎ」

 
 

烏有

 

烏有(ウユウ)

本名:田中七四郎(タナカシチシロウ)

1943年(昭和18年):10月、

東京都渋谷区

1968年(昭和43年): 4月、 富士通株式会社入社、システムエンジニア職従事

1993年(平成 5年): 1月、 駆けっ句スタート   8月、 胃がん手術

2000年(平成12年):12月、 富士通株式会社役職離任により退社

コーポレイトソフトウェア株式会社入社

2002年(平成14年): 7月、コーポレイトソフトウェア株式会社退社

 

2018年弥生ノ巻

 

弥生某日幾星霜や明専の森の風の冷さよ

弥生某日初めてのプレミアムフライデイを中退し

弥生某日来客におもてなしや食市食座かな

弥生某日うつろひや三寒四温の妖しきあり

弥生某日自己責任危なき橋をはしごする

弥生某日温もるやたいこ広場の屋台かな

弥生某日せわしなき明け方ころの猫の恋

弥生某日春寒しホームセンターに在庫なし

弥生某日せからしや鬚に宛がうマスクかな

弥生某日三月や日日色づくみもざかな

弥生某日五輪咲く一番乗りの4月かな

弥生某日fj(富士通)のどこでもオフィス仕業かな

 

 

弥生某日常連の誼でこぼさるるコップ酒かな

弥生某日辛党の舌には余る愛の風船ケーキかな 

弥生某日寛容にやり過ごさせる弥生かな

弥生某日ペット飼ふペット飼はない猫の恋

弥生某日啓蟄や課題ふところ手に日和靴かな

弥生某日猫の恋ねこなで声でネコを呼び 

弥生某日春おぼろマンマンデイの遺偈かな

弥生某日3.11想像力への格差アリ

弥生某日災害とテロとが見合ふ事後法かな 

弥生某日・ヒカバオセオサルバヒクの春日かな

弥生某日7回忌あるべきようはの風光る

弥生某日牡蠣小屋の珍味預かるお相伴かな

弥生某日ささやかなアウトバウンドや肥後豊前行

弥生某日速報テロップや地震列島の春浅し

弥生某日静かさや春の息吹の雄弁かな

弥生某日改修をダシに断捨離彼岸入る

弥生某日春浅しマンション村にホーホケキョ

弥生某日徒歩で往くいつまで保つや墓参かな

弥生某日霊園のしじまを破る無粋鳥かな

弥生某日三月尽だましいぢめの歩きかな

(つづく)

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「駆けっ句365日生き急ぎ」 如月の巻 烏有

   
 

「駆けっ句365日生き急ぎ」

 
 

烏有

 

烏有(ウユウ)

本名:田中七四郎(タナカシチシロウ)

1943年(昭和18年):10月、

東京都渋谷区

1968年(昭和43年): 4月、 富士通株式会社入社、システムエンジニア職従事

1993年(平成 5年): 1月、 駆けっ句スタート   8月、 胃がん手術

2000年(平成12年):12月、 富士通株式会社役職離任により退社

コーポレイトソフトウェア株式会社入社

2002年(平成14年): 7月、コーポレイトソフトウェア株式会社退社

 

2018年如月ノ巻

 

如月某日EUや欧米世界の真価占ふ二月かな

如月某日悠々としてマルチ・コンカ・エンジの急ぐかな

如月某日粛々と段取りをつけて春隣

如月某日年下が目上をやり過ごす春浅し

如月某日恵方巻き一日遅れの北北西かな

如月某日クマモンや年男と並び福は内

如月某日春立つ日分身別るるまた一本

如月某日万歩計足取り軽し日脚伸ぶ

如月某日うわさ聞く河津さくらや蕾かな

如月某日八十路越へ冬の月の興ざめかな

如月某日立ち会ひて決断促す春の雨

如月某日こじ付けてまた酒が呑める新年会かな

如月某日春めくやピータの法則の境に立つ

如月某日春来るおいてきぼり制御に託すかな

如月某日・特別展なほ映像にて蘇る漢かな

如月某日人物を越へ得ずあくなき演技力かな

如月某日銀幕に残る若さを生きるかな

如月某日万漫デイや冗句で遺す春の水

如月某日お誘ひに生きて居るかや3回忌

如月某日アポートーシスや中立進化のなせる業かな

如月某日ダーウイン後や利己と利他とがじゃんけんぽん

如月某日リダンダンシーや急がば回れの日脚伸ぶ 

如月某日・パクス・トランパーナやびっくりジョ-カーがババとなる

如月某日頃はいま遠回りして見に行く河津さくらかな

如月某日梅見酒クリティカルパスを確かむる

如月某日ピンポンダッシュや何がストレスの浮世かな

如月某日通勤をヒッチハイクでこなせる豪の者

如月某日昔とった杵柄磨く浅き春

(つづく)

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2018年1月25日 (木)

2017年師走ノ巻駆けっ句365日生き急ぎ」 烏有

 

   
 

「駆けっ句365日生き急ぎ」

 
 

烏有

 

烏有(ウユウ)

本名:田中七四郎(タナカシチシロウ)

1943年(昭和18年):10月、

東京都渋谷区

1968年(昭和43年): 4月、 富士通株式会社入社、システムエンジニア職従事

1993年(平成 5年): 1月、 駆けっ句スタート   8月、 胃がん手術

2000年(平成12年):12月、 富士通株式会社役職離任により退社

コーポレイトソフトウェア株式会社入社

2002年(平成14年): 7月、コーポレイトソフトウェア株式会社退社

 

2017年師走ノ巻

 

師走某日ごっそりを止めて守破離の師走入る

師走某日・師走入る可処分時間のゆとりかな

師走某日・しぐるるやジョ-クで返すいやみかな

師走某日一夜擱き覚めて返すメールかな

師走某日直葬でと家族へ遺す師走かな

師走某日秋天や瀬板の森を逆上る

師走某日それもよし忙中閑の小春かな

師走某日一駅を森林浴にて冬紅葉かな

師走某日ぬくぬくとベッドに聞こゆる氷雨かな 

師走某日ご軫念へやましき虚言や通州事件

師走某日一衣帯水や文明の衝突避けられず 

師走某日日々や歴史観もて師走入る

師走某日新設の共創学部に冬陽射す 

師走某日「こうのとり」や日本発に上弦の月かな

師走某日わさわさとコンカ・エンジや年備へ

師走某日・12月や端切れの時を紡ぐかな年の暮れ 

師走某日・x'mas song 風に吹かれてボブディランかな

師走某日せはしなく決め付けなくて年準備

師走某日君はイルミへ行け吾レは酒を酌む

師走某日常滑や常山に魅入る無骨かな

師走某日かりかりと焦げおごそかに瓦そばかな 

師走某日関門の借景を肴に角を打つ

師走某日湯治場に晩白柚の浮かぶ冬至かな 

師走某日翌朝や街は一挙にモード替へ

師走某日あるべきや身土不二なる年の暮れ

師走某日鴨の群れ秩序ある混沌に矛盾なし 

師走某日・角打ちや年行く暮れの遺偈かな

師走某日注連飾り貫く棒へ年準備

(つづく)

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12018年睦月ノ巻駆けっ句365日生き急ぎ」 烏有

   
 

「駆けっ句365日生き急ぎ」

 
 

烏有

 

烏有(ウユウ)

本名:田中七四郎(タナカシチシロウ)

1943年(昭和18年):10月、

東京都渋谷区

1968年(昭和43年): 4月、 富士通株式会社入社、システムエンジニア職従事

1993年(平成 5年): 1月、 駆けっ句スタート   8月、 胃がん手術

2000年(平成12年):12月、 富士通株式会社役職離任により退社

コーポレイトソフトウェア株式会社入社

2002年(平成14年): 7月、コーポレイトソフトウェア株式会社退社

2018年睦月ノ巻

  元日試着してイザカマクラや年迎ふ

睦月某日はつゆめや「遺偈漫句」と烏有決め

睦月某日午からの外しめやかにお降りす

睦月某日初空や西洋カイトの品評会かな

睦月某日古巣より6(駅伝),2(天皇杯),1(ライスボウル)の年賀あり

睦月某日パクス・アメリカーナのトランプカードで年明くる

睦月某日人日の齢74の生き急ぐ

睦月某日おみくじや境内広場の淑気かな

睦月某日門出れば買物がてらの初詣かな

睦月某日悠々として攻むるクールダウンや松明ける

睦月某日夕しぐれ年賀ハシゴのひとりかな

睦月某日俳句には犬派のかよふとひとの謂い

睦月某日櫨の木の群雀姦し年明くる 

睦月某日寒晴れの正ちゃん帽子にペタル踏む

睦月某日鳶の舞ふ茜の空の安らけし 

睦月某日しっかりと王様の朝食摂りにけり

睦月某日一汁のクイーンの昼食ありがたし

睦月某日まじなひのサプリメントの余慶かな

睦月某日大試験の日大雪との受難アリ

睦月某日寒月や一晩措きて勝負色かな

睦月某日凍星や人のためならず自然体 

睦月某日・タスキ接ぐ女子駅伝や雪の中 

睦月某日リフォームやコンカ・エンジの杵柄かな

睦月某日器量なしあわてふためく修羅場かな

睦月某日引きこもるグローバル世界の出船かな 

睦月某日ヘン添へて今年占ふ初便りかな

睦月某日無意識や持続可能性の意識かなの国かな 

睦月某日過去を唯一にして未来を創りし皇家かな

睦月某日・アウディの中古の届く睦月尽かな

(つづく)

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2017年12月 4日 (月)

2017霜月駆けっ句365日生き急ぎ 烏有

 

   
 

「駆けっ句365日生き急ぎ」

 
 

烏有

 

烏有(ウユウ)

本名:田中七四郎(タナカシチシロウ)

1943年(昭和18年):10月、

東京都渋谷区

1968年(昭和43年): 4月、 富士通株式会社入社、システムエンジニア職従事

1993年(平成 5年): 1月、 駆けっ句スタート   8月、 胃がん手術

2000年(平成12年):12月、 富士通株式会社役職離任により退社

コーポレイトソフトウェア株式会社入社

2002年(平成14年): 7月、コーポレイトソフトウェア株式会社退社

 

2017年霜月ノ巻

 

霜月某日不節制終日ひたすら床出れず

霜月某日・かつてなら鬼門の10月駆け込み尽

霜月某日国東の城主の末裔露月夜 

霜月某日北の幸お相伴あづかる豪華昼かな

霜月某日あしへいの会酒気愛すべし夜長かな

霜月某日農業科の初収穫や文化祭かな

霜月某日音信の無礼をわびる立冬かな

霜月某日気がつけば名前の齢(よわい)に近づけり

霜月某日年々歳々LEDイルミの華やぎし 

霜月某日断捨離して身辺終活冬備ふ

霜月某日心眼より混沌から見る冬隣りかな 

霜月某日・元SEや自己責任にて骨拾ふ

霜月某日熱燗のしみじみ旨し今宵かな

霜月某日冬備へ攻むる防御のパシリかな

霜月某日題字見てあらぬ妄想たくましゅうす

霜月某日・次はムリフルムーンの無月かな

霜月某日特別の十六夜望の声で見る

霜月某日冬準備JRにて折り返す

霜月某日秋日和一人しんがり歩をつむぐ

霜月某日・筑前の琵琶の五弦の小春かな

霜月某日菊日和ひとり嗜む陰の人

霜月某日試し食ひ日日欠かさず食満たす

霜月某日逆縁の馬子に声無し長き夜かな

霜月某日バーチャルにどこでもオフィス冬支度かな 

霜月某日終活の消しこみ不如意の年を越す

霜月某日一献のこよなく愛す紅葉狩り

霜月某日一服の東屋下の景となり

霜月某日世界遺産湖畔に映るもみじかな

霜月某日紅葉見へ無料バスにてヒッチハイクかな

霜月某日梅林の仕込みおさおさ11月尽

(つづく)

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2017年10月12日 (木)

2017年長月ノ巻駆けっ句365日生き急ぎ 烏有

 

   
 

 

 

「駆けっ句365日生き急ぎ」

 
 

烏有

 

烏有(ウユウ)

本名:田中七四郎(タナカシチシロウ)

1943年(昭和18年):10月、

東京都渋谷区

1968年(昭和43年): 4月、 富士通株式会社入社、システムエンジニア職従事

1993年(平成 5年): 1月、 駆けっ句スタート   8月、 胃がん手術

2000年(平成12年):12月、 富士通株式会社役職離任により退社

コーポレイトソフトウェア株式会社入社

2002年(平成14年): 7月、コーポレイトソフトウェア株式会社退社

 

2017年長月ノ巻

 

長月某日日が落ちて雀のお宿の姦しや

長月某日・波風の立ててしばらくすれば凪となり

長月某日かなかなと悲しきうら声夏果つる

長月某日天高し発信力の急ぐかな

長月某日鶏頭の牛後の前行く正社員かな 

長月某日台風の余波でしみいる白い秋かな

長月某日台風の嬉しき誤算ねずみ一匹かな

長月某日豊水の産直便の甘さかな

長月某日シェスタあと巨峰の冷たきまっことかな

長月某日静けさや台風前の水をやり

長月某日涼新たかつおタタキに舌鼓み

長月某日好奇心が行く一人遊びの夕間暮れかな

長月某日空振りの台風備へ次に備ふ

長月某日さやけしやゆうあみゆうの七五三

長月某日コンカ・エンジや課題解決のクールかな 

長月某日仲秋や雨に名月お隠れに

長月某日激論の果てに満月見損なひ

長月某日ムリと知り追っかけ益なく無月かな

長月某日・粛々と受けて立つ秋涼し

長月某日土佐みやげ鍋焼きラーメン具の多し

長月某日かめ掃除一息入れる秋暑し

長月某日照準を中日に合わせて彼岸花

長月某日展墓行彼岸に重なる一周忌

長月某日天を衝く霊園までの墓参かな

長月某日朝の秋プロトコールにて覚醒す

長月某日獺祭やちらかし作業の踏み場なし

長月某日ほろほろと朝まで虫の鳴き通す

長月某日鷹揚に皮肉を言はず秋澄みぬ

長月某日墓所尋ね先祖知らさる秋の風

(つづく)

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2017年神無月ノ巻駆けっ句365日生き急ぎ 烏有

 

   
 

「駆けっ句365日生き急ぎ」

 
 

烏有

 

烏有(ウユウ)

本名:田中七四郎(タナカシチシロウ)

1943年(昭和18年):10月、

東京都渋谷区

1968年(昭和43年): 4月、 富士通株式会社入社、システムエンジニア職従事

1993年(平成 5年): 1月、 駆けっ句スタート   8月、 胃がん手術

2000年(平成12年):12月、 富士通株式会社役職離任により退社

コーポレイトソフトウェア株式会社入社

2002年(平成14年): 7月、コーポレイトソフトウェア株式会社退社

 

2017年神無月ノ巻

 

神無月某日爽籟やだみ声からすの10月かな

神無月某日・飛行機雲先かおけつか秋天に消ゆ

神無月某日やり過ごす勇気凛々天高し

神無月某日目で聞きてそれもよからう秋の風

神無月某日シンプルは大根下ろしに馬路村の酢だちかな

神無月某日不漁とか秋刀魚にぎりをゆくり喰ふ

神無月某日天皇のお気持ち忖度71年目

神無月某日馬肥ゆる戦馬還らず秋の風

神無月某日この秋や雲か嵐か寒露かな

神無月某日雨上がり運動会へ振り替ふる

神無月某日身に入むやおさおさ万端油断せし

神無月某日粛々と分類整理の夜長かな

神無月某日鳥渡るヒマラヤ越ゆる姉羽かな

神無月某日目覚むれば月は中天14夜かな

神無月某日十五夜やビルの谷間に盆供ふ

神無月某日けふの花ヒヨドリ花と聞かさるる

神無月某日・体育の日動キングくよりも食ベリング

神無月某日歩キングショートカットしてゴールイン

神無月某日秋陽射し一夜城にて想を練る

神無月某日街道の勝手知ったる秋の空 

神無月某日決断をうながし朝にはばら賞でる

神無月某日エコタウン風車眺めて折り返す

神無月某日お城まつりいきなり団子でインバウンドす

神無月某日鴛鴦の契り46年ありがたや

神無月某日金木犀雨の匂ひと混ぜこぜに

神無月某日霜降や攻めの経営受けて立つ

神無月某日秋の宵出入りの人のためならず

神無月某日百舌の鳴くどこでもオフィス寸暇惜しむ

神無月某日・沖縄学本家と分家の秋の宵(酔ひ)

神無月某日・辛酸佳境に入ルの宵の酒

神無月某日・ハローイン一雨ごとに夜寒かな 

 (つづく)

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2017年9月24日 (日)

2017年葉月ノ巻駆けっ句365日生き急ぎ

   
 

「駆けっ句365日生き急ぎ」

 
 

烏有

 

烏有(ウユウ)

本名:田中七四郎(タナカシチシロウ)

1943年(昭和18年):10月、

東京都渋谷区

1968年(昭和43年): 4月、 富士通株式会社入社、システムエンジニア職従事

1993年(平成 5年): 1月、 駆けっ句スタート   8月、 胃がん手術

2000年(平成12年):12月、 富士通株式会社役職離任により退社

コーポレイトソフトウェア株式会社入社

2002年(平成14年): 7月、コーポレイトソフトウェア株式会社退社

 

2017年葉月ノ巻

 

葉月某日悲観的に準備して楽観的に行動す葉月かな

葉月某日・丑の日やうなぎ飯摂り勢をつけ 

葉月某日沈黙や無用の用なる大暑かな

葉月某日沈黙や無用の用なる大暑かな

葉月某日炎天や酔分こまめに補給かな

葉月某日「かい」の往くや法師蝉の啼くかいな

葉月某日人よりもマシンの密度の暑さかな

葉月某日累々と晒す蚯蚓の炎暑かな

葉月某日うわんうわんと朝からしぐれの中を駆け抜くる

葉月某日立秋やお坊迎へ火前の経唱ふ

葉月某日名水や余震止まずに底をつくかな

葉月某日すててこの親子で涼し揖保の糸かな

葉月某日長崎忌ドラの合図に経を聞く

葉月某日山の日や海の日姉妹と根付けば良いかな

葉月某日プリンターの進化に驚くガラケー人かな

葉月某日朝刊読むシート一枚の夏座敷

葉月某日炎天やいざ出陣前のシェスタとる

葉月某日素麺やたまにゃ冷やしうどんよし

葉月某日漢より気っ風涼し夜店かな

葉月某日拙速につめる経営秋暑し

葉月某日・送り灯や浄土の池にて安らへし

葉月某日戦ひのリオに清けし望月かな

葉月某日美味やよし入れ歯のきしむ一夜干しかな

葉月某日秋暑しだましだましの空気読む

葉月某日法事度次が主役と弔問外交

葉月某日日盛りの片陰下や処暑の風

葉月某日朝歩きポケモンGOする人を探す人

葉月某日往き帰り法事の途の頼りなさ 

葉月某日初盆や小振りの柿の蒼さかな

葉月某日PK戦や紙(神)一重こもごもにノーサイド

葉月某日・海の日やにぎにぎしくも梅雨明ける

葉月某日庭隅の耳をそば立て啼く8月尽

(つづく)

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2017年7月18日 (火)

2017年文月ノ巻「駆けっ句365日生き急ぎ」 烏有

   
 

「駆けっ句365日生き急ぎ」

 
 

烏有

 

烏有(ウユウ)

本名:田中七四郎(タナカシチシロウ)

1943年(昭和18年):10月、

東京都渋谷区

1968年(昭和43年): 4月、 富士通株式会社入社、システムエンジニア職従事

1993年(平成 5年): 1月、 駆けっ句スタート   8月、 胃がん手術

2000年(平成12年):12月、 富士通株式会社役職離任により退社

コーポレイトソフトウェア株式会社入社

2002年(平成14年): 7月、コーポレイトソフトウェア株式会社退社

 

2017年文月ノ巻

 

文月某日奇遇なり朋友めぐり合う白夜かな

文月某日走馬灯紅顔の時代の蘇る

文月某日・旅で遇ふ予定調和の非日常かな

文月某日朝より夏日予報に初蝉の声

文月某日つき命日声明終へての冷茶かな

文月某日旅終へて識るSEさきがけの訃報かな

文月某日昼寝起きグレープフルーツの酸味かな

文月某日計画を前倒しして行く拙速主義かな

文月某日雨足を眺めて暮らす雨宿り

文月某日ヤポネシアひねもす借景見て暮らす

文月某日猛暑日や摂水ごとに息を接ぐ

文月某日台風のやっと1号梅雨明けず

文月某日水甕の嵩の寡き憂ひあり

文月某日取水制限や雨乞ひ祈る列島かな

文月某日定番のそーめんすする至福かな

文月某日秋草の露ほどはかなき夜明けかな

文月某日AKBより一世風靡の270シリーズかな 

文月某日暴れ梅雨被災地更に身備へ

文月某日改憲へやましき沈黙ほくそ笑む

文月某日・ロナルド゙や勝利の瞬間は陰の人

文月某日らくらくフォン2台目肩こりらくでなし

文月某日ガラケイの巻き肩こり肩症候群かな

文月某日さりげなく悠々として急ぐ夏祭りかな

文月某日競演へカラス加はる太鼓祇園かな

文月某日梅雨明ける祭の後の余震かな

文月某日梅雨明けや力を込めて丹田かな 

文月某日お見舞いに倍返しされつゆあける

文月某日寄り付かぬ馬子にも衣装の梅雨明ける

文月某日ドスコイと夏場所九日目のつゆあける

(つづく)

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2017年7月17日 (月)

いのちを豊かに生きるー西南女学院講演会報告2017/6/15

会報「希望」投稿 会員田中七四郎2017/7/15

西南女学院講演会報告

-「いのちを豊かに生きる」

日時:2017615日(木)17:4519:00

場所:北九州市小倉北区井掘1-3-1西南女学院

会場:マロリーホール

講師:柏木 哲夫 淀川キリスト病院理事長

主催:西南女学院キリスト教センター

 

 梅雨曇の暮れなずむ頃、西南女学院第19回キリスト教教育特別講演会として学内外より多数の参加者が集まった。講師の柏木哲夫さんは、日本で初めてのホスピス(終末期医療)プログラムをスタートさせた先駆者の一人として、今日まで2,500有余の方の看取りに立ち会って来られたと言う。「いのちを豊かに生きる」という演題でキリスト教徒の立場から大変わかりやすくお話された。

 ・同じ日本語でも「いのち」という場合と「生命」という場合ではニュアンスが異なる例:いのちは無限、生命は有限など、聖書に「いのちの息を吹き込まれる」とあるが息とは、霊oror霊魂か、「魂が神の存在を悟る」とは、魂は人間特有のものなのか動物は魂を持たない?

 ・「行動が伴わない信仰はむなしい」→気づき、感動の次に来る「行動」こそが重要。

 ・生の延長線上に死がある→人は死を背負って生きている、死が向こうから近づいてくる、死が追いかけてくる、「誕生のその場で背負う死のさだめ(川柳)」、

 ・人は生きてきたように死ぬ→生きざま=死にざま、良き生=良き死、生と死は裏表、

 ・良き死とは→苦しまない、交わりがあるかないか、魂の平安→末期には全ての魂の衣が剥がされる(剥げ落ちる)、

 ・感謝してきた人→「お陰さまで順調に弱ってきています」、

 ・永遠のいのちには再会の確信アリ、

所感:

 ・講師のお話にあるように日本語は難しい→TPO(time,place,occasion)による解釈が重要、筆者例:生き急ぎ=死に急ぎ、人を見たら泥棒と思え⇔渡る世間に鬼はいない、

地獄耳⇔福耳、口福⇔悪口、・・・

・今回はキリスト教ホスピス(終末期医療)の立場からお話であった。仏教においても末期患者に対する苦痛緩和の支援活動として「ビハーラ」という活動があるという。ビハーラは、サンスクリット語で僧院、寺院あるいは安住・休養の場所を意味し仏教ホスピスとも言われる。今日では終末期医療といえばホスピスという言葉の方が馴染みがある。ビハーラ活動にもホスピスとの共通点があるように思える。また、どんなところに違いがあるのだろうか、今後は仏教式ホスピスをも視野に入れて例会などを通じて情報を収集し幅広く終末期医療普及活動をおこなっていきたい。

  「ヒヤ(常温)一杯!」お冷(ひや)の出てくるおもてなしかな 烏有 

(文責:田中七四郎)以上。

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2017年6月29日 (木)

2017年水無月ノ巻「駆けっ句365日生き急ぎ」 烏有

   
 

「駆けっ句365日生き急ぎ」

 
 

烏有

 

烏有(ウユウ)

本名:田中七四郎(タナカシチシロウ)

1943年(昭和18年):10月、

東京都渋谷区

1968年(昭和43年): 4月、 富士通株式会社入社、システムエンジニア職従事

1993年(平成 5年): 1月、 駆けっ句スタート   8月、 胃がん手術

2000年(平成12年):12月、 富士通株式会社役職離任により退社

コーポレイトソフトウェア株式会社入社

2002年(平成14年): 7月、コーポレイトソフトウェア株式会社退社

 

2017年水無月ノ巻

 

水無月某日水無月や最期の奉公急ぐかな

水無月某日死に急ぎあら金婚の祈念旅かな

水無月某日寛解やこおろぎないて丸23

水無月某日留守居して運動会日を奇貨とする

水無月某日五月晴れ鬼の居ぬ間の居留守かな

水無月某日菖蒲賞でに朋遠方より来るかな

水無月某日野郎二人相相傘して梅雨入りかな

水無月某日そぞろ歩きほとぼりさます梅雨入り前 

水無月某日生活と歴史観をサラダボールに夏の朝

水無月某日候やよし障子張替へつかへ下る

 

 

水無月某日幾星霜遺偈積もれば道となる

水無月某日来し方や攻めの経営夏の陣

水無月某日粛々と緊張感もて夏迎ふ

水無月某日串木野のつけあげ肴に杯進む

水無月某日梅雨入りの日青春時代を歩キング 

水無月某日蒸し麺のラーメンスープと梅雨入りする 

水無月某日武士道のすたるや九州男児の潔しとせず

水無月某日貧すれば貪する晩節つゆ曇り

水無月某日父の日や初直行便にて外つ国へ

水無月某日北欧に極夜もあると教へられ

水無月某日・梅雨晴れ間うまずたゆまずウォッチング

水無月某日丈よりも高く伸びたり濃紫陽花

水無月某日梅雨空をおいてきぼりして行くみ空かな

水無月某日露払ひムーミンの郷へ初就航

水無月某日・激震のEUに近づく夏時間かな

水無月某日・夢眠や睡眠不足で越ゆる時差の壁かな

水無月某日「アナ雪」の舞台の処や銀世界

水無月某日幾万年フイヨルド進む船遅々として

水無月某日全幅の身柄ゆだねて往く梅雨曇りかな

(つづく)

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2016年11月24日 (木)

2016年師走ノ巻「駆けっ句365日生き急ぎ」 烏有

 

   
 

「駆けっ句365日生き急ぎ」

 
 

烏有

 

烏有(ウユウ)

本名:田中七四郎(タナカシチシロウ)

1943年(昭和18年):10月、

東京都渋谷区

1968年(昭和43年): 4月、 富士通株式会社入社、システムエンジニア職従事

1993年(平成 5年): 1月、 駆けっ句スタート   8月、 胃がん手術

2000年(平成12年):12月、 富士通株式会社役職離任により退社

コーポレイトソフトウェア株式会社入社

2002年(平成14年): 7月、コーポレイトソフトウェア株式会社退社

 

2016年師走ノ巻

 

師走某日ガス欠のだましだまして師走入る

師走某日・冬耕や素人大根の太さかな

師走某日むつまじくがんを語る冬隣り

師走某日冬支度明日のない日やいつくるか

師走某日幾星霜朝に起きては夜べに死す

師走某日紅黄色ポインセチアの店輝きし

師走某日結論を前倒しして冬に入る

師走某日天墜つるその朝の遺偈かな

師走某日漬物の柿の彩り目福かな 

師走某日分身の入れ歯の痛む師走かな

師走某日昼からの外の静かに冬雨の降る 

師走某日昭和一桁の不帰の人なる師走かな

師走某日ひとさまのただ寛容にすがる年の暮れ

師走某日呑みなほし懺悔悔恨けふ終ふ

師走某日自己責任明日を頼りに年を越す

師走某日・秋宅急便箱に詰めたる師走かな 

師走某日手のひらの気宇壮大なる宇宙かな

師走某日爆裂の補修になじむ小春かな

師走某日開店の祝儀を兼ねて一見の客 

師走某日・年備へ俳諧老人そぞろにさるく

師走某日忘年会2 靴を違へず帰還でき

師走某日死にざまや生きざまなりきと終ひ支度かな

師走某日逝き急ぎ鬼籍に入るの年惜しむ

師走某日上弦のあまねく照らす冬至かな 

師走某日呼びかけど賽の河原の年の暮れ

師走某日煌々と年の瀬冴ゆる冬の月

師走某日忘年会3 血の一滴までをそそうせず

師走某日年備へ人の情けにごみかたす

師走某日つかの間の空の蒼さや冬晴れ間

師走某日冬眠のカメお騒がせの年準備

師走某日未鬚大つごもりの暮れていく

(つづく)

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2016年11月 7日 (月)

2016年霜月ノ巻「駆けっ句365日生き急ぎ」 烏有

 

   
 

「駆けっ句365日生き急ぎ」

 
 

烏有

 

烏有(ウユウ)

本名:田中七四郎(タナカシチシロウ)

1943年(昭和18年):10月、

東京都渋谷区

1968年(昭和43年): 4月、 富士通株式会社入社、システムエンジニア職従事

1993年(平成 5年): 1月、 駆けっ句スタート   8月、 胃がん手術

2000年(平成12年):12月、 富士通株式会社役職離任により退社

コーポレイトソフトウェア株式会社入社

2002年(平成14年): 7月、コーポレイトソフトウェア株式会社退社

 

2016年霜月ノ巻

 

霜月某日十二夜や明日をイメージ後の月

霜月某日・一眠りして天空輝く十三夜

霜月某日秋の夕歩める感動確かむる

霜月某日秋夜長オスマントルコの久しからず

霜月某日店閑か日本シリーズの極めゲームかな

霜月某日優勝セール楽しみ袋へパシル朝かな

霜月某日天城より柚子海苔届くみやげかな

霜月某日はやジングルベルの11月かな

霜月某日立冬や世界遺産初のまつりかな 

霜月某日太公望横目で過ごし秋の雲

霜月某日地蔵尊前垂れ赤きつはぶきの花 

霜月某日場外馬券競馬場の芝光る

霜月某日11.10健さんモリミツ、モリシゲの名優命日秋寂し

霜月某日秋日和蒲団干しける恵あり

霜月某日秋深し往き交ふ人の歯の抜ける

霜月某日・秋夜長つまされし読む

霜月某日めげもせず再度挑戦の十一月かな

霜月某日ノーサイドマウリのダンスののり軽し

霜月某日鈍行で獺祭嗜む冬隣り

霜月某日・年々歳々小倉イルミの華やぐかな

霜月某日馬の居ぬパドックにて下見かな

霜月某日あっけなく急ぎ身罷る秋の暮れ

霜月某日身に入むや足腰衰ひけつまずき

霜月某日見上ぐれば皇帝ダリアの威風かな 

霜月某日そぞろ寒たぷりゆたりの湯舟かな

霜月某日屋上のローズガーデン秋のいろ

霜月某日ロボットの創るミニカーに声挙がる

霜月某日県秋澄むやクールYASKAWAのおしゃれかな

霜月某日ISもあまねく照らす望の月

霜月某日古稀の過ぎ終活目指して冬備へ

霜月某日初しぐれペダル踏む間に上がりける

(つづく)

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2016年神無月ノ巻「駆けっ句365日生き急ぎ」 烏有

 

   
 

「駆けっ句365日生き急ぎ」

 
 

烏有

 

烏有(ウユウ)

本名:田中七四郎(タナカシチシロウ)

1943年(昭和18年):10月、

東京都渋谷区

1968年(昭和43年): 4月、 富士通株式会社入社、システムエンジニア職従事

1993年(平成 5年): 1月、 駆けっ句スタート   8月、 胃がん手術

2000年(平成12年):12月、 富士通株式会社役職離任により退社

コーポレイトソフトウェア株式会社入社

2002年(平成14年): 7月、コーポレイトソフトウェア株式会社退社

 

2016年神無月ノ巻

 

神無月某日10月や南十字星へ心地ちそわそわ

神無月某日・非戦より打たせて捕るの避戦かな

神無月某日ソーメンの今年(こぞ)を惜しみて名残をし

神無月某日標章はまぼろしと了りぬ日本幻想

神無月某日満天の星降る夜を現実みる

神無月某日同行4人よくぞここまであら古稀の旅

神無月某日フライト11Hの南半球や時差3Hかな

神無月某日立待月遠回りして帰ろかな

神無月某日居待月それもよかろふ雨の降る

神無月某日一瞬の貌見せ臥待月や雲疾し

神無月某日更待月飲方過ぎて夜空見ず

神無月某日寝て覚めて半月映ゆる二十一夜かな

神無月某日追っかけど丑三つ時の宵闇かな

神無月某日二十三夜天球低く下弦の月かな

神無月某日水盃より一献傾け杯満たす

神無月某日年男年女異国で迎ふるバースデイかな

神無月某日・羊鬚の羊の国で迎へた誕生日

神無月某日海外で福目に出会ふ桜かな

神無月某日終ひにはエスコートするよりされる方となり

神無月某日ご縁かな良きたび良き酒紅しゃくなげの花 

神無月某日新月の南十字星や一等星

神無月某日いまどきの灯火管制やスターウォッチングかな

神無月某日秋晴れの工場まつり一人行く

神無月某日秋うららためた新聞まとめ読む

神無月某日指差して南半球より見る銀河かな

神無月某日初物や早生のみかんの小粒なり

神無月某日朋の逝き震へる振動のなき秋の暮れ

神無月某日秋暑ししつこくソーメンいとおしむ

神無月某日・帰国してにはかファンとなれりオールブラックス

神無月某日・秋の午後ただひたすらに傾聴ス

神無月某日・けんこうまつりチャイナドレスの似合ふかな 

 (つづく)

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2016年長月ノ巻「駆けっ句365日生き急ぎ」 烏有

 

   
 

 

 

「駆けっ句365日生き急ぎ」

 
 

烏有

 

烏有(ウユウ)

本名:田中七四郎(タナカシチシロウ)

1943年(昭和18年):10月、

東京都渋谷区

1968年(昭和43年): 4月、 富士通株式会社入社、システムエンジニア職従事

1993年(平成 5年): 1月、 駆けっ句スタート   8月、 胃がん手術

2000年(平成12年):12月、 富士通株式会社役職離任により退社

コーポレイトソフトウェア株式会社入社

2002年(平成14年): 7月、コーポレイトソフトウェア株式会社退社

 

2016年長月ノ巻

 

長月某日防災の日や臨機応変を養ふ日かな

長月某日・china(シナ)の定点観測勤しむ9月かな

長月某日バタフライ効果融通無碍の大気不安定かな

長月某日文明化の武漢に臨機応変の変り身見る

長月某日マンマンデイ易姓革命の不易かな

長月某日引越しのできぬ向こう3軒新涼かな

長月某日一盲の想像力には巨象の手に余る

長月某日死にざまや生きざまなりき南無阿弥陀仏

長月某日満洲や清朝史をなぞる秋天かな

長月某日虫すだくちゅら夜の白露かな

長月某日虫の夜ゆめかうつつか浄土幻想かな

長月某日戦後70年ぶれない響きや草ひばりかな

長月某日降り止まず去ぬるか留まるか雨宿り

長月某日葬儀なく献体了る報せあり

長月某日文明化の武漢に臨機応変の変り身見る 

長月某日鉄観音してしばしウーハン懐かしむ

長月某日軍隊や之繞(しんにょう)有るやなしやのわれもこう

長月某日一服を愚直になぞる今朝の秋

長月某日・亡き朋の留めおかれし彼岸花かな

長月某日秋風や彼岸の浄土に吹き渡れ

長月某日ひとりで逝きひとりで弔ふ秋の風

長月某日万寿沙華朋へ一花供へける

長月某日地球大の軋む悲鳴や白い秋かな

長月某日新成人と相伴にあずかるとしよりの日かな

長月某日望月や非の打ちどころなき花かな

長月某日月天のあっけなく逝く余命かな

長月某日展墓終へせみの鳴きやむ秋の空

(つづく)

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2016年葉月ノ巻駆けっ句365日生き急ぎ」 烏有

   
 

「駆けっ句365日生き急ぎ」

 
 

烏有

 

烏有(ウユウ)

本名:田中七四郎(タナカシチシロウ)

1943年(昭和18年):10月、

東京都渋谷区

1968年(昭和43年): 4月、 富士通株式会社入社、システムエンジニア職従事

1993年(平成 5年): 1月、 駆けっ句スタート   8月、 胃がん手術

2000年(平成12年):12月、 富士通株式会社役職離任により退社

コーポレイトソフトウェア株式会社入社

2002年(平成14年): 7月、コーポレイトソフトウェア株式会社退社

 

2016年葉月ノ巻

 

葉月某日8月や旅のポン友のデータ便届く

葉月某日・ちっぽけな地球を背中に2ショット

葉月某日居ながらに国境またぐwebかな

葉月某日朝から祇園の蝉のにぎにぎし

葉月某日いぢめよりいぢめ死なくす濡暑かな

葉月某日過去を変へ未来を創る炎暑かな

葉月某日逃げ惑ふ猫には戦火の花火かな

葉月某日被爆70年長崎忌の後につく

葉月某日亀の甲馬耳東風の花火かな

葉月某日たちまちにやまみみず干上がる炎晝かな

葉月某日冷や水ならぬクールダウンに時薬かな

葉月某日朝から床屋談義のあつさかな

 

 

葉月某日平和裡に夜空を焦がす花火かな

葉月某日日盛りや男日傘の欲しがりし

葉月某日古稀生きて戦後70年責任吾が事にあり

葉月某日ひっそりと疚しき沈黙戦後70

葉月某日欧中や地球の軋む昭和90年かな

葉月某日高原やワシワシ法師の大合唱

葉月某日由布岳や入道雲を帽子とし

葉月某日・足湯して高原はるけき展望す

葉月某日雨がやみ由布の山に霧立ち昇る

葉月某日雨足を眺めて待たむ雨宿り

葉月某日ケイタイも入らず使わず蝉の声

葉月某日駆る車一天たちまち豪雨なる

葉月某日豪傑に笑ひでごまかす卑屈かな

葉月某日台風に備へおさおさ早仕舞ひ

葉月某日一瞬静かなり台風15号の目通ル 

葉月某日一夜明け台風一過の爪の痕

葉月某日終活や平生往生風任せかな

葉月某日・効率にかまけて安全追ひやられ

葉月某日8月尽偏見一盲の象なでし

(つづく)

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2016年文月ノ巻「駆けっ句365日生き急ぎ」 烏有

   
 

「駆けっ句365日生き急ぎ」

 
 

烏有

 

烏有(ウユウ)

本名:田中七四郎(タナカシチシロウ)

1943年(昭和18年):10月、

東京都渋谷区

1968年(昭和43年): 4月、 富士通株式会社入社、システムエンジニア職従事

1993年(平成 5年): 1月、 駆けっ句スタート   8月、 胃がん手術

2000年(平成12年):12月、 富士通株式会社役職離任により退社

コーポレイトソフトウェア株式会社入社

2002年(平成14年): 7月、コーポレイトソフトウェア株式会社退社

 

2016年文月ノ巻

 

文月某日生足のネイルの光る7月かな

文月某日決断を一つうながし梅雨曇り

文月某日・親族の訃報の続く皐月闇

文月某日荒梅雨や最期の見送り南往く

文月某日腰据えて之を待てない梅雨晴れ間

文月某日食べ収め佐藤錦の旬の味

文月某日リタイア後も俺が俺がのゲリマンダー

文月某日おまえもか分身よさらばみなみかぜ

文月某日見送りて海外思い切る老介護かな

文月某日台パンクして急ぎ修理の梅雨晴れ間

文月某日慎重にけつまずきデコチン救急車

文月某日初蝉やならし運転の声短し

文月某日I/Oの劣化をゴマカス夏は来ぬ

文月某日楽しみは前と中後のキウイかな

文月某日ドア開けてカサブランカの香を逃がし

文月某日病室の窓から届く祇園かな

文月某日チンチョウに大事取り過ぎ粗相する

文月某日吾レが先かそれがしが先か散るさくらかな

文月某日頑なにガラケイに拘るラクフォン人

文月某日・梅雨明けずマンション主の声のなし

文月某日水替へてソーメンすするつゆ曇り

文月某日丹田に力を込めて夏に立つ

文月某日一見の南十字星へボン・ボヤージュ

文月某日片陰を選んで歩む大暑かな

文月某日弁へてやり過ごさせる勇気かな

文月某日ポケットの引き出し増へて悠々持ち 

文月某日給水や木陰のベンチでケイタイす

文月某日梅雨明けぬ堀川あたりをさ歩くかな

文月某日朝から祇園の蝉のにぎにぎし

(つづく)

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2016年水無月ノ巻「駆けっ句365日生き急ぎ」 烏有

   
 

「駆けっ句365日生き急ぎ」

 
 

烏有

 

烏有(ウユウ)

本名:田中七四郎(タナカシチシロウ)

1943年(昭和18年):10月、

東京都渋谷区

1968年(昭和43年): 4月、 富士通株式会社入社、システムエンジニア職従事

1993年(平成 5年): 1月、 駆けっ句スタート   8月、 胃がん手術

2000年(平成12年):12月、 富士通株式会社役職離任により退社

コーポレイトソフトウェア株式会社入社

2002年(平成14年): 7月、コーポレイトソフトウェア株式会社退社

 

2016年水無月ノ巻

 

水無月某日100周年明専と電機で恩を返すかな

水無月某日詮無くも加齢に棹さし夏迎ふ

水無月某日万歩計チャリンコ乗ってはかどりぬ

水無月某日入梅してマンション村主の嬉々と鳴く

水無月某日武漢行湯船でうなる似十八番かな

水無月某日あと智恵の今日の目線で両断す

水無月某日ワープしてお堀を華やぐ花菖蒲かな

水無月某日予備軍のI/Oもつれるの6月来る 

水無月某日仏説阿弥陀経唱へて頂く西瓜かな

水無月某日生足の足許美人の貌知らず

水無月某日卑しくも血の一滴を粗相せぬやう

水無月某日ほろ酔いのジョークの返せず諍いかな

水無月某日6月や予備軍最期の奉公かな

水無月某日菖蒲池株ごと花に名付けあり

水無月某日バーチャルに手の平大をワープする

水無月某日拙速で一歩踏み出し恥をかく 

水無月某日ハッピ着て呉越で楽しむ祭りかな

水無月某日ドヨメキを聞き映像で確かむドーム観戦かな

水無月某日押されてもおれがおれがを回避する

水無月某日一斉に背筋伸ばして雨を受く

水無月某日・はんなりと岸の流れに半夏生

水無月某日梅雨さなか泥土見せぬ靴美人

水無月某日雨中を親子で横切るつばくらめ

水無月某日発表会メロンみやげにつゆ曇り

水無月某日好き者のかめの飼育の鑑賞会

水無月某日・ぼんやりと辺りにけぶる合歓の花

水無月某日・日盛りや男日傘の流行のる

水無月某日緑陰の風を慕ひて息を接ぐ

水無月某日戦後70年花の成育の平和かな

水無月某日先人の無念を晴らせぬ額の花(つづく)

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2016年11月 4日 (金)

2016年皐月ノ巻「駆けっ句365日生き急ぎ」 烏有

   
 

「駆けっ句365日生き急ぎ」

 
 

烏有

 

烏有(ウユウ)

本名:田中七四郎(タナカシチシロウ)

1943年(昭和18年):10月、

東京都渋谷区

1968年(昭和43年): 4月、 富士通株式会社入社、システムエンジニア職従事

1993年(平成 5年): 1月、 駆けっ句スタート   8月、 胃がん手術

2000年(平成12年):12月、 富士通株式会社役職離任により退社

コーポレイトソフトウェア株式会社入社

2002年(平成14年): 7月、コーポレイトソフトウェア株式会社退社

 

2016年皐月ノ巻

 

皐月某日院展の光に翳る余白かな

皐月某日らくらくフォンをレベルアップ決め夏に入る

皐月某日酔眼で来し方行く末魑魅魍魎

皐月某日暖簾より足許美人の靴光る

皐月某日題字のみで理解した積もりの花眼かな

皐月某日受けて立つあるべきやうはで夏は来ぬ

皐月某日あらましでまずは動いて夏近し

皐月某日連休の宴のあとのものうしや

皐月某日よれよれと自由難儀の夏が来ぬ

皐月某日つかの間の白き航跡や夏の潮

皐月某日決断を前倒ししすぎて墓穴掘る

皐月某日里の香を荷物に詰めて送り出す

皐月某日薄暑の候二度目の彼の地を反芻す

皐月某日マンションの主がへる鳴く梅雨入り前

皐月某日心眼の生兵法にて夏を往く

皐月某日早老の消へさるのみの薄暑かな

皐月某日候やよしそぞろ歩きに風薫る

皐月某日つるりんと飲み込む赤児の羨道昏し

皐月某日回峰行山頂目指せば翠の風

皐月某日木漏れ日の下で一献や碧もみじ

皐月某日・山道を下りて万歩やハイとなる

皐月某日歩キング上がりは出湯のクールダウンかな

皐月某日藤園の盛りを過ぎても列切れず

皐月某日なつかしの武漢で唄ふ北国の春

皐月某日カラオケや異国で唄ふあかしあの雨のやむとき

皐月某日夏の宵ケイタイ失せて踏ん切るかな 

皐月某日翌日の足腰に張り来る障子張り

皐月某日バラ園や賞でてかぐはし100万本

皐月某日歩キング水(酔)分こまめにチャージする

皐月某日列島のストレス軋む夏日かな 

皐月某日PCと足腰ふらつく5月尽(つづく)

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2016年4月 6日 (水)

-「私が、がんになったら?」~治療も仕事も普通にこなそう!~-

会報「希望」投稿 会員田中七四郎2016/3/22

九州大学がん患者支援セミナー報告

-「私が、がんになったら?」~治療も仕事も普通にこなそう!~-

日時:2016317日(木)18:3020:30

場所:北九州市八幡西区産業医科大学病院がんセンター

会場:ラマツィーニホール

2部パネルディスカッション:あなたを支える仲間がいます!

コーディネーター:「がん・バッテン・元気隊」代表 波多江伸子

パネリスト:北九州がんを語る会・西安寺住職 玉水秀孝、

ひまわりの会 日並輝秀、あけぼの会 渡辺加寿子

主催:九州大学病院がんセンター 

 会場には150人超の一般の方、患者会、医療関係者などの人々が集まった。当会の

玉水秀孝さんも三人のパネリストの一人として参加された。最初に波多江伸子さんが

「がん・バッテン・元気隊」の活動状況を説明された。特徴は、ゆる~い、つながりで

必要な時だけ助け合うをモットーに県内の患者会だけではなく全国の患者会とも連携、国や各県のがん政策を学び、患者の立場で提言していることを紹介された。いちばん大切な役割は、がん患者会やサロンの仲間との語り合いと支え合いであることを強調し、特にピアサポート(peer support、同じ背景を持った仲間同士による支援、がん患者や難病や介護にも活用される)の役割の大きな事を主張しており、ピアサポーターの養成に尽力している。ピアサポーターは、医療者とは違った生きたモデル、心の支えになるとの事である。その後、パネラーによる患者会・サロンの紹介があり、病院の中の事例ではひまわりの会、全国組織ではあけぼの会、そして地域の会代表として当会が紹介された。玉水さんからは当会の25年以上の歴史と会の現在の活動状況ー会報毎月発行、例会開催ーなどが紹介された。その後宗教者の立場から会の活動を通して感じてきた生死観について披瀝された。住職は世間的な生死観からの解脱を自分自身の問題としてどのようにして伝えていくかということを哲学的にお話したかったようであるが時間がなくて会場には十分伝わらなかった?チョッピリ残念であった。しかし当日配布された資料の中に住職の会報(あとがき)が添付されていたので持ち帰って熟読された方は世間的な生死観から転換された氏の独自の生死観について理解が深まったのではないかと考える。またお二人のパネラーの方はそれぞれの血液がん、乳がんの患者でもあり会の会員でもあった。お二人は発症して再発に苦しみ、仕事のことを心配しながら一人で悩まないで仲間と支え合って現在も療養中の身であった。がんと共存しながら治療と仕事の両立を上手く図っており、生か死か、どうせ生きるのなら楽しく明るく生きようと多いに笑うことを心がけ、それが余裕となって顕れていることがよくわかった。帰りの夜道は暗かったが有意義な春の宵のひと時であった。

  生き仏のそのまま戴く墓参かな 烏有

 参考文献:毎日新聞朝刊(2016/03/18講演と討論会「私が、がんになったら?」)

(文責 会員田中七四郎)以上。

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2016年1月29日 (金)

「多死時代」を生きる。

会報「希望」投稿。

オピニオン紹介、「多死時代」を生きる。

「希望」会員 田中七四郎

2016/01/29

1.「多死時代」と「2025年問題」

 「2025年問題」とは、団塊の世代(昭和22 (1947) 年生~昭和24 (1949) 年生)2025(平成37) 年頃までに後期高齢者(75歳以上)に達することにより、介護・医療費など社会保障費の急増が懸念される問題です。厚労省は平成27(2015)年に「ベビーブーム世代」が前期高齢者6574歳)に到達し、

10年後の平成372025)年高齢者人口は、約3,500万人((人口比約30%)に達すると推計しています(平成18年厚生労働省・委員会報告書)。これまでの高齢化の問題は、高齢化の進展の「速さ」の問題でしたが、平成27(2015)年以降は、高齢化の「高さ」(高齢者数の多さ)が問題となります。また厚労省は、高齢化の進展による死亡者数の見通しを平成162004)年の全国の実績死亡者総数が約103万人、うち65歳以上の死亡者数が約83万人(81%)でありましたが、平成37(2025)年の推計では年間の死亡者総数が約159万人、うち65歳以上の死亡者数が約143万人(90%)と「多死時代」が到来するというわけです。それによって介護給付金も20兆円に達することが予測されています。これら超高齢社会、多死時代における高齢者医療費・介護費用による財政圧迫は、病床絶対数の不足、医療・介護施設・人材の不足をきたします。いま日本は圧倒的に「病院死」が多い。2013年統計では死亡場所は「病院」75.6%、「自宅」12.9%、「診療所、老人ホーム(特養老ホ・有料老ホ含む)、老人保健施設、その他」11.6%(人口動態調査)である。「自宅」には認知症グループホームやサ高住(サービス付き高齢者住宅)が含まれる。これから来る「多死時代」には必然的に「病院」以外での在宅医療・在宅死(自宅死)の比率が高まっていくものと推測される。「最期は住み慣れた自分の家で過ごしたい」「最期は家へ連れて帰りたい」と考えている患者・家族も少なくない。60%の患者・家族が在宅死を希望しているという調査結果もある。「多死時代」を生きる患者・家族は如何に対応すべきかいまから覚悟と準備をしておかねばならない。患者・家族のみならず地域・社会・医療従事者・国としても医療・介護のサービス体制の見直しを急がなければならない。低い出生率と諸外国に例を見ないスピードで超高齢化が進行している日本では社会保障費用の負担が胴あげ型(1965年、高齢者一人に対し生産年齢人口9.1人)→騎馬戦型(2012年、高齢者一人に対し生産年齢人口2.4人)→肩車型(2050年、高齢者一人に対し生産年齢人口1.0人)社会へ大きく変化していくものと予想される。年金など厳しい社会保障費負担の到来が予測される。小堀鷗一郎氏は来たる「多死時代」には患者側は<「自分・家族が死ぬときは良い病院でよい医師に囲まれているべきであるという固定観念」、また「看取り家族が人の死を身近で経験したことが無いため、肉親の死に対応できないこと」>や医療者側は<「ヒポクラテスの教えに縛られて、死を免れることができない患者によりよき死を迎えさせる技量を習得していないこと」、そして「(医療者側の)研ぎ澄まされた功利主義」>などを再考する必要があると指摘している。

2.「多死時代」を生きる

 確かにいまわが国では「病院死」が多い。ただし近年「自宅死」(在宅死)の割合が増えてきているという(2015/11/18毎日新聞、私の社会保障論、宮武剛氏)。特に東京都では「自宅死」割合が16.7%と全国一位となった。かつて一位を長く維持していた長野県は12.7%で全国19位に後退した。なぜ大都市で自宅死割合があがったのか。前の宮武氏(日本リハビリテーション振興会理事長)によれば<同居家族が父母や祖父母らの入院、施設入所を勧め、一人暮らしや高齢夫婦世帯の方がむしろ自宅で長く暮らす現象が背景にあるようだ>という。また自宅死は家族や知人に囲まれて逝くという「常識」も疑わしい。東京23区内の「異常死」(自殺・事故死・死因不明等)のうち「孤独死」(自宅で死亡の一人暮らし)は4515人(うち65歳以上2869人)。自宅死総数13467人の約34(2013)。壮年期の男性も目立ち、発見まで長く放置される例も多い。他の大都市部でも自宅死も孤独死の増加が要因の一つと推定される>という。わたしたちはどこで最晩年を迎えるのか。終の棲家がどこになっても最期はその人自身が希望する(満足して)死が遂げられるような、その人にとって適切な医療・介護サービスが受けられるようなケアシステム社会が望まれる。

参考文献:卓話「ヒポクラテスの教えなかったこと」

埼玉県新座市堀ノ内院名誉院長地域医療センター長小堀鷗一郎

「おひとりさまの最期」上野千鶴子、朝日新聞出版、2015/11/30\1,400

    過去の他者よりtakeして未来の他者にgiveをする 烏有

以上。

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2015年12月16日 (水)

認知症を知る~その「もの忘れ」は認知症の前兆か?

会報「希望」投稿 田中七四郎201512/14

201511月の例会報告

-患者、家族が医療者と普段着でがんを語る-

 

日時:20151121日(土)14:0015:30

場所:北九州市小倉北区木町2-12-34  

会場:西安寺

演題:知っていますか?認知症を知る~その「もの忘れ」は認知症の前兆か?

講師:国家公務員共済組合連合会新小倉病院 脳神経外科部長 吉開俊一さん(北九州市小倉北区金田1-3-1 tel 093-571-1031)

主催:「北九州・行橋がんを語る会」

 

 会場の西安寺さんには10名超の方が参加された。フリーペーパー「リビング北九州」などをご覧になって初めて参加された方もおられた。今回認知症についての演題を希望したところ新小倉病院の地域医療連携室より快諾あり開催の運びとなった。講師は脳神経外科部長吉開俊一さん、ご専門は救急医療に携わる脳神経外科医師とのこと、本年5月移植医療に関する臓器提供側の医療事情についての啓発書籍を自費出版されている。(下記参考文献参照)。今回はいわゆる認知症全般についてプロジェクターを使って丁寧にお話していただいた。高齢社会において今後益々増大していくといわれている認知症について詳しい定義や正しい理解がより一層深まった。

1.内容備忘:

・認知症と物忘れは違う。

・専門医師は患者さんの表情、視線、しぐさ、服装、対話内容、・・・などの観察を通して診断の助けとする。

・いまご本人が生活に支障が生じて困っていないかいるか、段階的には、前触れなのか、治癒できないか、徐々に手に負えなくなってきている段階なのか、採血、CT,MRIなど数値検査とあわせて総合的に診断する。

・認知症の原因はさまざまである。大勢の患者さんを診てきたがアルツハイマー病が原因は稀だった、むしろアルツハイマー型老年期認知症や脳血管障害性認知症(血流不全)の方が多数であった。

2.QA

・引越しなどの環境変化、連れ合いの死など非日常の刺激が影響する場合がある。

・人生波風ある、日々ストレスないことはない、早く寝ることにしくはなしときあり。

・躁鬱など不安→まず内科の医師に診てもらう→相談してアドバイス、支援、サポート

をもらう、皺や白髪は病気ではない→老化と病気は違う。

・家族に認知症の方を抱えているパートナー(連れ合いなど)、家族などの心構え→常日頃から仲よく、円満に暮らしておくことを心掛ける、そのときになって対応を考えたのでは遅きに失する。

3.所感

・講師のQA(受け応え)は専門知識による裏づけも明確で十分納得いくものであった。

・欲を言えば参加者、講師お互いがもっと患者家族の率直な不安、素朴な疑問などについてフランクに本音を語り合えば更に踏み込んだ刺激的な意見交換の場となったのではないか、どちらにしても普通の人が賢い患者家族になるためにはがんを語るときのみならず認知症を語るときについてもセカンドオピニオン、サードオピニオンの重要性について痛感させられた。さいごに今例会に貴重な時間を割いていただいた講師の吉開俊一さん、地域医療連携室の井之上智行さん大変ありがとうございました。

参考文献:「移植医療臓器提供の真実」、吉開俊一著、文芸社\2015/5\1,400

 

  死にざまや生きざまなりきと終ひ支度かな

  年備へ俳諧老人そぞろにさるく 烏有

                            (文責 会員田中七四郎)

以上。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2014年12月31日 (水)

2015睦月「駆けっ句365日生き急ぎ」 烏有

   
 

「駆けっ句365日生き急ぎ」

 
 

烏有

 

烏有(ウユウ)

本名:田中七四郎(タナカシチシロウ)

1943年(昭和18年):10月、

東京都渋谷区

1968年(昭和43年): 4月、 富士通株式会社入社、システムエンジニア職従事

1993年(平成 5年): 1月、 駆けっ句スタート   8月、 胃がん手術

2000年(平成12年):12月、 富士通株式会社役職離任により退社

コーポレイトソフトウェア株式会社入社

2002年(平成14年): 7月、コーポレイトソフトウェア株式会社退社

2015年睦月ノ巻

 元日あらたまの五葉の松の七変化

睦月某日寛容が自由に生きらる初夢かな

睦月某日あらたまの静かな闘志や富士の山

睦月某日古稀迎へ1割負担の年賀かな

睦月某日正義とは吾がことにあらず午明くる

睦月某日仕事はじめキジムナーの森へ年賀かな

睦月某日ヤポネシアしっぽ残して暮れにけり

睦月某日よれよれやXPとどちらが先に逝きつくか

睦月某日新年の暦求むる松の内

睦月某日冬枯れや木々の間から人語漏れ

睦月某日終活を前倒しして急ぐ墓整理

睦月某日飽きもせず雑煮頂く鏡開きの日

睦月某日一人して初鑑賞へ冬晴れ間 

睦月某日蟄居してひたすら床入る冬日かな

睦月某日逝く前にOS移行の越ゆらるかな

睦月某日彼岸までミチハトオシ小正月

睦月某日拙速を前倒ししてつんのめる

睦月某日新年やそれもよかろふ価値自由

睦月某日カッカしてほとぼりさます冬の月

睦月某日易姓より易家かつぐ瑞穂国かな

睦月某日繰返すジェノサイドの人業や深し

睦月某日サクラチルそれもよかろふ咲く日まで

睦月某日・自由より戦争を選ぶアイデンティティ

睦月某日年寄りのいも掘る談義や冬銀河

睦月某日古稀過ぎてこき遣はるるパシリかな

睦月某日さんしゅゆやエントランス華やぐ光

睦月某日氷雨止み傘をうっかり探し戻る

睦月某日珍重に免許取立て孫に乗る

睦月某日ぢぢばばも孝行授かるねこやなぎ

睦月某日竜宮城よりどちらが先に1月尽

睦月某日神畏る青きばら活く一月尽(つづく)

http://homepage1.nifty.com/tanakas/uyuu.htm.

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2014年12月10日 (水)

尊厳死について考える。

会報「希望」投稿。

尊厳死について考える。

「希望」会員 田中七四郎

2014/12/10

 最近アメリカの29歳の女性が医師から処方された薬を服用して亡くなった。女性は末期の脳腫瘍で余命半年と診断されてカリフォルニアから尊厳死法を合法化しているオレゴン州に転居していわゆる「積極的な安楽死」によって死亡した。彼女は「私には自殺願望があるわけではありません、私は死にたくはありません。ですが、わたしはもうすぐ死にます。だとしたら、自分の思う通りに死にたいのです」とCNNcomのブログサイトに書き込みをして、死の直前の揺れ動く思いを吐露して亡くなった。海外で施行されている尊厳(安楽)死法では尊厳死には自発的(消極的な)な安楽死と積極的な安楽死があるといわれている。前者は延命行為を行わない或いは治療を終了することにより結果として死に至らしめる。後者は本人の自己決定権を尊重して本人及び医師などが薬などを服用して生命を終結させるものである。彼女の場合は積極的な安楽死を選択したことになる。更に彼女は「さようなら、世界のみなさまさようなら」と自分の死を積極的に公表して死んでいったことでいまのNet社会で大いに議論になった。

 今日尊厳死が合法的な国はベネルクス3国、スイス連邦、アメリカ合衆国(オレゴン、ワシントン、モンタナ、バーモント、ニューメキシコ州など)などがあり、スイス連邦では自殺幇助のNGOも存在しているという。日本では尊厳死法案を国会で提出する動きがあるようだが未だ時間が掛かりそうである。そもそも尊厳死する目的は何だろうか。日本尊厳死協会が定義する尊厳死は「不治かつ末期の病態になったとき、自分の意思で延命措置を中止し、人間としての尊厳を保ちながら迎える死」となっている。難病の患者さんなど尊厳死を望む人は生存時間の長さ、長寿を全うすることより将来への絶望やいまの苦痛から早く逃れたいと考えて尊厳死を選択するのかもしれない。認知神経科学者のマイケル・ガザニガは<人間は「衝動を抑えて満足感を先延ばしにできる唯一の動物」である>(「ほとんど想像すらされない奇妙な生き物たちの記録」p117)。と定義しているが、その人間の定義を超えるほどがんや難病の患者さんの物理的、精神的、社会的痛みは計り知れないものがあるのではないか。古来日本人は島国という地政学的特徴もあり自然災害や天災などによっていついのちやときを喪うか分からないという無常を感じて生きてきた。安楽死や尊厳死について考えるゆとりがなかった、あるいはなじみが薄かったのかもしれない。今日日本では健常な人でも最期は自宅で死にたいと願っているにも拘らず現実は自宅以外の病院や施設などで亡くなっているケースが多いという。期待と現実のギャップが海外に比べて格段に大きいのがいまの日本のようだ。人間の尊厳を考える上で重要な、より苦しまずに気持ちよく(カンファタブルな)、安心できる最期を迎えたいというニーズは益々増えてきている。そんなニーズに対していま十分といえまい。尊厳死法制度化以前に人生の最期の看取りの環境や緩和ケア環境の充実の方が急がれるのではないだろうか。自分(人間)のいのちは自分だけのものなのだろうか、自死は権利といえるものだろうか、死に対する自己決定権といっても本当にどこまで信用できるものだろうか、安楽死、尊厳死、平穏死ということばの定義の問題ではなく日ごろから死を身近に考えることによって自分はどう生きていくのか、自分や家族、社会、国家の幸福とは何かを見直すよすがにしていきたい。前に紹介したほとんど想像すらされない・・・」の著者は、人間と霊長類の違いは、芸術、宗教、料理、スポーツ、ユーモアなどを解することであると主張している。安楽死を考えたり尊厳死を考えるのは他の動物にない人間と他の動物とを区別する大きな特徴といえるのかもしれない。

 尊厳死前に本願成就かなひしや 烏有

参考文献:http://www.huffingtonpost.jp/2014/11/03/brittany-maynard-death-with-dignity-advocate-dies-at-29_n_6091954.html

「ほとんど想像すらされない奇妙な生き物たちの記録」、カスパー・ヘンダーソン著、岸田麻矢訳、

エクスナレッジ2014/10/24\2,200。以上。

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2014年6月27日 (金)

2014年6月の例会報告(在宅サポートながさきクリニック)

20146月の例会報告

-患者、家族が医療者と普段着でがんを語る-

 

日時:2014621日(土)14:0016:10

場所:北九州市小倉北区木町2-12-34  

会場:西安寺

講師:在宅サポートながさきクリニック院長 長崎修二さん(北九州市小倉北区真鶴1-4-11)

主催:「北九州・行橋がんを語る会」

 今回講師は「在宅医師」を自任されている長崎修二さん、在宅医療、訪問診療、訪問看護、在宅看取りなどの基本的な用語や医療の制度面について分かり易くお話していただいた。

 医療は、入院医療・外来医療・在宅医療の3つに分類することができる。ながさきクリニックさんは平成227月に在宅医療専門の診療所として北九州市小倉北区に開設され、現在約120名の患者さんを在宅で診ており主に末期がんの患者さんの緩和ケアを在宅で行っている。ながさきさんのような診療所は在宅療養支援診療所と呼ばれ、患者さん、家族からの連絡に24時間365日体制で応じられなければならない。更に国からの細かい要件を満たしていることが前提で許可されており、全国約12,000機関、北九州にも約100120診療所が存在する。在宅医療は、患者さんの居宅へ訪問して在宅での療養を支援する保険医療である。狭義の在宅医療は訪問診療(計画的・定期的)と往診(臨時)とに分けられる。広義の在宅医療は、診療のみならず訪問看護(患者のお世話)や訪問薬剤指導管理、訪問リハビリなどが含まれ多くの医療従事者が係って行われる。ちなみに訪問介護(ヘルパーの訪問)は介護保険事業の柱としてデイサービス(通所介護)、デイケア(通所リハビリ)、ショートステイ(短期入所生活介護)と共に多業種連携サービスという形で行われている。

 訪問看護は在宅医療の主柱であるが訪問看護ステーションはいま不足している。ながさきさんのサポートエリアはクリニックから16Km以内、西は遠賀郡水巻町、東は門司区太刀浦あたりまでを目安としている。平均1時間2名、18名を診ている。ほとんどの診療所が外来診療との併用なので容易に在宅患者さんを増やせないのが実情。しかし多くの診療所が在宅医療を拡大していけば在宅医療の裾野が徐々に広がるのではないかとながさきさんは期待している。

 看取り医療の基本は緩和ケアである。その人らしい人生の終末を支援する医療でもあるため、人生最後のQOLを高め、家族の支援もする寄り添いの医療として看取りは行われる。家族・遺族への支援はグリーフ(悲しみや嘆き)ケアと呼ばれ遺族会などを通して患者さんの死後も長く行われる。ながさきさんは年間約2030名の方を在宅でお看取りしているという。在宅サポート医として私どものために日夜ご努力されている講師に感謝申し上げます。これからもお身体に気をつけられて益々ご活躍を祈念しています。現在私たちはどこでも気安く「かかりつけ医」を持つことができない情況にあります。家族、一人ひとりが身近にかかりつけ医を持てる環境(制度)になるよう本日講師のような在宅サポート医を通して国(厚労省)などへ働きかけて行きたい。国の制度が確立するまでは不安や悩みなど困ったときは病院では担当医と、在宅時には「がんセンターがん相談支援室」(北九州市立医療センター、tel093-603-1611、内線3166)などを駆け込み寺として活用したい。直接連絡を取り合って気楽に相談する事が賢い患者になる秘訣である。

 さいごにながさきさんは「平穏死」ということばと『「平穏死」10の条件』(長尾和宏著)を紹介していただいた。たまたま該本について筆者も目にしていたので簡単に梗概ご案内まで。

 平穏死は<特別養護老人ホーム芦花ホーム(東京都世田谷区)の石飛幸三先生が、著書『「平穏死」のすすめ』の中でこの言葉を用い>られた。<平穏死とはその言葉の通り「平穏に最期を迎える」ということ・・・自然の流れに逆らい、ただ死期を延ばすために栄養を与えるという延命治療に一石を投じるために「平穏死」という造語を使>って問題提起をされた(p28)。著者長尾和宏さん(在宅医療長尾クリニック院長)は、平穏死、自然死、尊厳死はほぼ同義語と考えて良いと述べている(p30)。ちなみに安楽死は尊厳死と違うもので、日本では尊厳死法案を今国会で提出する動きが活発化しているが安楽死は日本の法律では認められていない。<尊厳死は自発的(消極的)な安楽死といわれている(『安楽死を選ぶ-オランダ・「よき死」の探検者たち、シャボットあかね著)>著者長尾医師は、本書で平穏死10の条件を具体的に提言されている。そして尊厳「死」から尊厳「生」へ、ー「死」を看ることは、「生」を考えること、という思いを込めて著作はまとめられている。(おわり)

 

  二回目はねんねんころりとがんころり 烏有

参考文献:『「平穏死」10の条件』、長尾和宏著、ブックマン社、2012/7/30\1,333

安楽死を選ぶ-オランダ・「よき死」の探検者たち、シャボットあかね著、日本評論社、2014/1/15\1,900

(文責 会員田中七四郎)2014/6/27

以上。

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2014年6月24日 (火)

あとがき20140615

☆事 務 報 告

 

◇621日(土)事務局西安寺にて世話人会開催。会報「希望」第288号製本発送。

◇会報への投稿や製本のお手伝い等をして下さる方は、事務局までご一報

ください。

 

 

あなたらしく生きる

     

 

 

 

✤✤ あ と が き ✤✤

 

6月も半ばを過ぎました。梅雨入りは早かったのですが、今のところ大した雨は降っていません。明日あたりから雨模様とか。地域によっては大雨に見舞われている処もあるようです。どうかお気を付け下さい。

 早速、先月の続きに入ります。天正19(1591)年2月28日に利休は切腹をするのですが、その3日前、25日にしたためたとされる遺偈と和歌が残されていたようです。しかも直筆ではなく、これは千家三代目・宗旦の写しです。

「人世七十 力囲希咄 吾這宝剣 祖佛共殺」(じんせいしちじゅう りきいきとつ わがこのほうけん そぶつともにころす)

「提る 我が得具足の 一太刀 今此時ぞ 天に抛つ」(ひっさぐる わがえぐそくの ひとつたち いまこのときぞ てんになげうつ)

 いずれの辞世句も、信長、秀吉の茶頭としての利休の矜持(プライド)がうかがわれる厳しいものですが、内容的には似たようなものでしょう。「力囲希咄」は「エイッ」という掛け声のことです。「吾這宝剣」「我が得具足の 一太刀」における「吾」「我が」は、ともに我執(エゴ)にまみれた日常の「われ」ではなく、秀吉のみならず禅の師友・古渓宗陳やさらに神・仏の支えをも断ち切ったたった一人の「われ」です。ここには秀吉に対する「私怨」などはいささかもなく、「紅梅一枝と大鉢」や「朝顔の茶会」、さらには「塵穴の花入」や「からの花入」などのエピソードにおいて、利休のとった態度と共有できるものです。「祖佛共殺」とか「天に抛つ」とか実に激しい言葉ですが、利休の「自我(エゴ)」が絶対的に否定されたいわゆる「空の場」に立っての「無我の我」としての遺言ですから、利休の真実の言葉だと言えましょう。これもまた、秀吉に対しては「目を覚ませ」ということになるのでしょう。

 ところで、「情の人」としての利休を知るには、直弟子の一人である芝山監物(しばやまけんもつ 生没年不詳)に宛てた書状が一番でしょう。利休が堺に蟄居(ちっきょ)させられたと聞き、見舞いの和歌を添えて使者を寄越した監物への返歌には、「御詠に又ひとしお涙ばかりに候、返し  思ひやれ 都をいでて 今夜しも 淀のわたりの 月の舟路を」と、都に思いを残しながら、月夜の晩に淀川を下って堺に赴く悲しい心境を、誰はばかることなく吐露しています。この直筆書状には、晩年の「枯れた利休」像は思い浮かばないわけで、山本さんの「情熱の人」という想像もできなくはないが、それはあくまで一面的な見方でしょう。利休の一見矛盾した生き方をあやまたず捉えるには、やはり利休自らがどこに立ち位置を定めて生きていたかをまずは尋ねることが先でしょう。それは権力者・秀吉に仕える野心家としての利休ではなくて、半僧半俗の生涯を貫いた茶人として見るのが穏当な見方ではないでしょうか。すなわち、自らの美意識の高さをひけらかしたり、「美の殉教者」とか「茶聖」という言葉では括れないものでしょう。言い換えれば、他者の追随を許さない美意識の持ち主(目利き)という前提に立って利休を見てゆくと、自分の美学に殉じたナルシスト利休。あるいは、伝統的な美意識に果敢に挑戦した美の改革者利休といった像が浮かび上がりますが、利休の真実がどこまで反映されているのでしょう。以下、次号。               6月16日(T)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 

 

 

北九州がんを語る会

 

 

 

事務局 〒803-0851 北九州市小倉北区木町2-12-34

 

西安寺 玉水秀孝()TEL093561-5320

 

HPアドレス http://ctnk7460.cocolog-nifty.com/nozomi/

 

(会費振込先)口座番号01760-1-83497

 

加入者名 北九州がんを語る会 郵送の場合は、玉水へ

 

 

 

 

 

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2014年3月17日 (月)

書籍紹介、「安楽死を選ぶ」-オランダ・「よき死」の探検者たち、シャボットあかね著

会報「希望」投稿。

「希望」会員 田中七四郎

2014/3/13

 昨年当会報6月号より新聞記事、「高齢者の生と終末」ーオランダからの報告シリーズを数回に分けて紹介しました。

 今回は書籍「安楽死を選ぶ」を紹介します。オランダでは2002年安楽死法を施行。日本は安楽死は法律では認められていない。尊厳死法について検討中といわれている。尊厳死と安楽死の違いは尊厳死は自発的な安楽死といわれている。なぜオランダは世界にさきがけて安楽死を選んだのか?特に1960年代以降の変化が著しいという。新たに発見された天然ガス収入により福祉国家化が可能となり、非物質的要素の追求が重視されるようになった。伝統を破って自由な社会を求める欲求が強くなり、女性解放運動、中絶の合法化、セックスの脱タブー視化などが盛んになった。死について語ることや安楽死論議が活発になった。話し合える雰囲気が醸成され家族、愛する人などと思い切り語りつくして「周囲との対話をともなう死」を語ることが緩和ケアの機能を果たすようになったという。現在オランダでは安楽死は緩和ケアの一環として位置づけられている。安楽死を自発的生命の終結と呼んでいる。医師による意図的な、あるいは自己決定(自己責任)による生命の集結をオープンに扱おうとしている。しかしオランダの人々はいまの現実を決して満足しているわけではない。アメリカなどはオランダは人殺しの国であるという人もいる。同国の安楽死についての悩みは深い。安楽死は簡単にしてはいけない、患者家族医師がジレンマと格闘し選ぶものであると考えている。まず緩和ケアの充実を最優先したいと考えている。一方では安楽死絶対反対というオランダ医師連盟、オランダ患者協会などの組織がある。そこではより疼痛緩和や精神的ケアを含む終末期の緩和ケアを充実せよと訴えている。

 WHO(世界保健機関)による緩和ケアとは、「生命を脅かす疾患による問題に直面する患者とその家族に対して、痛みやそのほかの身体的、心理的、社会的な問題、スピリチュアルな問題を早期に発見し、的確な評価と処置を行うことことによって、苦痛を予防したり和らげたりし、QOL(人生の質、生活の質)を改善する行為。死期を早めたり引き伸ばしたりするものではない」という。しかし今日オランダでは死期を早める安楽死は、一般的に緩和ケアの一環とみなされるようになっている。もう一つオランダの定義では、緩和ケアにおいて、患者を「平等に責任をもつパートナー」として位置づけている。また医療的な問題と関係のない自死には医師がかかわるべきではない、というオランダ自発的生命の終結協会の考え方がある。また同国では、自殺は違法ではないが、自殺を幇助することは違法である。このようにオランダではいろいろな矛盾点を抱えながら安楽死問題を考えている。本著者はオランダの長い歴史、民族、宗教、風土と深い関連があるという。要するにポルダ(干拓地)ーモデル、オランダモデルがあるという。伝統的に市民社会の原則が国家に優先してきたという。

 翻って日本の場合を考えてみると、筆者は島国という地政学的位置づけからオランダのように血で血を争う長い戦争の歴史よりも、自然災害、天災によっていつ死が突然訪れるか分からなかった、いわゆる日ごろから無常を感じてきた歴史の方が大きかった。よって死について安楽死や尊厳死などについては関心が薄いテーマではないか。日本人は死について積極的に議論することを日常から遠ざけているように見える。若者や成人の自殺者がいま年間3万人前後もいるという。自分(人間)のいのちは自分のものなのだろうか、自死は権利といえるものだろうか、死に対する自己決定といっても本当にどこまで信用できるものだろうか、安楽死、尊厳死ということばの定義の問題ではない。日ごろから死、死に方(死生観)について考え議論する雰囲気、場がもっと必要ではないか。死を身近に考えることによって神を畏れ自らの生き方を見直すよすがになるのではないだろうか、筆者は考えさせられた。

 さいごに本書の著者は1947年東京生。父アメリカ人、母日本人。国籍、アメリカとオランダ。1974年からオランダ在住。現在は通訳、コーディネート、執筆業が生業という。

参考文献:「安楽死を選ぶ」-オランダ・「よき死」の探検者たち、シャボットあかね著、

日本評論社、2014/1/15\1,900

  新旧の風車に広がる花畑  烏有

以上。

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2013年12月28日 (土)

あとがき(2013/12/19)

     ✤✤ あ と が き ✤✤

落葉も一段落し、早めの冬景色となりました。早速先月の続きにはいります。

 さて、寬次郎が「現実の裏にくっついている」絶対的自由に裏打ちされた「第二の世界」と言う時、そこは、喰うか喰われるかの絶対的な敵対関係と、養い養われるという絶対的な相対(融和)関係が一つの事柄(現実)として主従関係を自由に転換しつつ絶対肯定的・同時に成り立っている「絶対無」「絶対空」とでもいうほかない処でした。言い換えるなら、拠り所がなく無限に開かれた対象化できない場所のことでした。いわゆる「空の場」は、「あり得べからざるものをあり得させる」「白を黒に出来、赤が青だと言える」変幻自在、形なきものが形をとってくる、おのずから然らしめる、あるがままの場とも言える処です。二見分別の感性的・理性的立場からは、ある意味で空想的・ナンセンスと指弾される立場とも言えましょう。逆に言えば、自己自身をも含めてすべてのものを一方的に対象化して見、聞き、考える二見分別の立場は、対象化して見ることのできない真の自己(あるがままの自己)、真の自由(あるがままの自由)には出会えない立場とも言えます。したがってその立場からは、「不安なままで平安」・「この世このまま大調和」という寬次郎の一見矛盾した言葉も、現状肯定主義・楽天家の戯言にすぎないと一蹴されるのかもしれません。そこでは矛盾した言い表しがどこからなされたか不問に付されています。

しかしながら、二見分別の立場での「あるがまま」は「目に見たそのままのもの」として、対象的・実体的・固定的に見られた「あるがまま」の形相(すがた)としてしか見ることができません。ところが、現実の形相(すがた)は時々刻々と非同一的形相(姿・.形)として現れます。それを見ている主体の視点もまた同時に時々刻々と移って行きますから、「目に見たそのままのもの」を対象的・固定的に見ている限り、それは虚像・幻想にすぎず、「あるがまま」の現実とは言えないことになります。近代的・主体的・自立的自我に目覚めた者(たとえば独我論者)にとって再びの試練が訪れているのです。主我的意識の内側でなされる自己反省や自己否定も相対的否定に過ぎず、二見分別の感性的・理性的立場そのものが絶対的に否定されているということに目覚めなければなりません。すなわち、「現実の裏にくっつている」「空の場」に働く動力学(絶対否定がただちに絶対肯定そのものとして働く)によって、二見分別する主体のありかたそのものが根本的変革を迫られているということです。その鍵となるものとして、「無心の心」、「無分別の分別」、「不知の知」、「不見の見」という言葉がありますが、これらはすべて「空の場」に直接したところから「空の場」に働く力によって成り立っているのでした。

 強烈な自我の持ち主だった寬次郎もまた、先に掲げた日誌や自註を見てもわかるように、一度ならず何度も苦悩のドン底に落ちていたのでした。そして、無底ともいうべき苦悩のドン底に徹したところから、「葉と虫」は「不安のままで平安」と答えたのだと受け取ったのでした。寬次郎もまた「葉と虫」とともに「空」と一つになって「不安のままで平安」だと語っているのです。言って見れば、寬次郎が、彼自身の主我的意識が絶対的に空無化された「絶対無」「空の場」にいったん跳び出て、葉と虫と共にそれぞれに「空」と一つになって、虫は蝶に転換されて飛びまわり、葉は無残な姿から装いも新たに葉っぱとなって軽やかに舞い、寬次郎は「無我の我」となって積年の重荷から解放されて軽やかに「山科の村々」を歩きまわっているのでした。その様子が次のように描かれています。

『この間中から、もやもやしていた、これでいいのだ、これで結構調和しているのだというような、しかしつきつめると何でそうなのだかわからなかった事が、ここで答えを得たのであります。虫と葉っぱ明らかに、かく答えたのであります。不安のままで平安──そうなのか、そうだったのか。/蝶が飛んでいる、葉っぱが飛んでいる、私は暮れるまで山科の村々を歩きまわっていました。』

 ここまでは、寬次郎と虫と葉っぱとの「うるわしい出会い」(直接経験)が語られていたのでした。これが出会いの瞬間に本来の姿として、現実にあって現実を越えたあるがままの「第二の世界」として現前してきたのです。しかも二行ほど余白を取った最後の締めの言葉『この世このまま大調和』によって、「空の場」としての「この世」(普遍の場)へと転換されます。この余白こそは、世界の開け、あるいは沈黙の世界でもあり、非対象的な絶対現在・絶対此岸(今のいま・此処のここ)を指示していて、そこには寬次郎と虫と葉っぱの姿はすでに消えてありません。「空」と一つになった「この世」が時々刻々と新たに展開されます。言い換えれば、寬次郎のみならず私や私たちも「無底空袋」ともいうべき普遍の場所へ引き出されていると申せましょうか。そして、「いのちの窓それ以後自筆ノート/昭和二一年~二三年」・『蝶が飛ぶ 葉っぱが飛ぶ』(前出)には次のように記されています。

『「この世このまま大調和」美しいかな有り難いかな/雨とぬれ 風と吹き 雷と鳴り 地震とともにゆれるのだ 秋風と一緒に鳴き 芙蓉と一緒に咲き 仕事と一緒に仕事』

ここには自然と人間との緊張関係において、人間の実存にとって都合の悪い事(審き)も良い事(恵み)も素直に受け取って、それらが全く障碍とならない軽やかな大調和の世界が展開されています。この世のあらゆる事象が自己を含めてそれぞれに「空」に裏付けられ、「空の場」に働く絶対肯定の力が一瞬一瞬完結しながら新しく働いていればこそ、そういうことが言えるのです。単なる思いつき、言葉の綾として恣意的に言われているわけではありません。つまり主我的意識が絶対的に否定された「空の場」で、自然とともに主となり従となり、従となり主となって立場を自由に転換しながら生きるということが言明されています。しかも「仕事と一緒に仕事」と結ぶことによって、「コレカラ始マル未知ノ世界 何ガ起ルカ マサニ生キ甲斐アル也」(前出 8月16日の日誌)とある通り、仕事することがそのまま生きることであり、生きることがそのまま仕事することであると率直に述べられています。すなわち、常住危機の真っただ中にあって、「無我の我」の実存的自己として生死することの喜びが、エッセイ『蝶が飛ぶ 葉っぱが飛ぶ』に反映されていたのでした。そして、寬次郎独自の個人的直接経験が「空の場」(普遍的場所)においてなされている限り、今ここを生きる私や私たちにも直接に関係している事柄だったのです。それをどのように受け取るかは、一人一人の自由な選択にゆだねられていますが。もうすぐ新年を迎えますが、どうぞいいお年を!

2013年12月19日(T)

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2013年6月17日 (月)

会報希望、2013/05/15記事本文

ささやかな贈物の

(

ぬし

)

としての病気

      -ヴァン・デン・ベルク著上野

(

ひとし

)

訳「病床の心理学」現代社から抜粋引用-

 

p.42~健康な日々の思い出にがんこに固執しない患者は、病床に驚くほど強烈な新しい生活を発見する。彼はいろいろの小さなことに感じやすくなる。

 健康人は、職歴、勉強、名声あるいはお金などの重大な事柄に心を奪われているあまり、小さなことを忘れがちである。それをよく吟味してみると、人生に意味を与えるのは、決してそうした重大な事柄ではないことを認めざるをえない。健康人もやはり小さなことに対する感受性を失っているわけではないのだ。たとえば、子どもの頃のことを思い出そうとしてみると、初めて小学校へ行った日のこと、自分の最優秀のレポート、あるいは進級できなかったときのことなどを思い出すだけではだめなのだ。生まれて初めて海をみたときの記憶といったことでさえ、彼に幼い日々を引き戻しはしない。両親の家の中でのいろんな物音、ホールの時計の音、ゆるんだ屋根瓦の音といったことや、その家を「自分の」家だと感じさせた自分の小さな部屋などを思い出さなければならないだろう。その部屋は屋根裏の片隅だった。それに台所のテーブルの下のなじみの場所、冬中電気がついていたカーテンのうしろの不思議なスペースといった具合である。先に述べた、健康人の日常における重大な事柄についても、それはいろいろなこまごましたことがいっしょになっていることで初めて自分とつながりをもってくるのだ、と気づく。・・・(省略)。

 患者はこうしたほんの小さなことに対する新しい感覚を獲得する。他の誰よりも、患者は一日のリズムを知っている。朝早く、暗闇から光へとしだいに変わっていく窓のたたずまい、病室にさしこんでくる最初の陽光、ベッドや床や、壁の上の日光の点の移動、日中のせわしげな物音、宵闇の訪れ、容赦なく進んでいく夜の静寂など。こうしたことの新しい感得は、いつでも好ましいわけではないにしても、あるまったく特別な意味で、それらは信頼されるようになり、彼にとって貴重にさえなるのだ。患者は時計のチャイムが一つなるのを聞き、いま午前3時半かしら、4時半かしらと思う。さらに30分ほど待った後、やっぱりチャイムが一つだけしかならないのを聞いて、ため息しながら、今、夜中の1時半にちがいないとわかる。それからもう30分ベッドの中で待っていると、今度は時計台の時計が眠っている町中に、もう一度一つだけチャイムを鳴らすのを聞く。したがって、解放の朝の到来までの時間はもう30分遅れることになる。こうした患者は、このような夜の記憶を楽しい思い出としてとどめてはいない。しかし同時に、こうした夜は彼にとって生き生きしたものであり、また強情かつ意志的でありながら、それにもかかわらず馴染みのある友達でもあることを知っている。…(以下省略)

工藤直子作「のはらうた」童話屋p.130131より引用)

    こころ

         からすえいぞう

 ゆうやけが

 あんまり きれいだったりすると

 おれ しんとした こころになる

 ゆうやけの ところへいって

 はなしあいたくなる

 なにを はなすかっていうと

 あかちゃんだったときの こととかさ

 しょうらいどうなるかって こととかさ…

 いつもは こんなこと

 おもわないんだぜ

・・・・・

 おれ こころ

 いっぱい もっているんだな

☆事 務 報 告

518日(土)事務局西安寺にて世話人会開催。会報「希望」第275号製本発送。

◇会報への投稿や製本のお手伝い等をして下さる方は、事務局までご一報

ください。

あなたらしく生きる

         ✤✤ あ と が き ✤✤

五日の立夏を過ぎてからようやく皐月晴れの好天が続くようになりました。四月は寒い日と暑い日が交互にやってきて、いつ夏物に衣替えしていいのか迷う日々が続きました。風邪をこじらせて床に臥せった方も多かったようです。皆様はいかがでしたか。

 二日が立春から数えて八十八日目の八十八夜でした。八女地方は昨年の豪雨被害で、茶摘みも例年ほどには意気が上がらなかったのではないでしょうか。とくに星野茶の被害は甚大だそうで、復興に長い歳月を要するそうです。おいしいお茶が再び飲める日を待ちたいと思います。

 ところで、四月十四日にNHKEテレ日曜美術館で「宇宙の器 器の宇宙~陶芸家 河井寬次郎の世界」(421日午後8時再放送)が放映されていました。お気付きの方もおられたのではないでしょうか? 番組では語られていませんでしたが、河井寬次郎記念館(京都市東山区五条坂鐘鋳町)開館40周年を記念して企画されたのでしょう。私も京都に行くたびにその記念館に足を運んでいますが、何度訪れても飽きの来ないやすらぎの空間なのです。出演していた若い俳優さんも同じ感想を抱いていたようです。京都にお出かけの折にはぜひお立ち寄りください。登り窯が昔のまま残っていて、そこからひょっこりと寬次郎が現れそうなそんな空間です。

「河井寬次郎は、その生涯を通じいつも子供のように感動する心を失わず、ありとあらゆる物と事の中から喜びを見いだし、そして何よりも人と人生をこよなく愛し大切にした人でありました。/寬次郎は『驚いている自分に驚いている自分』と語っております。/私達は誰でも美しいもの、素晴らしいものにめぐりあえたとき感動し、心豊かになるものですが、翻ってそんな感動、そんな思いが出来る素晴らしい自分自身には案外気が付かないものです。/寬次郎は、ともすれば私達が忘れがちなそうしたごく身近な心や、形を大切にしました。/ここでご覧頂くものの中には、作陶を初めとした木彫・文章を通じてはげしい表現をしたものが数多くありますが、反面、建築・調度品・蒐集品の中には日々の生活に素を尊んだ寬次郎のしずかな精神を見ることが出来ます。/この記念館は、そんな寬次郎であったことを皆さんに知っていただくとともに、ここが作品を創作した場所であるだけでなく、高く、深く人間を讃えつつ生活をした場であることを観ていただくために開館したのでございます。私どもにとっては、皆さんにこの記念館をご覧いただいた後、何かの美、何かの感動、何かの驚き、何かのやすらぎを覚えて下されば無上の喜びでございます。」

 これは記念館の栞に書いてあることをそのまま写したものです。寬次郎をひとことで表現するなら「はげしさと静けさが同居した陶工」と言っても許されるのではないかと思います。寬次郎の作品に出会うたびに、私はアンリ・マティスの作品が思い出されます。

 来月は久しぶりに例会を開きます。表紙の案内をご覧下さい。

514日(T

北九州がんを語る会

事務局 〒803-0851 北九州市小倉北区木町2-12-34

西安寺 玉水秀孝()TEL093561-5320

HPアドレス http://ctnk7460.cocolog-nifty.com/nozomi/

(会費振込先)口座番号01760-1-83497

加入者名 北九州がんを語る会 郵送の場合は、玉水へ

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2013年5月29日 (水)

「高齢者の生と終末」ーオランダからの報告(オランダの介護制度)

会報「希望」投稿。

新聞記事紹介

「希望」会員 田中七四郎

20135/29

 「高齢者の生と終末」ーオランダからの報告(オランダの介護制度)

  オランダのQOL(生命の質)とは?

     オランダは1968年世界に先駆けて1年以上の長期の医療と介護を保障する社会保険システムを導入している。我が国の医療を考えるについても参考になると思われる

     施設から地域へをモットーに顔の見える地域ケア重視の政策を加速している。特に家庭医(と地域看護師が中心となって生まれてから死ぬまでを手厚く支援している。

     認知症については、アルツハイマーカフェというユニークな施設を全国220ケ所に設置し、認知症の人々とその家族や支援者、一般市民が集うことができる社交場として活用されている。

     ターミナルケアについては、患者、家族がベストな選択ができるよう情報共有化を図り、ホスピス(終末期ケア)環境としてナーシングホーム(日本の特別養護老人ホームに当る)や緩和ケア支援センターなどが充実している。

     2001年安楽死を世界で初めて法制化した。6条件(詳細記事第4回)をクリアできれば安楽死できる。対象者の約8割は末期がんの患者であるが、近年は認知症を含む精神系の病気にも安楽死が認められている。実行場所の約8割は自宅である。

個人の自由意思を尊重するオランダの医療システムについてご参考まで。

参考文献:西日本新聞(鶴丸哲雄記者担当)、2013/4/18①~4/25⑧の特集記事から転載。

   かいつぶり風車の風にあふらるる  烏有

以上。

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2013年5月21日 (火)

「駆けっ句365日生き急ぎ」 烏有

「駆けっ句365日生き急ぎ」

烏有

烏有(ウユウ)

本名:田中七四郎(タナカシチシロウ)

1943年(昭和18年):10月、

東京都渋谷区

1968年(昭和43年): 4月、 富士通株式会社入社、システムエンジニア職従事

1993年(平成 5年): 1月、 駆けっ句スタート   8月、 胃がん手術

2000年(平成12年):12月、 富士通株式会社役職離任により退社

コーポレイトソフトウェア株式会社入社

2002年(平成14年): 7月、コーポレイトソフトウェア株式会社退社

2013年皐月ノ巻

皐月某日・黄砂来わか葉あお葉の目に沁みる

皐月某日・五月や森の家にて想を練る

皐月某日・五月晴れ1週間延びし草を刈り

皐月某日・揖保乃糸家族総出で初そうめん

皐月某日・春愁やシンクの口から逆流し

皐月某日・見所はなんじゃもんじゃの白い花

皐月某日・名所には藤の花へのライトアップ

皐月某日・藤園の房のまにまに人語洩れ

皐月某日・露天風呂たゆたふときを髯に任せ

皐月某日・雨上がりかはずのどかに経を詠む

皐月某日・歩一歩夏山を攻むる峠かな

皐月某日・ツッピンツピと夏告げ鳥の開示聞く

皐月某日・はんかい草の仕込み確かめ折り返す

皐月某日・皐月闇一人行する森の道

皐月某日・五月や晴行雨読の日和あり

皐月某日・ぼけ防止被りし夏帽すぐ忘れ

皐月某日・アラコキ(古稀)や身体髪膚父を越へ

皐月某日・身の丈に合はせて向ふ薄暑かな

皐月某日・身の置き場求めて昏し五月闇

皐月某日・備へして金環食の畏れ待つ

皐月某日・傘差して金環日食とまみえ得ず

皐月某日・青葉して木下闇の光かな

皐月某日・かそけしやかはず声聞く梅雨入り前

皐月某日・一夜干し一晩置きて楽しめり

皐月某日・ケーブルカーしたたる青葉を掬ひけり

皐月某日・山頂の四海は乳の海視界ゼロ

皐月某日・夏山の立ち入り禁止を引き返す

皐月某日・風入れて猫の餌やりなじまれず

皐月某日・青葉風吹かれたあたりに掘り出し物

皐月某日・昼薄暑モニターめげて大わらは

皐月某日・潮の香や歩きドーナツ塩からし(つづく)

http://homepage1.nifty.com/tanakas/uyuu.htm.

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2013年4月15日 (月)

会報「希望」2013/4月号追加。

「駆けっ句365日生き急ぎ」

烏有

烏有(ウユウ)

本名:田中七四郎(タナカシチシロウ)

1943年(昭和18年):10月、

東京都渋谷区

1968年(昭和43年): 4月、 富士通株式会社入社、システムエンジニア職従事

1993年(平成 5年): 1月、 駆けっ句スタート   8月、 胃がん手術

2000年(平成12年):12月、 富士通株式会社役職離任により退社

コーポレイトソフトウェア株式会社入社

2002年(平成14年): 7月、コーポレイトソフトウェア株式会社退社

2013年卯月ノ巻

卯月某日・春三番花に嵐のたとへかな

卯月某日・軒先でうぐいすの唄ふエイプリルフールかな

卯月某日・梅林のしぐれや明しみ空かな

卯月某日・春の調べめがね橋あたりで別れけり

卯月某日・ふぐ皮の旬に社稷を思ひけり

卯月某日・眠りより覚めてくぐもるかめの鳴く

卯月某日・新装のグッチの店にさくら活く

卯月某日・身の丈に合はせて秘すばねぶの花

卯月某日・靴洗ひ森の霊気を後にする

卯月某日・日々がひとりさくらの気楽かな

卯月某日・一時に陽光咲かせる春嵐かな

卯月某日・てんでんこに40有余の春の宵

卯月某日・龍天に登る色かな東京スカイツリー

卯月某日・水面すべるカヌークルーへはなふぶき

卯月某日・仕込みしてだんごに臨む花見かな

卯月某日・嘉代子ざくら散りぬるお墓つねならず

卯月某日・花見してゴール途中へ行き着かず

卯月某日・うぐいすの声確かむる瀬板の森

卯月某日・さくらふぶきの廃線跡を遡る

卯月某日・ひげパスを名刺代わりに春の酔ひ

卯月某日・遺偈詠む娑婆の世間にやぶつばき

卯月某日・一見のなりして励ますさくらかな

卯月某日・暴風雨を行きつ戻りつ話飛び

卯月某日・夜通しの強暴風雨に覚めやらず

卯月某日・葉ざくらや老ひて盛んな次の花

卯月某日・残心もなまくらとなりぬ花目かな

卯月某日・葉ざくらとひとり団子やゆめのあと

卯月某日・角打ちや塩を一舐めいやし呑み

卯月某日・千人針視線を超へてがん(願)かける

卯月某日・度合風おれがおれがで通り抜け(つづく)

http://homepage1.nifty.com/tanakas/uyuu.htm.

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会報「希望」2013/4月号

60歳の過ごし方」

                       

      あらき まりこ

                       

60にして、人生の一瞬一瞬が、凝縮した時間として迫ってくるような逼迫感が、わたしのなかに生まれました。それで、今、今が切実にいい時間であってほしいといっそう願うようになりました。それには、自分のこの「ごちゃごちゃした人生」のなかから、「こだわり」と「あきらめ」を潔く選択せねば、と思います。

最近、「はじめての声楽・歌唱入門」に行き始めました。月に2回ですが、30分思いっきり声を出したらすごく気持ちがいいのです。なんと個人レッスンです。今働いてお金の収支がそれほど窮屈ではないうちに、自分のからだに豊かなものをいっぱい溜め込もうという感じです。お茶のおけいこ着をネットで購入して、茶道も始めました。まだまったくの初心者ながら、もう今から、月に1回はお茶会をしようとか、わくわく目論んでいます。気候がよくなったら、博多の母を呼んで、楽しいお茶会を開こう。簡単なお昼ご飯とその後に抹茶を。今から考えても心が躍ります。

また、今度映画化される予定の「小さいおうち」(中島京子著)という小説を読んで、どうも中身とは直接関係してないのですが、うちの片付けを始めました。家の新陳代謝がいつもできるように生活すること。家も生きもの。今の自分に(夫にも)合ったように、いつも空気を入れ替えてあげること。同時に、マザーテレサの「持たないこと」もいつも意識しておくこと。最小限のもの、でも心を豊かにするものは手放さないこと。

この3月で、すでに61ですが、60歳のこの1年は、なんだか不思議と人生の節目を意識した、私にとってのささやかな「転回の年」になったようです。

    事 務 報 告

◇413日(土)事務局西安寺にて世話人会開催。会報「希望」第274号製本発送。

◇会報への投稿や製本のお手伝い等をして下さる方は、事務局までご一報

ください。

「ぼくは言う」

            谷川俊太郎

      (谷川俊太郎作「どきん」フォア文庫,理論社p.8485より引用)

 大げさなことは言いたくない

 ぼくはただ水は透きとおっていて冷たいと言う

 のどがかわいた時に水を飲むことは

 人間のいちばんの幸せのひとつだ

 確信をもって言えることは多くない

 ぼくはただ空気はおいしくていい匂いだと言う

 生きていて息をするだけで

 人間はほほえみたくなるものだ

 当たり前なことは何度でも言っていい

 ぼくはただ鯨は大きくてすばらしいと言う

鯨の歌うのを聞いたことがあるかい

何故か人間であることが恥ずかしくなる

そして人間についてはどう言えばいいのか

朝の道を子どもたちが駆けてゆく

ぼくはただ黙っている

ほとんどひとつの傷のように

その姿を刻みつけるために

あなたらしく生きる

    ✤✤ あ と が き 

✤✤

七日は当地も春の嵐に見舞われ、枯れ枝があちこちに散乱して後始末が大変でした。今日は一転して空気も澄んでおだやかな春の日和です。ところが東北地方は、各地に嵐をもたらした低気圧が一日遅れて通過中で交通機関も乱れているとか。場所によっては台風並みの風雨だそうで、対応に大わらわといったところでしょうか。

 さて三月の終わりに、三泊四日の旅程で関西地方を経巡ってきました。初日は好天に恵まれ、岡山県玉野市の宇野港からフェリーに乗って瀬戸内海に浮かぶ小島、直島(香川県香川郡直島町、所要時間20分)に渡りました。ソメイヨシノはまだ二分咲きくらいでした。お目当ては花見ではなくて李禹煥美術館(20106月開館)にあったので、残念という思いはありませんでした。くだんの美術館には近作も取り揃えてあり、じかに対面することができて幸いでした。ただ観覧者が思いに反して多かったので幾分騒々しく、残念ながら「日常の喧騒を離れ、静かに考える時間を与え」てはくれませんでした。常識的な美術作品を思い描いて入館した観覧者の中には戸惑いもみられたようです。しかし、絵画や彫刻に対する既成概念を転換するという意味ではこの個人美術館の存在意義があるようです。

 この美術館は、館内にのみ作品を閉じ込めておくようなものではなく、屋外にも作品が配置されていて、建物と作品と周囲の自然とが融合するように配慮されているように思われました。館内の不思議な作品を鑑賞したあと外に出ると、視界が開け彫刻広場の向こうに瀬戸内海に浮かぶ島々が望見されるようになっています。これから徐々に建物と屋外作品が風化してゆくと、スクラップアンドビルドを繰り返すディズニーランドとは正反対に「日常の喧騒を離れ、静かに考える時間を与え」てくれる場所になるでしょう。再訪できる日を待ちたいと思います。

 ところで三日目には、京都・醍醐寺の満開のしだれ桜を見たあと、雨が降っていたので奈良の国立博物館に行きました。ずいぶん昔に秋の正倉院展を見て以来のことです。あの時は、長蛇の列の一員となって長い時間待たされ入館が叶っても、人、人、人で展示物を鑑賞するというよりも、人の後姿を観覧させられるといった具合でした。あの時の苦い思い出をひきずりながら「なら仏像館」展示会場に入ってみると、観覧者は少なくて肩すかしを食いつつもホッとした気分になりました。ふだんは各地の寺に鎮座するはずの仏像が、一同に会していますから時間の節約にはなります。こういう場所にあると、拝観するというよりも古い美術品を鑑賞するといった気分になります。それでも当初の極彩色が退色したり、身体の一部が欠損していることがかえって長い歳月の重みを喚起し、やはり拝観するという気分に変えさせられます。ときおり、静かな館内に頓狂な声が聞こえてきますが、声の主がだれだかわかりません。誰も注意する人がいないので不審に思って声の主をさがしてみると、知的障害をもった少年が付き添いの人に伴われて、こわい形相の不動明王像の前に立っていました。その後、おだやかな顔つきの阿弥陀如来像の前でも声をあげていましたので、感動のあまり声が出てしまったというのが真相かもしれません。不思議な経験でした。                    48日(T

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2013年3月22日 (金)

ポポン まど みちお

ポ ポ ン

(まど・みちお少年詩集「つけもののおもし」p.113115,小海永二編,ポプラ社文庫より)

              まど みちお

タンポポは いつも

ポポン… と咲いているように見える

人間などが 生まれるまえの

ずうっと 大昔から

ほんとは ついこの間

地球のこのへんに すむ人たちが

タンポポと 名づけてからのことなのに

もしも その人たちが

タンケロと 名づけたのだったら

たぶん いまごろ

ケロン… と咲いていたろうに

また もしも

タンボヤと 名づけたのだったら

ボヤッ… と咲いていたろうに

タンポポが ポポン… と咲いている

おや あそこの田んぼの あぜでは

あんなに ポポン ポポン…と

わたげの花火うちあげて よんでいる

 -みんな おいでえ!

  タニシの うちに

あかちゃんが うまれたよう!

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2013年3月20日 (水)

あとがき(2013/3/15)

✤✤ あ と が き ✤✤

 庭の啓翁桜(けいおうざくら)がいま満開です。彼岸桜に似て花びらが小ぶりですが、びっしりと咲き誇っています。啓翁とは珍しい名前ですが、昭和五年に久留米市に在住の良永啓太郎さんという方が品種改良をして生まれた桜だそうで、その名前にあやかってつけられたということです。

 今年の春は昨年に比べて比較的暖かいようです。ソメイヨシノも早い所では春分の日ごろには咲き出すかもしれません。東日本大震災が起って丸二年が過ぎました。あの時、東北地方は小雪が舞っていました。桜の開花が待ち遠しかったように思われます。依然として行方不明者の遺体捜索が続けられているようですが、遺族にとっては死者にたいして切実な思いがこめられているのでしょうか。ある会社の経営者でありながら経営は部下に任せて、ボランティアで海に潜り遺体捜索を続けている人がテレビで紹介されていました。本人には全く気負いがなく黙々と海に潜っている姿を見て、この人を突き動かしているのは一体何なのだろうかと思われたことでした。傍観的に見れば、被災者の復興支援に尽力した方が良さそうなのにそうはしない。一方では、「葬送の自由を進める会」というのがあって、海(自然)に散骨することを目的とした会もあるのにそうはしない。この人には、生者や死者や物や海(自然)に対する格別な思いがあるのではないかと思われたことでした。

 ところで、大震災を契機として「人間も自然の一部である」ということが、これまでの人間中心的な生き方への反省をこめて語られ出したように思われます。自然と人間という二項対立から、自然の顔を立てているように見えます。しかし本心からそう思っているのかどうか、それは分かりません。自己の主体的意識は温存したまま、一時的に自己反省しているだけかもしれません。人間と自然との関係は、人間にとって、人間の思惑を超えて「恵みと審き」「融和と拒絶」が同居した厳しい関係にあるのだという自覚(直覚)にまで本当に届いているのかどうか。言い換えるなら、慈母のような母なる海は、同時に人間を苦しみのどん底に突き落とす怒れる海であるということ。合理性を追求する近代的知性にとって自然(空、海、地)は、不透明で非合理性そのものとしてあるということも忘れてはならないでしょう。しかも、自然を抜きにして人間の未来像は描けないということも確かなことです。

 このような中で、自然そのものとの対話が成り立った麗しい言葉がありますので紹介します。山中伸弥さんのノーベル医学生理学賞受賞記念講演のひとこま。「自然そのものが師であり、時に予想しなかったことを教えてくれた」。これは、研究の過程で推論したことが全く外れた際の感想の言葉です。科学者としてのあるべき道を示唆しているように思われます。

                                                                                313日(T

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駆けっ句365日生き急ぎ(2013/弥生の巻)

「駆けっ句365日生き急ぎ」

烏有

烏有(ウユウ)

本名:田中七四郎(タナカシチシロウ)

1943年(昭和18年):10月、

東京都渋谷区

1968年(昭和43年): 4月、 富士通株式会社入社、システムエンジニア職従事

1993年(平成 5年): 1月、 駆けっ句スタート   8月、 胃がん手術

2000年(平成12年):12月、 富士通株式会社役職離任により退社

コーポレイトソフトウェア株式会社入社

2002年(平成14年): 7月、コーポレイトソフトウェア株式会社退社

2013年弥生ノ巻

弥生某日3月や芝生刈り込み草香る

弥生某日・アイディアの枯渇するころ日脚伸ぶ

弥生某日・拙速を勇み足して春の酔ひ

弥生某日・てんでんこに古稀まではと啓蟄

弥生某日・残り雪春の朝には雨となり

弥生某日・いつか行くつひの住処やがんの家

弥生某日・息を接ぐ出湯へ春の小雨かな

弥生某日・さきがけて大地潤ほす菜種梅雨

弥生某日・春一番兆しの一陣み空から

弥生某日・湯の花やとこや談義の勇ましく

弥生某日・菜種つゆ小雨に打たす露天かな

弥生某日・たんぽぽ(蒲公英)や等身大の足るを知る

弥生某日・みどりなす小雨にはなやぐあぢさいの芽

弥生某日・湯治場で軒遊びして春は暮れ

弥生某日・ふぐちりや孝行子のなさけかな

弥生某日・たゆたふやてふか吾レにかゆめうつつ

弥生某日wifiでるんるんるんと春の宵

弥生某日・までいなるもてなしこころや春の風

弥生某日・ノマドしてさくさくさくと草を喰む

弥生某日・よく見ればおたまへ孵るいのちかな

弥生某日・彼岸入り水仙の花の遅れ咲く

弥生某日・出湯して一点豪華な缶一杯

弥生某日・失せものと予定調和す春日かな

弥生某日・油断して足るを知りたる日永かな

弥生某日・見残しのさくらひとり観つぼみかな

弥生某日・せせらぎの調べや春をかなでけり

弥生某日・雨上がり沈丁花の香やきつし

弥生某日・雨上がりしだれ梅のしずくの光る

弥生某日・水温む101ちゃんの湧くがごとし

弥生某日・雨やどり瀬板の森の春浅し

弥生某日・地啼きよりさへずりへ変はる森の相

弥生某日・冴へかへる紅より赤しあおきの実(つづく)

http://homepage1.nifty.com/tanakas/uyuu.htm.

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2013年2月13日 (水)

会報希望、2013/2/15発行

あっという間に刈り取られた「ネジバナ」                                   

あらき まりこ

 高校の時習った曲の歌詞が、ふとよみがえって、人知れず頭

のなかで歌い出していることが時々あります。♪折らずに置いて

きた山かげの小百合♪もその一つです。これは、ブラームス作詞、

高野辰之作曲の「折ればよかった」という曲の歌い出しですが、

一昨年の6月頃にこのフレーズが思わず頭をよぎった瞬間を、こ

とさら鮮明に覚えています。その理由を今からお話しようと思

います。ここに歌詞を紹介しておきますね。

        「折ればよかった」

     折らずに置いてきた 山かげの小百合         

人がみつけたら   手を出すだろう

     風がなぶったなら  露こぼそうものを

     折ればよかった   遠慮がすぎた

     ゆうべも夢にみた  山かげの小百合

     星が訪ねたら    宿貸すだろう

     虫がすがったら   うなずこうものを

     折ればよかった   遠慮がすぎた

 実は、私には通勤の道筋に、とてもお気に入りのところがあって、それは職場の建物に入る手前の小さな芝生と、建物の影になる小さな湿地です。湿地は、小雨や雨上がりの日は特に、京都の苔寺っぽい風情で、草の露がキラキラ光ったりして素敵なのです。で、今日の話は、その手前にある芝生のところのことです。そこも四季折々景色が変わって、シロツメクサなどが敷きつめられたりするのですが、私が一番好きなのは、薄ピンクの小さな花がその茎にクルクル回転するようについている、とても華奢な「ネジバナ」をみつけることです。56月になると、まず一本発見!それから毎日、少しずつ、少しずつ増えてくるのです。その姿に、ふと一本手折りたくなる衝動に毎回駆られるのですが、いけない、いけない、ここに生えていてこその美しさなんだって自分に言い聞かせて、いつも採るのをがまんして建物に入っていたのです。一昨年のちょうどその時期、何週間かして、一面にネジバナ!ってなって、今年はすごい!って思った次の朝のこと、なんとすべて刈り取られてしまっていました!一本残らず。一瞬、えっ!なんで!と叫びそうになりました。刈り取るって昨日のうちに言ってくれていたら、思いっきり採ったのにって。あああ、って思った途端に、上の歌が切なく、脳裏に浮かびました。それで昨年は、10本くらい発見した時点ですかさず、「採らせていただきます」とつぶやいて2本確保。自分の机に活けて、一年ぶりに願いを果たした私は、人知れずニンマリ...。また今年も、あの華奢で、クルクルッとしたかわいい姿にどうか会えますように。

(ターシャ・テューダー著,食野雅子訳「思うとおりに歩めばいいのよ」p.1213メディアファクトリーから引用)

  「思うとおりに歩めばいいのよ」

      ターシャ・テューダー

  家族でおもしろ半分に、スティルウォーター教という宗教を作りました。

 スティルウォーター(じっと動かない水)と名づけたのは、ストレスのない平安な生活を信奉する、と言う意味。

 スティルウォーター教徒は、生活を楽しみます。

 重荷にしてはいけません。

 第一の戒律は、フラ・ジョバンニの言葉。

 「世の中の憂鬱は影に過ぎない。その後ろ、手の届くところに喜びがある。喜びをつかみなさい」

 楽しいことは、それを楽しみに待つ喜びも大きいものです。

 楽しい行事は、その日が来るのを楽しみに考え、その日が来たら思う存分楽しみましょう。そして、その楽しみをできるだけ長引かせましょう。

     事 務 報 告

◇216日(土)事務局西安寺にて世話人会開催。会報「希望」第272号製本発送。

◇会報への投稿や製本のお手伝い等をして下さる方は、事務局までご一報ください。

あなたらしく生きる      

  あ と が き  

節分から立春にかけて暖かい日が続きましたが、八日には春の雪。今日も霜が降りて寒い朝となりました。本堂の前の紅梅・白梅は満開を迎えました。しだれ梅の開花はこれからというところです。十一月から咲き出したサザンカはまだ開花と落花を繰り返していますが、そろそろ椿の花にバトンタッチの時期を迎えつつあります。昨年はメジロの姿をあまり見かけなかったのですが、今春はサザンカや椿の花に群れているようで、ひと安心です。そして、梅にはウグイスでしょう。メジロやウグイスの囀りを聴かないと季節の忘れものをしたような気がします。

さて、先月号まで続いた李禹煥の「余白の芸術」に面白い「断章」がありましたので、余滴として掲げておきます。

「千利休は、秋の庭に散在する落葉を眺めて、心を打たれひらめいた。そこで彼は庭をきれいに掃いてしまい、拾い上げた数枚の落葉をパラパラ撒き直して、さらに楽しんだのである。最高の表現とは、無から創造することではなく、そこにあるものをズラすことによって一層鮮やかな世界を見えるようにすることのようだ。芸術家の仕事は、あるがままをアルガママにすることにある。」

(画集の断章より)

 秋の庭に散在する落葉を眺めて」無常を感じたり、美しい光景に心打たれることは、利休ならずとも誰でも経験することではあるけれども、「庭をきれいに掃いてしまい、拾い上げた数枚の落葉をパラパラ撒き直す」行為は利休ならではのものだと言えるでしょう。利休は傍観的、一方的に眺め「もののあわれ」を詠嘆するということに停滞はしない。利休の一連の一瞬の行為は、落葉と一つになって「無の場所」「空の場」(庭)を開き、無となって無底の世界に浸透し、そこから翻って新しく蘇った落葉(利休)として、世界の内に現われてくる(現前してくる)ということを意味します。それは同時に永遠の秋に出会うということでもあります。さらに、彼の一連の行為は「あるがままをアルガママにする」一期一会の仕草とも言えるでしょう。これは、秀吉の眼前で紅梅一枝を逆さにし、しごいて満面に水をたたえた大鉢にまいた行為と通底するものです。

同じことは「自分の俳句というものは、一つ一つ辞世である」と言った芭蕉の俳諧の旅にも言えるでしょう。

 「西行の和歌における、宗祇の連歌における、雪舟の画における、利休が茶における、その貫道するものは一なり」

 これは松尾芭蕉の有名な言葉ですが、我意を捨てて真実の道を歩いた先達に学ぶということが含意されていると思われます。        210日(T

北九州がんを語る会

事務局 〒803-0851 北九州市小倉北区木町2-12-34

西安寺 玉水秀孝()TEL093561-5320

HPアドレス

http://ctnk7460.cocolog-nifty.com/nozomi/

(会費振込先)口座番号01760-1-83497

加入者名 北九州がんを語る会

郵送の場合は、玉水へ

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2013年1月29日 (火)

『空白を満たしなさい』、平野啓一郎著

会報『希望』投稿

会員田中七四郎

2013/1/29

『空白を満たしなさい』、平野啓一郎著

 ー自殺者年間3万人時代に生きる智慧

 作品は死んだ人が生き返る(復生)社会の話である。主人公土屋徹生は一度死んで再びこの世に生き返った復生者である。彼は自分では自殺した覚えがないし自殺する理由もなかった。結果的には自分が自殺した決定的な証拠が明るみになり本人も納得する。それは自分の中に居る分人のなせる業だった。分人とは作者が提示している用語で、個人は一つの人格indivisualを持つのではなく、対人関係ごとに異なる人格dividualを分けることができるという考え方のことである。個人は複数の分人から成り立って居りそれがごく自然な考え方であるという。その分人の一つが彼を自殺に追いやった。作中、佐伯某という人物(警備員)が出来するがー丁度夏目漱石の絶筆『明暗』に出てくる小林某なる人物、主人公津田由雄の分身?の役回りに近いと筆者は考える。佐伯は土屋徹生の分人と考えられるが佐伯という分人が土屋を自殺に追い込んだのではなく、土屋の中の複数の分人同士が相重なり合って土屋を自死に追い込んだと筆者は推測する。作品は一人の人間が突然自死した場合、残された遺族(連れ合い、こども、両親)、同僚、そして周りの人たちがどんな気持ちをもって生きていくことになるのかということを考えさせられる。自殺対策を政府・自治体による制度面の改革だけから考えるのではなく、人間本来の自発的な動機の面からも考えてみる必要があるという根源的なことを作品は提言している。

 適度なる良い加減さの春の慈雨 烏有

参考文献:『明暗』、夏目漱石、新潮社、1987(昭和62)/6/15\560

『夢違』、恩田陸、角川書店、2011/11/15\1,800

『私とは何か』―「個人」から「分人」へ、平野啓一郎、講談社現代新書、\777

以上。

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2013年1月24日 (木)

あとがき(2013/1/15)

  あ と が き  

寒中お見舞い申し上げます。歳末から比較的寒い日が続いています。ときおり雪に見舞われる日があっても積もる程ではありませんでしたが、今日は屋根に控えめに積もっています。20日が大寒です。正月明けにお腹をこわして一日だけ休養をとりましたが、大事には至りませんでした。皆様はいかがお過ごしでしたか?

 早速、先月の続きにはいります。

A、「出会いとは、ある浄化的場面において、そのじつなにものとも出くわされず、一切が透明な時間となる出来事の世界である。」(「透明な視覚を求めて」)

B、「十全な意味で生きるとは、直接なる世界のような詩的直観を経験することである」(「出会いの現象学序説」)

C、「少なくとも直観の瞬間においては、今の永遠・永遠の今としての限りなく開かれた世界に出会っているのであって、そこはいかなる存在と無の区別もない媒介そのものの世界が広がっていると言える。世界は永遠に世界するのであり、それは出会いの瞬間に体現されるのだ」(「同前」)

 現代の閉塞状況(現象)を突破するため、「出会い」をキーワードにしてまとめを兼ねて李さんの言葉を上げてみたのですが、「浄化的場面」「一切が透明な時間となる」「詩的直観」「今の永遠・永遠の今」「世界は永遠に世界する」という言葉に出くわすと、常識的な対象化思考に慣れている者にとって特殊な神秘的体験(悟り体験)が連想されるかもしれません。しかし、先に李さんの母親の例であげたように、何の変哲もない日常のただ中(平常底)で起っている出来事(直接経験)なのです。身体を媒介にしているとはいえ、たとえば滝に打たれるような肉体的苦行を介しなければ得られないものでもありません。むしろ、自己が世界の外に立って、見るものと見られるものという主客能所の二見分別(常識的な対象化思考)の傍観的立場が破られた(否定された)ところから「体現される」のです。以前に利休と秀吉のエピソードを紹介しましたが、ここでは「A」に照応するでしょう。つまりそれは、茶会の現在的現場で「一切が透明な時間となる出来事」を指し、利休も秀吉も周囲のものすべてが対象化され得ない無の闇に浸透され、ただそこに(あるがままの)花があるのみ。あるいは、そこに(あるがままの)利休と(あるがままの)秀吉がいるのみ。同時に、絶対無の闇(茶席の空間)が「厚みと奥行きをもって」(同前)輝く。しかもそれは、即今・当処での一瞬の出来事・経験(B)であり、花と利休と秀吉が一同に会した「うるわしい出会いの」瞬間でもあります。

 それでは、李さんは現代の閉塞状況の突破口ともいうべき「直観の瞬間」(C)をどのように捉えているのでしょう。普通の常識において、時とは、我々はある時生まれ幾多の変転を繰り返しながらある時死ぬと考えられて、過去から現在を経て未来へと直線的・連続的に流れるものと思っています。それは自我意識の流れを前提し、世界の外に立って、時を観念的、抽象的に分別しているにすぎません。時の原(現)点を素通りにしていては「十全な意味で生き」(B)ているとは言えないでしょう。私たちが「十全な意味で生き」かつ存在していると言うためには、「今ここ」をはずしては成り立ちません。過去も「今ここ」、未来も「今ここ」と、過ぎ去る時と留まる時が矛盾しながら一つに集約されたのが「今ここ」であり、「瞬間」なのだということです。李さんは「瞬間」を「ひろがりをもった時という矛盾概念」(同前)であると言います。すなわち「時間であると同時に空間であり、空間であると同時に時間である地点にひらかれた」「同時性の場所としての出会いの世界」とした上で「直観的瞬間の世界」(今ここ)は、「非対象的に開かれるということで、空間と時間の矛盾的な同時性において開示される無の場所と規定する」のです。「C」において「そこはいかなる存在と無の区別もない媒介そのものの世界」と言われているのはこの「無の場所」のことであり、人間が世界と共に生きる「あるがままの直接経験の場所」であり、厳密には、対象化して見ることのできない「絶対無の場所」であると言わなければなりません。

 いろいろと難しいことを書き連ねましたが、要するに、現代の閉塞状況(現象)の突破口は「いつかどこか」ではなく、「今ここ自己」の根底にあるということです。そうであるならば、一瞬一瞬過ぎ去りゆく「今ここ」にあって、しかも同時に「今の永遠・永遠の今としての限りなく開かれた世界」におかれている私や私たちはどのように生きたらいいのか。李さんはどのように生きて行くのだろうか。

「人間が直接世界におのれを解き放すという出会いに生きるためには、表現作用として構造なる身体をもよおしつづける歴史人に徹底することだろう。歴史人とは、出会いの瞬間に生きる表現者のこと。だから出会いの持続意志は、表現作用による瞬間の持続作用をかりたてずにおかない。歴史人は本質的に表現者である限りにおいて、時間の厚みのなかに生き、その状態を持続するために、構造を生み出さざるをえない。」(同前)

 私たちは誰ひとり例外なく「歴史人」であり「表現者」なのですが、世界の内に世界と共に生きていることを忘れ『万物の尺度の「人間」となる悪い夢をみ』(前出)理念の主となって「いつかどこか」に実現不可能なユートピア(理想郷)を築くことに邁進してきました。その結果、「出口なし」(サルトル)の虚無的状況を招来したと言えましょう。「歴史人に徹底する」ということは、世界の内に世界と共に生きていることを自覚徹底するということです。しかも「今ここ自己」の根底(絶対無・空の場)において、主体的、自律(自立)的自我は滅せられ、無となって(あるがままの自己となって)瞬間、瞬間新しく、どのような実存的状況にあろうとも、生き生きとあるいは黙々と生きるように促されてあるということです。「出会いの瞬間に生きる表現者」とは、李さんのみならず、私や私たちもそうなのです。李さんはその原型を「米を研ぎながら鼻歌を唄っている」お母さんの姿に見たのでしょう。これもまた「うるわしい出会いの瞬間」だったのでしょう。私もまた李さんとは違った形で「うるわしい出会いの瞬間」を重ねたいものです。                  2013118日(T

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「星空に救われた日々」あらき まりこ

「星空に救われた日々」

                  あらき まりこ

  

わたしは20代の頃、肺結核で長い療養生活を送った

ことがあります。その当時は、門司に木造平屋建ての療養所があって、入院の日、輸送車に乗せられて、長い廊下を渡って病棟に着くと、なんだかタイムスリップして、別世界に来たような心地がしたものです。風邪で、なかなか咳が止まらないなと思ってちょっと受診して、念のためにと撮ってもらったレントゲンで、左肺の陰影を発見されました。生まれて9か月の長男をうちに残して、突然の入院でしたから、悪い夢を見ているような、自分でも信じられないような思いでしたが、ただただ悲しくて、子どもに関連したなにかをふっと思い出しただけで、途端に心ががたがたとくずれてしまいそうでした。子どもは、入院の数日前から、不思議と急に牛乳が飲めるようになったことは唯一の安心材料でしたが、病室で止まらないお乳を一人でしぼって捨てる毎日は、かなりわびしいものでした。

心は弱りながらも、ある時から、どうしても治す、しかもできるだけ短期間で治す、と強く自分に言い聞かせて、結核菌に打ち勝つために、摂った栄養は逃さない、うまくからだに吸収させる、という目標を掲げました。だから、「お乳は早く止める」、「薬の副作用で嘔気が来てもからだを刺激しないようにそっとして、取り込んだ食物は吐かない」等、自分のエネルギーを、一心にそこに集中させました。半年の予定で入院して、医師からレントゲン写真のめざましい改善を告げられ、退院を間近に控えたその頃に、病状がなぜか急激に悪化して、退院がポンと数か月先に延びました。結果的に入院期間は1年3か月の長きに渡ったのですが、先延ばしになった時点で気持ちを立て直すのは大変でした。

同じ病室に、わたしと同じように幼い子を残して入院してきた若いお母さんが居て、同じ悲しみを抱えていました。よく一緒に、大判で色刷りの星座の本を見ていたのですが、ある夜、二人で、病棟の重たい木の扉をそっとこじ開けて、外の庭に抜け出ました。空を見上げて星を探しながら、星座の本を懐中電灯で照らして、星の名前を当てっこしました。本の星がそのまま空でみつけられることに、密かに歓喜し、心が躍りました。一人だったら怖かったと思いますが、二人だとすごい開放感でした。その夜から、雨が降らない限り毎晩、秘密の星空通いが始まって、いつのまにか、なんだかわけもわからず、気がつくと心が元気になっていました。暗闇で星をひたすらみつめる行為には、人間を根源的な生に立ち返らせる魔法の力が潜んでいるのではないでしょうか。今でも星空を見上げるたびに、わたしはほんとうにそう思います。

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2013年1月16日 (水)

その訳、ヘン? ―タナカならこう訳す。

会報「希望」投稿

会員田中七四郎

2013/1/16

その訳、ヘン?

 ―タナカならこう訳す。

 がん、医療、IT関係の業界用語で変な?しっくりしない英語訳が気になります。皆様ならどう訳しますか?ご感想、ご意見をお聞かせください。

QOL(クオリティオブライフ、生命の質)⇒人生の気概、やる気、逸る気(タナカ特訳、以下同じ)

CPM(クリティカルパス法、医療の計画表)⇒治療のための工程表

・ピアサポート(対等支援)⇒相励ましあう仲間

・アンチ(サクセスフル)エイジング(抗加齢療法、老化防止)⇒加齢と(共に)生きる

DV(ドメスティックバイオレンス)⇒対弱者暴力、こどもへの体罰

・ジェンダー⇒汎性差

UD(ユニバーサルデザイン)⇒よろず使い(勝手)よいもの

DA(デジタルアーカイブ)⇒デジタル情報の保存蔵(くら)

  訳語では世界の違ふ初日かな 烏有

以上。

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2012年12月30日 (日)

会報希望、270号、2012/12/15発行

ちいさな ゆき

(まど・みちお少年詩集「つけもののおもし」p.8586,小海永二編,ポプラ社文庫より引用)

             

まど みちお                                         

  

ちいさな ゆきが

ちらりん ひとつ

ひとさしゆびに おりてきた

ひとさしゆびの ゆびさきに

てんの つかいのように して

ちいさな ゆきが

ちらりん ひとつ

ひとさしゆびで きえちゃった

ひとさしゆびの ゆびさきで

てんの ようじは いわないで

    事 務 報 告

1222日(土)事務局西安寺にて世話人会開催。会報「希望」第270号製本発送。

◇会報への投稿や製本のお手伝い等をして下さる方は、事務局までご一報ください。

あなたらしく生きる    

  あ と が き  

暮れも押し迫り21日に冬至を迎えます。落葉も終盤にきたようです。総選挙も終わり支配者の首のすげ替えが行われたようですが、残念ながら前政権同様にあまり期待しない方がよさそうです。不可避の想定外の事が起きた時、事の重大さに戸惑い右往左往して途中で政権を投げ出さないことを祈るばかりです。

 早速、先月の続きにはいります。人間が中心となり、「理念」が支配する近現代の自然(世界)観は、万物の創造者としての神の座に人間の理性(知性)が居座っただけの話で、人間の主体的意識が支配する対象界としての現象界にすぎなかったわけです。人間の主体的意識を越えて独立に自律(自立)・自存する世界(自然、他物、他者)自体との直接的関係が軽視ないし無視・無化されて一方的に見る者として世界に君臨した結果、その未来像(ユートピア)は虚像となって実像とならない悪夢ばかりを見ることになりました。過去から引きずってきた負の遺産の処理を巡り、右往左往して出口が見出せない現在、逼塞状況はますます強度を増して悲観的な未来像しか描けないとしたら、虚無的な意識の中に閉じこもり生きる意味を失って、一時的な憂さ晴らしをするか、単調な日常の繰り返しに埋没するしかないのだろうか。こういう思いは、突然末期がんを告げられ、絶望のあまりヤリ場のない怒りと苦しみを誰にぶつけていいのか解らない思いと均質のものがあるのではないでしょうか。李さんは、この疑問に遭遇するたびに「米を研ぎながら鼻歌を唄っている」お母さんの話が思い出されたのではないかと思われます。このエピソードは、李さんの芸術観にも直結しています。

 傍観(対象)的に見れば同じことの繰り返しをしているに過ぎないが、鼻歌を唄っている母親の返答は「米を研ぐ感じは同じではない」ということでした。すなわち外の世界からの作用によって身体は、一瞬一瞬異なる反応を示すということでした。それは、「人間が、世界を知覚するということは、身体が世界においての共感、実感、違和感をおぼえる世界の媒体」(「出会いの現象学序説」)という「身体」の発見でした。その「身体」が内(意識、内的世界)と外(存在、環境世界)との媒介項であり「身体が世界を知覚する仕方こそが、観合うこと、感じ合うことの直観においてであり」「この場合直観とは、眼よりも速く見、手よりも深く触れ合う、そこにおいての世界と人間の同時性の自覚、身体が世界と自己を同時に媒介する出会いのことである」(同前)ということでした。先に、李さんは「解る」と「知る」を区別した上で「解ると知るとの重なり合いや、組合せの中に生きる自覚こそが、生を真に豊かで輝かしいものにしてくれよう」と言いました。再度、繰り返すなら「解る」とは身体で直接に解ること(体解)であり、受動的、無形的、非対象的であるということでした。「知る」とは対象的に知ること(知解)ことであり、能動的、有形的、対象的であるということでした。ここで注意を促しておくならば、「解る」と「知る」を区別し、身体がそれを媒介するといっても、非対象的世界(形而上学的実体)と対象的世界があらかじめ実体的・孤立的・二元的にあって、身体がその両者を媒介するということではありません。「解る」とは「不会の会」・「不知の知」・「不見の見」ということであり、「非対象の対象」に直接触れるということで、見るものと見られるものが同時に成り立つ世界です。ですから、「世界を認識の対象として思うのではなしに、あるがままの直接経験の場所として、自己の身体がそのなかにおいて世界と一体感や違和感を呼び起こすとき、意識の状態はまさに自覚にあるのだ。人間が自己の存在を確認するのは、志向性においてよりはるかに、こうした出会いの自覚性においてである。あるがままがあるがままを限定する世界における、人間の独自な肯定の仕方」「身体の媒介性によって、世界は直接経験の場所となり、その知覚の自覚性において、人間は真に開かれた世界に出会うことになる。」(「出会いの現象学序説」)。

 「あるがままの直接経験の場所」「「真に開かれた世界」とは、世界の内(ひと、もの、ことが右往左往する現象世界)にあって、同時にそれを超え包む非対象的な「絶対無の場所」(西田幾多郎)、無限に開かれた「空の場」のことです。いわば、世界は二重構造になっていて、これこそが「あるがままがあるがままを限定する」真の現実世界です。人間が世界と共に生きる真の場所です。対象的に見られた現象世界はどこまでも「虚像」であるほかなく、「あるがまま」の世界ではないということです。また、「あるがまま」とは李さんによれば「隠れなきさまにおいてあらわれ出てくるありよう」(ハイデッガー)であり、今ここの自己の「直観における世界の現象であって、単なる対象としての事実の輪郭を指すものではない」ということです。対象的事実にあって対象的事実を超えている、直観的世界のあるがままです。言い換えるなら、今ここの自己の根底(絶対現在、絶対此岸)において、「自己ならざる自己」(真の自己)が「対象ならざる対象」(未知の対象)に直接出会うということです。たとえば、李さんの詩「笑いを」を一例にあげることができるでしょう。偶然通りかかった未知の子供の笑いが余程うれしかったのでしょう。足許の小石にもその笑いをつなごうということですから。それは同時に世界の笑いです。世界の内にあって、世界を超えた笑いであることは申すまでもありません。

 さて、明日は冬至で、そのあと寒波襲来とか。「出会い」についてあと少し書き継がなければなりませんが、年越しとなりました。一月号で終わりにしたいと思います。事柄が事柄だけに難解な物言いに終始していますが、閉塞状況を突破するためにはどうしても書いておかなければならないと思っています。御容赦下さい。                    20121220日(T

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2012年12月25日 (火)

「駆けっ句365日生き急ぎ」 2012年師走ノ巻

「駆けっ句365日生き急ぎ」

烏有

烏有(ウユウ)

本名:田中七四郎(タナカシチシロウ)

1943年(昭和18年):10月、

東京都渋谷区

1968年(昭和43年): 4月、 富士通株式会社入社、システムエンジニア職従事

1993年(平成 5年): 1月、 駆けっ句スタート   8月、 胃がん手術

2000年(平成12年):12月、 富士通株式会社役職離任により退社

コーポレイトソフトウェア株式会社入社

2002年(平成14年): 7月、コーポレイトソフトウェア株式会社退社

2012年師走ノ巻

師走某日・活け花のあらたになりて師走入る

師走某日・がんばらずちんちんぼっぽの師走かな

師走某日・古希前の手習い転びてまた起きる

師走某日・忘年会めあてできたと負け惜しみ

師走某日・つまづきもそれもまたよか冬に入る

師走某日・ひなたぼこ肩肘張らずに的を射る

師走某日・知恵熱のいま一つ遅かりし冬の暮れ

師走某日・パシリして二人で一人の年準備

師走某日・恐る恐る鬼門の月を折り返す

師走某日・年の瀬や雑踏なつかし駅へ向ふ

師走某日・霧氷観るのニュース横目に冬構へ

師走某日・よだきいを出汁にて一献年暮るる

師走某日・ぼけ防止にかぶりて忘るハンチング

師走某日・日めくりをもらひて一息年備へ

師走某日・年の瀬をなぐさむるために巷出る

師走某日・天災やはかなき1年空を切る

師走某日・冬麗や元気なくともいのちあり

師走某日・冬枯れや猪の残滓の戦車跡

師走某日・秩序ある鴨の軍団北を向く

師走某日・平静を常住として山眠る

師走某日・不条理や生老病死に冬薔薇射す

師走某日・現身を仮身に替へて年を越す

師走某日・仮の身をあるがままにして新年迎ふ

師走某日・初雪や防犯パレードを途中降る

師走某日・社会なべや傷痍軍人に遇はぬ幸せ

師走某日・平生を往生として酔ひ候ふ

師走某日・慎重に後づさりつつ卯年暮る

師走某日・びゃうびゃうととんぼの池面は静かなり

師走某日・なゐ揺るる年の納めの森へ入る

師走某日・分身を現身に仮身して大つごもりかな

(つづく)